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紅い風のセイジ-前編


 その男は、セイジと呼ばれていた。本名かどうかはわからない。
 いつも紅いマントを着ている華やかな美男子だった。その瞳は緑と茶色が複雑に混じった、いわゆるハシバミ色をしていたが、それがどこかしら蠱惑的ですらあり、黒よりやや明るい髪の毛は癖がかなり強く、長く伸ばして風になびいていた。
 彼が現れるのは、きまって勝ち戦の時だけだった。気がつくと彼は、戦闘が終わると現れて周囲のものを飲みに誘う。そして彼が現れるのは、決まって傭兵達や下級兵士の部隊の中だけだった。とにかく、彼はいつの間にやら現れていつの間にやら去ってしまうので、紅いマントとあいまってまるで風のようなやつだといわれていた。
 彼は、それで『紅い風のセイジ』とあだ名されるようになっていた。


「さて、一仕事終わったから酒のみにいくぜー、お前等ー!」
 勝ち戦とはいえ、疲弊したものも多い中、その男はいつでも場違いに明るい。どうかしているんじゃないかと周囲はいつも思うのだが、彼の声を聞くと何となく明るい気持ちになるのも確かだった。
「また、セイジのヤツか」
「そうみたいだな。相変らず、元気だよなあ。疲れってのをしらねえのか」
 やや呆れながら兵士達は語りあう。その視線の先に、大剣を背負った男前の大男が、既に取り巻きとわいわい話しながら通りがかる。真っ赤なマントが良く似合うなかなかの色男だ。
 その男こそセイジと呼ばれる男だった。何者であるのかは、誰も知らない。
 ともあれ、いつの間にか、紛れ込んできて当然のようにくつろいでいる。いつの間にか、みな、彼がそこでくつろぐのが当たり前の光景になってきていて、誰にも気にされていなかった。しかし、男の着ている鎧や衣服はとても質の良いもので、本当はいい身分の人間ではないかと、誰も言わないが皆そう思っている。
 正直、彼が何者だろうとどうでもいいのだ。彼が現れると勝ち戦だということが確定するし、上手い酒が飲めるのだ。そう、彼は勝ち戦の時しか現れないのである。
 彼はたいそう男前で、彼がニッコリ笑うとたいていの女はなびいてしまうため、酒場では女達によく構われていたが、彼がニッコリ笑って馴れ馴れしく話をすると、同性の男達も彼に親しみを感じて集まってきてしまう。いわば、人たらしといってもいいような、天性の魅力を持っていた。それなものだから、無粋にも彼が何者か追及しようというものが現れても、彼が笑って誤魔化すと彼の出自の話はおしまいになってしまう。
 その一方で、彼は非常に強い男で、戦場での活躍ぶりは鬼神とも例えられるほどらしい。らしい、というのは、戦場で彼の姿を見たものが少ないからだ。ただ返り血もふきもしない間から、ニヤニヤしながら「今日のメシは何がオススメだ?」といいながら現れる彼のことだから、きっと強いのだろうと思われている。彼ぐらいの体格を持ち、そんな態度で弱いとしたら、それこそ詐欺ともいえるだろう。
 彼は仕事が終わると、周囲のものをメシに誘う。もちろん、酒も飲むし、女も侍らす。彼が座ると、女の方から寄ってくるのだから仕方ない。酒代は誰が支払っているのか知らないし、余裕のあるものは払わされることもあるが、逆に金がないものは彼と一緒に酒にもありつけるのでそれはそれでありがたい。
 それやこれやで彼は非常に人気がある。戦いの終結を告げに現れる名物男みたいなものだが、彼が歩き出すと、いつの間にか取り巻きがあつまってきて、一緒に酒場まで行進するのが常だった。
 今日もセイジの周囲には、早速、おなじみの顔ぶれをはじめ、人が集まってきていた。セイジも機嫌がいい。今日は、作戦が当たったこともあり、さほど苦労せずに勝ったのも理由の一つだっただろう。
 しかし、孤立した敵兵の投降が相次いでいるので、まだ周囲には陽気なセイジと対象的に物騒な空気も流れていた。それに気づいた一人が、やや慌ててセイジに言った。
「セイジさん、こっちの道に変えませんか?」
「え? なんで?」
 急にそんなことをいわれて、セイジは無邪気な顔をきょとんとさせる。
「いや、ほら、ちょっと雰囲気が……」
 と、彼がそこまで言いかけたところで、当のセイジにも状況がわかったのか、ぴたりと足を止めた。後続が慌てて止まってつんのめるが、セイジはそのあたりを気にしているそぶりはない。
 セイジの目の前に大柄の男達がたむろしていた。セイジ自身も大概大男であったが、それよりも体の大きな貫禄のある男達が数名いるのだから、なかなか迫力はあった。傭兵らしいが、素行が悪いことで有名な連中で、セイジもそのことは了解していた。
 セイジは大抵の人間には好かれるタチであるが、よくも悪くも彼のような人間は目立つ。それを快く思わないものも当然いるのであり、彼らがまさにそうであった。
 男達は、セイジの存在にまだ気づいていないらしかったが、周囲の取り巻きたちが色めきだっていた。セイジはそれは強いと思われてはいたが、彼らのような屈強な男達に複数で絡まれるのは不利である。
「セイジさん、ほら、行きましょうよ」
「あいつらが気づいてねえうちに」
「何だ、ありゃあ。なにやってんだ、あいつら」
 口々にそういう取り巻きたちを尻目に、セイジは素朴な疑問を口にしていた。
 見れば、彼らは中央にいる黒服の男を護送しようとしているところのようだ。黒服の男の方は背ばかり高くて痩せていて、もしかしたら、まだかなり若いのかもしれない。屈強な男達が複数で監視して取り巻いているのは、少し異様な光景だ。
「ああ、捕虜の連行ですよ」
「捕虜ぉ?」
「さっきも何人か連れて行ってたはずですよ。あいつらが捕まえて投降させたんでしょ? ほら、あいつら傭兵だから、投降した兵士を本隊に連れて行くと金になりますからね」
 素っ頓狂な声をあげるセイジに、取り巻きのひとりが丁寧に教えてやる。
「んじゃ、何で一人だけ残ってんだ?」
「さあ、抵抗したのか、順番で連れてっているのか」
「なんだ、お前等! 邪魔だ!」
 いきなり大声で怒鳴りつけられ、取り巻きたちはびくりとした。視線を向けると、そこにいるのは人相の悪い連中の中でも、もっとも人相の悪い男だった。ただですら強面なのに頭をそりあげ、眉毛もない。彼らのリーダー格の男だった。
 男は、セイジに気がつくといらだった様子になった。
「ちッ、なんだ、お前か。どこから沸いて出たんだ」
 セイジはにやっと笑う。
「はは、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。俺は、神出鬼没で有名な男さ。気づいたら後ろにいることだってあるさ」
「減らず口を。あまり調子に乗ってると痛い目みるぜ」
 男はそう凄みながらセイジに近寄るが、セイジは顔色一つ変えない。むしろ、周囲の人間がはらはらしてしまうほどである。
「そんなことより、随分物々しいじゃないか。捕虜は一人みたいだけど、どうしたんだい?」
 セイジは、平気な顔でそんなことをききながら、護送される男を見た。先程より距離が近づいていて、顔までわかる。
 背が高いがやはりやせていて、近くにくると随分若い印象があった。それに、いかにも傭兵である男達に比べ、その青年は上品ないでたちであり、黒い服を着ていたが服装もきっちりとしていて、周囲から浮いている。見た目もなかなかの美男子で、気位の高い貴公子風でもあった。どこかの儀杖兵でもやっていそうな雰囲気だった。
 ただそうは言えど、彼にはどこかの所属を示すようなものが存在しなかった。おそらく、彼もまた流れの傭兵なのだろう。
 その青年の腰にはまだ剣が提げられたままになっている。それを男の一人が取ろうとしたとき、青年はきっと彼をにらみつけてその手を厳しく払った。
「触るな!」
「っ、てめえ!」
 すぐに男達は色めきだつが、青年はつんとした冷たい表情を崩していなかった。
「投降するつもりだが、お前たちにするつもりはない。上官に面会し、そこで武器を渡す」
「ふん、随分お高くとまっているな。どこのお坊ちゃんかしらねえが、そういう態度取れる立場だと思ってるのか?」
 青年はきっぱりとはねつけるが、その返事に気を悪くしたらしくリーダー格の男がセイジの前を離れて振り返ってそう言い放つ。すたすたと青年の傍までいくと、彼は青年を見下ろすようにした。
「私を含めた部隊が投降したのは、投降すれば温かく迎えるとの言葉を信じたからだ。少なからず、ザファルバーンの王の軍は評判もよく信頼もできるときいている。しかし、お前たちのように、わざわざ相手に過剰な辱めを与えるような真似をするやからが跋扈しているとは、私は聞いていなかった。お前たちのような者の存在は、お前たちの雇い主にとって信頼を穢すものであり、到底信用できるものではない。だからこそ、お前たちの上官にあって、その態度を見たうえで投降するかどうか決める」
 青年は、物怖じせずにはっきりとそういって、男を睨み付けた。ふん、と男は笑った。
「ふうん、面と同じようにお上品な奇麗事を言いやがる。気にくわねえな、お前」
 そういうと、彼はきっと顔をゆがめ、いきなり丸太のような腕で青年の顔を殴り飛ばした。青年はひとたまりもなく吹っ飛ばされ、地面に倒れこむ。
「そういう口きくつもりなら、今すぐトドメを刺してやってもいいんだぜ? え? 坊ちゃんよ」
 青年の頭をすかさず踏みつけ、熱い砂漠の砂にめり込ませながら、彼は嘲笑した。
「自分の立場をわきまえな!」
 更に頭を踏みつけながらそういうと、周りの男達が笑い出し、青年はされるがままになっていた。リーダー格の男がそこを退くと、すかさず取り巻きの一人が青年を蹴り付けて生意気だなんだと罵倒した。
 セイジの傍にいる男達は、その場の嫌な空気に顔をしかめていたが、当のセイジは笑いもしなければ眉をひそめることもしなかった。青年の様子をただ注視しているだけだったが、そんな中、ふと顔をあげた青年と一瞬目が合った。青年は先程までの澄ました様子ではなくなっており、一瞬、その目がギラリと危うい光を放った気がした。
 セイジは何を思ったのか、しばらく考えていたが、不意に「おい」と声をかけた。
「それ以上はやめときな」
 男達の笑いがやみ、リーダー格の男がセイジをにらみつけた。
「なんだ、お前が止めるっていうのか?」
「そうじゃねえよ。でも、それ以上は止めておいた方がいいと思うぜ」
 そんなことを言い出すセイジの雰囲気が、いつもと少し違っていた。いつも陽気な彼だが、そのときは周囲の空気が少し冷たくなったかのような感じだった。セイジはかすかに笑っていたが、愛想笑いというには剣呑な表情だった。
「何? どういう意味だ?」
 そんな彼の空気に釣られてか、リーダー格の男は、目を細めて一歩前に足を踏み出した。
「そういう奴はな、下手に刺激すると……」
 セイジがそういうのと、いきなり青年が自分を踏みつけていた男の足首を掴んだのが同時だった。
「うおッ!」
 転びそうになって慌てる男と、青年が剣を抜きながら起き上がったのが同時だ。ぎゃあっ、と悲鳴が上がり、男は腕を切られてひっくり返っていた。
「何しやがる!」
 他の男達が慌てて剣を抜いて、青年に切っ先を向けようとしたが、青年の方が早かった。剣を抜こうとしているところに、柄にそのままぶち当てられそのまま蹴り倒されるもの、それに一瞬ひるんだ隙に剣の柄で殴り飛ばされるものが続く。
「てめえッ! やる気か!」
 リーダー格の男が、剣を抜いて彼に向き直る。が、その彼の視線とぶつかって思わずぎょっとしてしまった。
 青年は、はあはあと息を荒げていた。そもそも激戦を終えて投降してきたばかりである。疲労も蓄積しているし、別におかしなことではないのだが――。
 ところが、青年が彼らに向けた目はまるで獣のように血走っていた。その目は、やや焦点が合わないような様子で、ただ目の前の彼らだけを映していた。先程まで非常に冷ややかな印象だった青年だが、今や彼らを襲う獰猛な獣同然になっていたのだ。息を切らしているのも、疲労からではなく、彼が突如として強い興奮状態に陥ったからに他ならない。
 青年は無言に落ちていたが、その殺気は言葉よりも雄弁に彼らへの殺意を語っていた。ここで抵抗すれば、彼は投降したとみなされずに多数の敵に囲まれる。もはや彼の命はないものであるが、彼はそのことすら認識できていないのだろう。
「チッ、イカレてんのか?」
 男がやや怯みながらそう吐き捨てた途端、青年の軍靴が砂を噛んだ音がした。ばっと彼は男に襲い掛かった。その動きは、男の予想したものよりも早かった。かろうじて青年が斜めに振り上げた剣を弾き、真っ向から叩き潰そうとしたところで、すでに弾かれた剣を戻していた青年が追撃してきていた。男の右腕に赤い筋が走り、彼は驚きの叫び声をあげた。
 続いてやってきた痛みに男が右腕をかばおうとした瞬間を逃さず、青年はトドメとばかりまっすぐに彼の胸を突こうとした。
 その瞬間、何か赤いものが彼と男の間に割って入っていた。甲高い金属音と共に青年は剣を弾かれていた。
「おいおい、それ以上やったらトドメ刺しちまうぜ? それぐらいにしとけってば」
 いつの間にやら間に入っていたのは、自分の大剣を抜いたセイジだった。その大剣を軽がる振り回し、自分の突きを弾いた彼に、青年は何か危険を感じたのか無言で彼から距離をとった。
 今のセイジは、やたらと不穏な空気を放っていたので、青年が警戒したのも無理はないだろう。彼は、セイジは、にやっと笑って付け加える。
「まー、殺すつもりでやってんだろうけどな」
「て、てめえ」
 セイジにかばわれる形になった男が、セイジに声をかけるが、彼は男の方など見向きもしなかった。ただ、彼は青年に屈託のない笑みを浮かべて話しかけただけだ。
「おい、若造」
 無言で目をぎらつかせたままの青年に、セイジはやや口の端をゆがめつつ剣を向ける。
「選手交代だ。今度は俺と勝負しようぜ?」


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