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シャルル=ダ・フールの王国

論客の余暇


 ここは、ザファルバーンのやや東の街。その家の一つから突然白煙があがり、大きな音が立つ。
「サイイド様!」
 立ち上る白煙に驚きつつ、その家の召使いは慌てて主人の部屋に飛んでいった。しゅわーっと何かが蒸発する音がして、咳き込む声が続いている。
「サイイド様ぁ! 大丈夫ですかっ!」
 部屋はまっしろで視界もなにもなく、主人が生きているらしいことが咳の音だけでわかるぐらいだ。
「サイイド様!」
「やかましいわ! げほっ、ごほっ!」
 むせながら、意外に元気な声が帰ってきた。
「見てわからんのか! わしが大丈夫じゃないのは、一目瞭然じゃろがあっ! げほっ! な、なんでワシを助けにこんのじゃあ!」
「いえ、お姿すら見えませんから、助けようがありません」
 ますます元気そうに怒鳴る声に、召使いは安堵のあまり冷たい言葉を返す。やがて、もうもうと部屋に立ちこめる煙の中から、痩せた老人がひょっこり出てきた。二枚目というより、若いときからきっと三枚目といわれつづけたのだろうなあ、と即座に予想できる、何となく愛嬌のある顔をのぞかせて、男は短めのあごひげを撫でた。
「お主、近頃めちゃくちゃ冷たくないか!」
「いいえ、昔からです。そして、ご無事で何よりでした」
 思い出したように心配の言葉を続けた召使いの態度に、サイイドは、むふーと不満げに息を漏らす。
 部屋の中は散らかり、怪しげなガラスと金物の入れ物がバラバラになっている。
「また、あの怪しげな実験ですか?」
「あやしげェッ! キサマ、ワシの神聖なレンコン術……いや、錬金術を怪しげというかー!」
「いや、だって、どう考えても怪しいではないですか? 鉛が金になるはずもないですし、大体、サイイド様は、その実験用具一式を怪しげな男から買い取ったのでしょう?」
 召使いは冷めた様子で首を振る。
「やーかましいわい! 常人でない男から買ったんじゃ! 常人ではないから、お主のような凡人には怪しげに見えるんじゃ!」
「だから、間違いなく騙されていますって。無理ですよ!」
 大方詐欺にあっているんだろうと召使いは思っているが、サイイドの方は自信満々である。
「無理なことをやるのが漢(おとこ)というもんじゃい! それに、やれないことをやるからして、金がもうかるんじゃ! もし、成功したら、ワシの馬鹿稼ぎじゃぞー!」
 ヒョーヒョヒョと怪しい笑い声をたて、サイイドは両手を広げる。あきれ果てる召使いだが、もう何もいう気がないらしい。怪しげな男から買い取った謎の実験道具で、この男が怪しげな実験をはじめたのは実のところつい最近のことである。
 だが、サイイドは幸いなことに、熱しやすく冷めやすい性格をしていた。きっと、この無益で危ない遊びもそのうち飽きてくれるだろう。
「金が欲しいのでしたら、いっそのこと、ザファルバーンに再び仕官すればよいではありませんか。少なくとも、サイイド様は天才だと自分でもおっしゃって……」
「あの国だけは無理」
 スパンとサイイドは即答して、ふいっと顔を背ける。
「無理って、昔、あそこにお仕えになっていたのでしょう?」
「あそこには、ハビやんがいるじゃろが。ワシ、若い頃からあいつは苦手。大体向こうにきらわれとる。それにワシも昔ッからあいつだけは嫌い」
「それは、サイイド様が、昔大騒ぎを起こしたからだとか」
「失敬なっ! ワシは、ただ、ハビアスの開いた宴会で楽しく酒を飲んでみんなで騒いだだけじゃ!」
「……し、しかし、主な貴族を招いての宴会だったと聞いておりますが?」
 召使いが戸惑いながらいうが、サイイドは自信満々にうなずいた。
「そうそう、酒飲んでみんなで暴れて楽しかったのう。しかも、騒いだワシのが、あのハビアスより最終的に気に入られたのじゃ! そうか、あいつはそれでワシを妬んでるんじゃなあっ!」
 長年の疑問が解けた! という表情のサイイドに、召使いはため息をつく。
(ソレは、妬んでいるというより、あなたが面目をつぶしたので怒っているのでは……)
「しかし、あの時は楽しかったの〜。酒はうまいし、飯はうまいし」
 うっとりとするサイイドをみて、召使いは軽く頭を抱えた。どうもまともに仕官させるのは無理らしい。もとよりそれなりに財産のある家にうまれたことだけがサイイドの救いなのかもしれないな、と彼は深々とため息をついた。


 このサイイドという男、それが、かつて、あのハビアスと互角に張り合った論客だったということを知っているものは、今ではほとんどいない。



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©akihiko wataragi