※注!この小説には、暗殺編のネタバレがありますので、ご注意下さい。
シャルル=ダ・フールの王国
夫婦の会話
「あの……」
シャーは食事の手を止めて、彼らをみやった。食事の置かれた絨毯の周りに座ってはみたものの、先ほどから場は静まり返っている。ひたすらものを食す音と、料理をとりわける時の音がするぐらいだ。
ザファルバーンにおいても、食事の時、それほどしゃべらない方が行儀がいいということにはなっている。もちろん、シャーのような騒がしい男でも、そうするのが礼儀だといわれれば、黙っていても平気なのだが。
少々、この沈黙は、それとも質が違った。
「…………あのう」
もう一度、シャーはそうっと声をかけてみる。返事はかえってこない。その代わりに、正面にいた男が軽く眉をひそめて、わずかに首をかしげる。『どうかしたのか』ときいているらしい。
(いや、それぐらい口できいてくれても……)
そうは思うが、シャーも思わず、それを目で問うてしまうのだった。
ここは、ザファルバーン七部将の一人である、カルシル=ラダーナ邸の一部屋である。将軍といっても、さほど豪華でもない質素な古い家は、割と過ごしやすい空間になっている。
ラダーナに食事に来るように誘われて、いや、その誘いも厳密に声をかけられたわけでなく、文書でされたわけであるが、シャーは、ラダーナの家にやってきていた。
ラダーナと妻、そして息子にかこまれた食卓は、ラダーナと二人きりでいるときと同様に、あんまりにも静か過ぎる世界である。
下手な仮面よりはよほど無表情なラダーナは、相変わらずなので、よくはないのだが、この際よしとしよう。それより問題なのは、ラダーナの横にいる女性だ。切れ長の目をしたすらりとした美人だが、これもまた無表情なのである。別に無表情なだけならまだいいとしよう。リーフィなどで、ここのところ、シャーも無表情な女性にはちょっとなれた。だが、このラダーナの妻も、無表情なだけでなく夫と同じく徹底的に無口なのだった。
旦那も無口だし、妻も無口だし、おまけに十になるかならないかぐらいの息子までだんまりである。正直居辛い。
「いやっ、そのっ! ラダーナの家ってさ。いつもこんな感じ……なのかなっ?」
むやみに明るくきいてみると、ラダーナはこくりと頷いた。頷かれても困る、が、シャーはぎこちなく笑いながら、果敢にソレに立ち向かう。
「そ、そうかぁ。れ、礼儀正しいんだね。さ、さすが?」
そうはいってみるけれど、その場の雰囲気が軽くなるわけでもない。遠くで鳴く鳥の声が鮮明に聞こえる食事時。酒だって出ているのに、この静けさはおかしい。
「あ、あのう、行儀悪いんだけど、ちょっと風に当たってきていい? よ、酔っちゃったみたい」
そういうと、ラダーナは、少し考えるようなしぐさをした後で、頷いた。どうぞ。ということらしい。
「あ、じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
そういい残すと、シャーはあわただしく席を立って、思わず部屋の外へと逃げていった。
そもそも、シャーのような男は静かな空間が苦手である。元々口数は多いほうだし、無駄口も好きなほうだし、人の無駄話を聞くのも好きなほうである。酒を飲んだら騒ぐ方が好きだし、周りでわいわい騒いでいると、ちょっと落ち着いたりする人種なのだった。
そういうシャーだから、あの空間は彼にとっても結構辛い。
「悪気はないだろうけど、無言の圧力って恐い……」
つぶやきながら、はあとため息をつくシャーは、静寂の館をぼんやりと見つめた。中庭に座って、ぼうっとみやると、窓を通してラダーナたちの様子がこちらからだけ見える。
「それにしても、ラダーナはともかくとして、……奥さんまであんなんだなんて」
正直、それで大丈夫なのだろうか、この家は。
「説明しようか?」
いきなり声をかけられて、シャーはびくりとした。今までこの屋敷でしゃべるのは自分ぐらいなもんじゃないかと思っていたものだから、安心するべき状況なのだが、やはり突然声をかけられると驚く。
シャーの視線の先には、先ほどラダーナの側に座っていた少年がたっていた。ラダーナの息子である。
「せ、説明って?」
「うちの両親のお話のこと」
一応しゃべるが、何となく無表情だ。やはり、血筋だろうか。
「せ、説明してくれると、お兄ちゃん、とてもありがたいんだけれども……」
「うん。じゃあ、説明してあげる」
シャーがそういうと、彼はひょこんと頷いた。かわいいのだが、何故かとっつきにくい子供である。
ちょうど窓のほうから二人の表情が見えていた。少年は、ラダーナのほうを指差しながらいった。
「お兄ちゃんにはわからないかもしれないけど、あの二人は喋ってるんだよ」
「ええっ、そうなの? い、いつ? 小声なのかい?」
「そうじゃないよ。顔つきをみればわかるんだ」
「ええっ!」
シャーは、子供に合わせたわけでもなく、素で驚いた。
「ちょ、ちょっと待って……。あのさ、それ、顔で本当にわかるわけ?」
「うん、わかるよ」
じゃあ、説明してあげる。少年は、再びラダーナのほうをみた。ラダーナはわずかに首をかしげた。
そして、少年が彼らのほとんどわからない表情の変化から語ったものとは以下のようなことだった。
ラダーナの妻がそれに合わせて少しだけ眉をひそめる。
『殿下は、出て行ってしまったけれど、あなた、もしかして、何か悪いことをしたかしら』
『あの方はもとからああいう方だから、別に気を悪くされたという感じではないと思う。きっと、少し一人でお休みになりたかったのだろう』
『まあ、それならよかったですわ。……そういえば、明日のお仕事のことですけれど……』
「という感じだよ」
少年の解説が終わったとき、シャーは半ば呆然としていた。
「え、ええと、そんな複雑な話してた……の?」
「うん。いつもそうだよ」
「へえ、……夫婦の絆ってすごいやー」
あと、それを解釈できるこの少年もすごい。家庭環境というものの影響もすごすぎる。
シャーは、寡黙でコミュニケーションというものをほとんど取れないようなラダーナが、家庭でだけは完璧にコミュニケーションをとっているらしいことに、何となく驚きを隠せなかった。
「お兄ちゃん、そろそろ帰らない? 次は、多分一番のごちそうが運ばれてくるんだよ」
「そ、そうだね。ありがとう」
ともあれ、幸せそうなのはいいことだ。シャーはそう考えることにして、少年と共に再び沈黙の食卓へ戻っていった。
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