シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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ネズミとリーフィ-2


と、後ろからベリレルの手首を誰かが掴んだ。
「や、やめてあげてください!」
 気弱そうな声が聞こえ、ベリレルはちらりとそちらを見る。赤い上着の男が、震えながら彼を止めていた。背はベリレルよりは少し低い程度だが、一般的に見てそれほど低いほうではない。気弱そうな外見の男で、いかにも目立たない感じがした。
「じょ、女性に手をあげるのは感心しません」
 チッとベリレルは舌打ちをした。身なりからして、どこかの商人の小間使いかなにかだろう。とんでもないところに邪魔が入ったものだ。
「関係ないだろうが!」
 ベリレルは、わざと怒鳴りつける。大概の場合、一度は止めてみたものの、こういう連中は厄介ごとを恐れてそれで引き下がるものだ。だが、男は頼み込むように言った。
「そんな……。お願いですからやめてあげてください。もし、この人が何かしたのでしたら、私が対価をお支払いしてもよいですから……」
 なかなかしつこい。ベリレルは、この男を相手にしているのが面倒になってきた。
「るせえ! この女はオレの女だ! オレがなにしようと関係ねえだろうが!」
 ベリレルが男を突き飛ばそうと手を振り払おうとしたとき、突然、ベリレルの右手首を握っていた男の指の力が強くなった。大した男ではないと思っていた油断から、ベリレルは、いきなりの力にいとも簡単に手を上に引っ張られた。
「今何てったァ?」
 いきなり声色が変わり、先ほどまで彼に声をかけていた男の声は恐ろしく低くなっていた。ベリレルは、彼の方を向いた。と、その男はいままで縮めていた身を、しゃんとのばしていた。
 口元が、目に映る色とは対照的に、にやりと楽しそうに歪んでいた。それに反して、ベリレルの右手首は、いっそう強い力でつかまれてしろくなっていた。
「時間与えてやっから、もう一度言ってみろォ。てめえ、人が下手に出てやってんのに、どういう態度だ? 人が大人しくしてりゃあつけあがりやがってェ!」
 いきなり言葉遣いが激変した相手に、ベリレルは少なからず驚いたようだ。先程まで自信なさげに伏せられていた目は、きっと彼の方を挑戦的に見上げている。完全に目が据わっていて、一瞬酔っぱらいかと思ったが、据わっているらしい瞳の輝きは、いやに冷静なままだ。
「な、何だ、お前は……」
「何だっていいだろうが。それよりも何だ、今のはよ? オレは刃傷沙汰にならねえように、わざわざ丁寧に話しつけてやってたんだぜ? ええ? どう考えてもキラワレちまってる癖に、その女を所有物呼ばわりたぁ、悪党だな、色男!」
 態度のかわりかたがあまりにも凄まじい。さすがのベリレルも、不気味そうな顔をしていた。だが、そんなことはお構いなしに、男はベリレルの手を離すこともなく、彼を睨むように見ていた。
「オレがもう一度言ってみろといったのが、わかんねえのか? ああ?」
「あなた!」
 リーフィは、その顔を見て思わず声をあげた。男は、一瞬わからなかったようだが、リーフィの顔をちらりとみてにやりとした。
「ああ、あんたかい? 久しぶりだな?」
「ちっ!」
 一瞬、彼の指の力が緩まったのか、ベリレルはその手をふりほどいて、少し離れたところでいきなり剣を抜いた。白昼にぎらりと光る刃物をみても、相手の男は表情も変えず、飄々と立っている。
「気の短ぇ野郎だな。いきなり突っかかることもねえだろうに」
 そこにいる男、富豪カドゥサの御曹司であるウェイアードは肩をすくめた。いや、厳密に言うと、ゼダといった方がいいだろう。
 カドゥサの御曹司のウェイアードがとんだ放蕩息子だと言うことは有名な話で、その不気味な剣さばきでも悪い風聞を流している。だが、彼の正体を知るものは案外少ない。ウェイアードが、「ゼダ」という呼び名で呼ばれ、自分の使用人である「ザフ」という美男を身代わりにして、普段、自分はその影で大人しい下男のふりをしていることなど、彼の仲間でも知らないものがいるほどである。
「てめえ! 何様のつもりだ!」
 ベリレルは、カッとしてそう怒鳴りつけた。
「いきなり人が話しているところに割ってはいってきやがって! てめえには関係のねえ事だろうが!」
「何様のつもりィ? てめえこそ何様のつもりだ?」
 ゼダは静かに言い返す。
「女を泣かすのァ別に構わねえが、白昼堂々町中でやるもんじゃねえだろォ? そんなこともわからねぇのか、ええ? 色男さんよォ?」
 独特の絡み口調で、ゼダは口許だけ笑いながら相手を見た。元々それなりに派手な服装をしているゼダなのだが、普段はそれでもいるかいないかわからないほど、存在感が薄い。だが、こうなった時のゼダにはその衣装が実によく似合う。どこか退廃的な影を引きずる彼には、そうしたびらびらとした着崩した赤い服が、口から出る言葉以上に、彼の存在を語っている。
「そんなに女といちゃつきたければ、色街に行けばいいだろが。いやがる女を引き留めるほどみっともねえことはないぜ? てめえも男だろ? キラワレちまったのがわかったんなら、大人しく手ェひきな」
「てめえに説教されるいわれはねえぜ!」
「ふん、説教だの講釈だの垂れる結構なご身分じゃあねえよ。ったく、正しい女遊びの仕方の一つしらねえとは、無粋な野郎だぜ。そんなんじゃあ、小間使いのガキにも口きいてもらえないぜえ?」
「なんだ!」
「で、どうなんだ、ここでやるつもりかい?」
 ゼダは、腰の剣には手を触れないまま、袖を外して前屈みになった。上着をだらりと肩に掛けて腕組みをしている。喧嘩の売り方にしても、あまりにも大胆だ。ベリレルは、思わずムッとする。剣を握る手に自然に力がこもる。ぎり、と、軋んだような音が、静かな空間に響く。だが、それでも、ゼダは、なおも引く気配はない。
「てめえ……!」
 歯を噛みしめながら、危うく飛び掛かりそうな自分を必死で押さえて、ベリレルはゼダを睨み付けた。
「オレをなめてるのか!」
「おいおい、オレがこんなでけえ面してる理由もわかんねえまま、そりゃねえだろう?」
 ゼダはそれを軽く笑い飛ばすと、ちらりと背後を見やる。その動作に、一瞬だけベリレルはぴくりとした。ゼダの視線の先には、建物がある。その影に目をやった彼の行動が、一体何の意図を含んでいるか、ベリレルは悟ってしまった。
「おお、どうした? 顔色が変わったなァ?」
 ゼダは面白そうにそういってにやりとする。
「て、てめえ!」
「あー、当たりだ。そうよ、残念だったなあ、あいにくと今、オレは一人じゃないんだぜ。まあ、これほど無粋な話もねえだろうが、鬱陶しい野郎共が後ろからひたひたついてきてやがるのさ。オレは噂は気にしねえ方だから、奴等呼んでてめえを袋にしてもいいわけだが?」
 ゼダは目の前に下がってくる前髪を払うこともせず、ぶらりと足を前に出す。
「……さぁて、色男さんよ、どうするつもりだい?」
 ゼダは、前髪の裏側から嘲笑うようにベリレルを見た。夜の暗闇から心底を見通してくるようなシャーの青い目も相当不気味だが、ゼダの視線はまた彼とは違うイヤな感じがする。そういうときのゼダの視線は、蛇の目という例えがぴったりと当てはまるような、そういうじっとりとして冷静でいるくせに、妙に凶暴な目をしている。
 しばらくにらみ合っていたベリレルは、とうとう先にゼダから視線を外した。
「チッ! ……てめえ、覚えてやがれ!」
 ベリレルはそういって、きっとリーフィの方を見る。不意にその視線をはばむようにゼダがふらりとリーフィの前に足を寄せてきた。
「ふん、どこの組織にはいったか知らないが、オレはオレで用心深いほうなんだ。夜道につけねらうなんて真似はすんじゃねえぜ」
 もうベリレルは言葉を発さず、ただ、唇を噛みしめただけだった。目は怒りで暴発しそうだったが、ゼダは物憂げに笑うばかりだ。そのまま、もう一度ゼダを睨み付け、ベリレルは走り出した。やがて、狭い路地の角を曲がり、彼は荒々しくその場から姿を消した。
 ゼダはふらりとリーフィの方に向き直った。その目に、先程ほどの不穏さはもうない。
「大丈夫だったかい?」
「ええ。……助けてくれてありがとう。……でも、まさかあなたが助けてくれるとは思わなかったわ」
「ソレはオレも同じことさ。……ありゃ、この街では結構有名な野良犬野郎だ。命令されりゃ何でもやるっていう噂のアブねえやつだ。そんなのとあんたがお関わりになっていたとはね……」
 ゼダはそういったが、リーフィは答えない。表情は変わらないが、リーフィのしろい顔を見て、ゼダは慌ててとりつくろった。
「すまねえ、今のは皮肉で言ったわけじゃあねえんだ。勘弁してくれよ。それより……」
 ゼダは、少しだけ愛想笑いを浮かべた。とはいえ、それは彼が普段外向けに浮かべているような穏やかな笑みからは遠い。やや不敵さののぞく笑みのまま、ゼダはそれでも少し優しい口調で言った。
「さぁて、あんたと邪魔もなしに二人だけで顔を合わせたのは、今回が初めてだな?」
 ゼダはそんなことを言って、袖をはらってにやりとした。リーフィは、ハッとして顔を上げる。
「あなた、一人じゃないとさっき……」
「あぁ、あんなのはただのはったりよ。まあ、うまくかかってくれたようでよかったぜ」
 ゼダは軽く鼻先で嘲笑うようにいってから、やや声の調子を変えた。
「どうだい? あんたもあんな事があって落ち着かないだろ? ……休憩がてらにオレにちょっとつきあってくれねえか?」
 リーフィが答える前に、ゼダは、ああ、と慌てて付け足すように言った。
「別にいかがわしい話じゃねえんだよ。ただ、昼でも一緒に食わないか、ってそう誘っただけだ。……無理にってわけじゃあねえ、嫌なら断ってくれて結構なんだ」
 いきなり自信がなくなったのか、ゼダは急に少ししおらしい事を言った。そのせいではないのだが、リーフィは、そうね、と静かに答える。
「それじゃあ、ご一緒させていただくわ」
「そうかい、そりゃよかった」
 ゼダは、ほんの少しだけ嬉しそうな表情を見せたが、例の純真そうな笑顔はすでに彼の顔にはなかった。そこにいるのは、不敵に笑うカドゥサの放蕩息子そのものだった。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi