シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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ネズミとリーフィ-5

 月の出ていない夜だ。ほとんど暮れてしまった暗い道を一人ひたひた歩きながら、ゼダはもの思いにふけっていた。夕暮れの暗い空に煙がふらふらとわずかに揺れながらのぼる。それを何とはなしに眺めながら、ゼダは先程のリーフィを思い出していた。
「共犯者ねえ」
 それは、ある意味では絶対的信頼を抱いているということを見せつけられたようなものだ。苦笑いしながらゼダは続けた。
「……あんな変なところだけ不器用な三白眼に妬けちまうことがあるとはねえ。世も末だぜ」
 夕方になると急に気温が下がり、寒くなる。ゼダは、あえてくらい道をふらふらと歩いていた。相変わらず袖を通さずにきている上着を、少しだけ風が揺らす。
「シャー……あの三白眼野郎ねえ……」
 例の名前を呟きながら、ふとゼダは顎を撫でた。
「そういえば、この街にはシャーがもう一人いたんだったな」 
 広がる夜の空を見ながら、ゼダは人寂しい道で、煙草の火を消し、それをしまい込んだ。ぴたりと足をとめる。
「なあ、そろそろいいだろう? もう誰も見ちゃいねえよ」
 ゼダは、上着をわずかにはねながら、そっと背後に目をやった。
「オレは、見かけほど気が長くねえ。……ずらずら、ずっと着いてこられるとどうもイライラするんだよ……。決着は早めにつけようぜ」
 そうゼダが口を開いたとき、暗い空に、ちらりと何かが瞬いたような気がした。ゼダは冷静に左手にかけていた柄をそのまま引き抜くと、一瞬だけ魚の鱗のように光ったものに向けて斜め上に薙いだ。甲高い金属音と共に、確かな衝撃があり、ゼダは刀を振るった勢いを利用してそのまま振り返った。
「いきなり飛び道具とはやるなあ」
 ゼダは、にんまりしながらたたき落としたばかりの短剣をちらりと確認した。
「てめえ、どうして……」
 闇の中から低く唸るような声がした。それが、例の男であることは姿をみなくてもわかる。
「何故わかった! どうして、オレがついてきていることがわかったんだ!」
 興奮気味に話す男の声をききながら、ゼダは物憂げに笑った。
「オレもどっちかてえとしつけえ方だからな、おたくさんのようなシツコイ奴のことはよくわかってるつもりだ」
 ゼダは、剣を無造作にさげている。別に構えをとるでもなく、警戒するようすもない。
「一度恥をかかされると、どうしてもそいつに落とし前をつけなきゃ、気が済まなくなる。そうだろ、……おめえさんがそうであるように、オレも落とし前ってやつをつけるのが、好きなのさ」
 闇に慣れた目に、一人の男と後ろに数人が見えた。ベリレルは、すでに刀を抜いている。血の気の多い奴だ、と心の中で嘲笑いながら、ゼダは冗談めかして片目を閉じた。
「でも、集団で来るとはいけすかねえなあ……。おたくさんは、勝負の醍醐味って奴がわかってねえらしい。あの三白眼野郎より無粋とは、こりゃちょっと問題だぜえ」
「るせえ! なんで、いちいちオレの邪魔をするんだっ!」
 話を聞かない様子の相手が、夕闇の中ですでに斬り掛かりそうに剣を構えているのがわかった。ゼダはその緊迫感を肌でひしひし感じていた。
「頭の悪そうな質問だけは勘弁しろよ、わかんねえのか?」
 ゼダは挑発的に言って、前髪に隠れかけた目を相手に向けた。
「正直、てめえがどうしようが、オレの知った事じゃないね。そもそも、オレみたいな放蕩三昧の遊び人が、てめーに説教どうたら垂れる気なんざハナからねえよ。オレがてめえに関わった理由はただひとつだろ? ただ、単純にてめえが気にくわなかったからよ」
 ゼダは、冷たく言い放ち、闇を透かして取り囲んでいる連中の顔を見やった。
「それに、その顔ぶれ……てめえ、あの三白眼野郎と同じ名前の奴、シャー=レンク=ルギィズに雇われたんだろう?」
「ち、違う! オレはッ!」
 ベリレルは顔色を変えた。この街には、シャー=ルギィズという男が二人いる。片方は、酒場で踊ってばかりの遊び人のシャーで、もう一人は、暗殺から詐欺まで手がけるという噂の大悪党のシャー=レンク=ルギィズという男である。王都に一大勢力をもつ、レンク=シャーを人違いして、シャーに会いに来るものもいるほど、紛らわしい名前をしているが、二人自体は間違いようのない別人で、その人相風体から性格まで共通しているところは全くと言っていいほどなかった。
「レンク=シャー……ねえ。……あの男なら、あり得ない話じゃねえ」
 ゼダは、笑いながら目を伏せた。 
「てめえは、確か、前の親分に頼まれて、その宿敵を闇討ちにした。ほとんどだまし討ち同然だったんだろう? そんなてめえを手元に置いておくような奴なんていねえよ。だって、そうだろが、いつ寝首かかれるかわかんねぇもんなあ。信用問題にも関わるし……。たった一人、あの底意地の悪いレンクをのぞいてはな!」
 ゼダは、ベリレルの真っ青になった顔を見ながらにやりとした。
「あのレンクって奴がオレは嫌いでねえ……。やくざの癖に、王宮の王妃とつるんで、この前の内乱の時に、王子を次々と殺したのは、あいつだって話だろ? やくざの癖に女に買われて暗殺に手を貸すような、その腐れきった根性が、オレは昔から嫌いだったのよ! ……だから、それにやすやすと飼われてるような、てめえが余計に気にくわねえんだよ!」
「う、うるせえっ! オレは、あいつとは関係ないッ!」
 ベリレルは叫ぶようにいった。だが、ゼダは喋るのをやめない。
「でも、わかるぜ。さすがに、てめえと関わりをもってるってことを、あのレンク=シャーも表沙汰にしたくねえんだろう? だから、てめえに口封じをした。……だが、オレは、その後ろの数人を見たことがあるのさ。レンクの屋敷に出入りしてるのをな!」
「ごちゃごちゃうるせえっ! 耳障りだ!」
 ベリレルの怒鳴り声を受けて、ゼダは軽く肩をすくめた。
 たっ、と音が鳴り、ベリレルが一歩足を寄せた。ようやく影からでてきたベリレルの顔色は、何故か青ざめて見えた。八割方は怒りによるもので、あとの二割は光の加減だな、とゼダは、他人事のように思った。ベリレルは、すぐに口を開いた。すでに抜きはなっていた刃が、落陽の残光を浴びて赤くきらめいた。
「殺してやる!」
 風を切り裂きながら、いきなりベリレルはゼダに斬りかかった。ゼダは、冷静に足を後退させ、それを余裕で避けてひき下がる。
「今日は血の気の多い奴と縁があるみてえだなあ」
 そんなことを言いながら、ゼダは剣を引きつけて顔を上げた。
「いいか、オレから抜いたんじゃねえぞ。オレは売られた喧嘩は買う主義なんだ。最初に言っておくが、オレはあの三白眼とは違う。ああいう器用な可愛がり方はできねえ! 覚悟しとけよ!」
「うるせえ!」
 ベリレルの言い分を無視して、うっすらと笑いながら、ゼダは首をやや斜めに傾けた。
「だから、もう一度いっておくぜ……。オレから抜いたんじゃねえ、どうなろうが、オレの知った事じゃねえからな!」
「ごちゃごちゃうるせええ!」
 ゼダの御託に聞き飽きていたベリレルは癇癪を爆発させる。その声に弾かれて、闇に潜んでいた者達も、行動に移る。
「うるせえしか言えないような、頭の悪い奴とは戦いたくねえんだがなあ」
 ゼダは冷たく笑みながら、足を進めた。
 砂で固い地面を踏み出す複数の音が、走るゼダの耳に響く。もう太陽は落ちてしまっていて、目の前の暗さは徐々に増していく。その中で、影がわずかに動いているのがわかる程度だ。
「そこだな!」
 ゼダは、一番右側に身を寄せた。そこから一人飛び込んできているのがわかったからだ。さすがに、この状態で数人と一度に戦うほど、ゼダは馬鹿正直ではない。
 ゼダの使っている剣は、相手に太刀筋が読まれないかわり、扱いづらい剣でもある。敵の攻撃を受け止めるには、そう適していない。斜めに体をそらせながら、剣を受け止めたゼダは、鍔ごと相手にぶつかるように力を入れた。みかけよりゼダは力がある。そのまま、弾みと力ずくで相手を押し倒し、ひっくり返させると、素早く横からかかってきた男に剣を返す。
 しゃあっと沈み込みながら進んでくるようなゼダの独特の剣使いに、男は一瞬戸惑った。そもそも、刀の形状が特殊であるだけでも動きが読みづらいのに、ゼダはおまけに左利きで、右利きの人間とは筋が逆になる。男は、ゼダの刃が歪みくねりながら迫ってくるのを目にした。
「うわあああ!」
 ヒュッと風の音が鳴ると共に、男のわめき声が闇の中に響き渡り、何かが倒れる音がする。近くにいたものが、慌ててそちらに向かう。
 わずかな光の下で、男が一人倒れている。その両手が首筋にあてられ、そこから血が溢れていた。
「おい!」
「安心しろォ! 加減してやったんだ! そのくらいで死ぬほど、柔じゃねえだろうがよ!」
 ゼダの声が笑いを含みながら響いた。
「おいおい、首の皮一枚かすっただけで気絶するとは、それでよくこんな仕事やってられるなあ」
 男をのぞき込んでいた男の肩に、ひょいと手が乗った。ハッと彼が振り返ろうとしたとき、ゼダの膝がみぞおち付近を強打する。そのまま崩れ落ちかける男を、地面に叩き伏せ、彼は上着をまだ肩にひっかけたまま、身を軽く翻す。
 しゅっとゼダは頬の先に風圧を感じて、顔を逸らす。視線の先を、冷たい刃物が通っていった。ゼダは、視線を下げる。ベリレルの血走った目とあい、ゼダは笑みをゆがめた。 身を翻した一瞬を、ベリレルに突かれたのだ。奇声をあげて、ベリレルはもう一閃した。ゼダは体勢を大きく崩しながら、下からそれを打ち上げる。軽く前髪に掠ったらしく、髪の毛がはらはらと顔にかかるのがわかった。上着が肩から外れ、はらりと落ちる。
「くそっ!」
 勢いに任せてベリレルの振るったもう一筋を、ゼダは身を反らしてやりすごす。反った体勢を立て直し、後退すると、ゼダはにやりとした。
「なるほど、……頭が悪いわりにゃあ有名だと思ったら、ソコソコ腕はあるんだな! 見直したぜ!」
 ゼダは、体勢を低くとり、軽く左手の柄を持ち直す。足下に、例の赤い上着が落ちていた。
 先程二人ほど痛めつけたが、連中はまだいる。闇にまぎれて、数人確認できないものがいるが、見えている五人の他にもきっといるだろう。
(さすがにこれだけの人数捌きながらやるのは、ちょっと辛いもんがあるが……)
 ゼダは、前髪を軽く払い、闇を透かすようにして見た。
「まぁ、どうにかなるだろうぜ」
 ゼダは、足下の上着を蹴り、同時に地面を蹴った。ベリレルと、見えている限りの数人の男達はゼダに向けて一斉に飛び掛かってくる。駆け寄りながら、ベリレルは目に迫ってくる数本の刃のわずかな照り返しをみながら、どう対処するか一瞬で考えをまとめる。
 普段の大人しい男の目とは明らかに違うゼダの目は、蛇のようというよりは、獣のような殺気を含んで輝いているようだった。


 向こう側から、金属のぶつかる音がしきりに聞こえてきていた。
「どうだ?」
「さあ、今日は暗くて、……よくみえねえんだが……」
 男二人が路地の上に立って向こう側の様子をうかがっていた。彼らがここにいるのは、余計な通行人を遮断するためでもあり、向こうで戦っている仲間達が不利になれば、応援をよこさせる使いを呼ぶためでもある。
「ベリレルって奴の護衛を頼まれてるからなあ、一応危なくなったら、手を貸さないと……。親分は、あいつには利用価値があるから見殺しにはするなっていっていたからな」
「ああ……。まあ、相手は一人だというし、大丈夫だろう?」
 男の一人が肩をすくめ、ふと物音のする反対側に足を進めた。
「おい、どこいくんだ?」
「ああ、大丈夫なら、ちょっと酒でもと思ってよ。冷えてきたし、それに、どうせあいつが勝つだろうからよ」
「まあ、そりゃそうだが……」
 彼は、迷うことなくずんずんと闇の中に進んでいくが、男は止めきれない。どうやら、彼の方が少し地位が上のようだ。
「なにかあったら呼んでくれ! この先でちょっと飲んでくる!」
「あ、ああ……わかった……」
 仕方なくそう答え、男はため息をついて仲間を見送る。月のない夜の闇は、簡単に彼を飲み込んでいった。
 向こう側からは、まだ金属の音と喚くような人の声が聞こえる。戦況はわからないが、あれだけ仲間がいるし、ベリレルの腕も知っているので、男はあまり心配しなかった。
 ふと、ざりざりと後ろから微かに足音がした。砂をすって歩いているような音に、男はふと耳を立てる。闇の中で、わずかにふらふらと歩いてくる人影が見えた。どこかの酔っぱらいでも迷い込んできたか、それとも通行人か。男は、追い払おうと、そちらを向いた。
 闇の中の人物は、軽く手をあげたようだが、足を止めない。
「やぁ! お久しぶり! 元気?」
 そんな声をかけられ、男はきょとんとした。聞き覚えのない声だし、それに、第一あまりにも緊迫感がなさすぎる。これは本当に酔っぱらいだろうと決めつけて、男はとっとと追い返そうと、足をやってくる通行人の方に向け、そのまま詰め寄ろうとした。 
「なんだ、てめ……」
 そういいかけた男は、思わず瞬きした。というのも、先程までふらふらと近寄ってきていた人物が、突然、タッと足を速めたからだ。そのまま、ぶつかりそうなほど近くまで駆け寄ってきた人影とすれ違うかと思った瞬間、男はぐふ、と息を詰まらせる。ふらりとよろめいたところを、上から強く打ち込まれ、そのままその場に崩れ落ちた。
「さっき、一杯ひっかけにいったお仲間は、先に夢の中だ……。あんたもさっそく、夢で一杯やれよ」
 そういって、すっと突きだした刀の柄を引き、闇にかくれていた男は、痩せた体をひょいと近く壁にもたせかけた。足下では、先程の男がだらしなく気を失っている。それを冷徹な目で確認して、彼は物音のするほうに目を向けた。
「おたくついてるね。相手があいつじゃなくて」
 冷たくいいながら、彼は夜になぜか余計に青く見えるような瞳をちらつかせていった。
「ホント、マジで、幸せだと思いなよ」





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi