一覧 戻る 進む


サギッタリウスの夜-21  

 ザファルバーン七部将と呼ばれる有力な将軍たちがいる。
 彼らは先王セジェシスの時代に重用された将軍たちであるが、全員がシャルル=ダ・フールの東方遠征に絡んだことから、彼とは良好な関係にあるといわれており、彼らの支持があったからこそ王位につくことができていた。
 その一人であるハダート=サダーシュの屋敷に、ひっそりともう一人の将軍であるジェアバード=ジートリューが訪れていた。なりあがりもので、その銀髪に肌の白い外見からしてよそ者であるハダートと、ザファルバーンに古くから支配層として君臨していたジェアバード将軍とは、当人たちの一見真反対な気質もあって、何となく疎遠な印象で他人からは見られているが、実際は、二人は親友といっていい間柄であり、家族ぐるみの付き合いもしていた。ただ、それは、ハダートの判断であまり公にはなっていなかったが。
 それなものだから、ハダートの屋敷に彼が訪れて何か打ち合わせをするのも、別段珍しいことではなかったが、今回はもう一人その謀議に加わるものがいる点ではいつもと違う光景だった。
 場所は、ハダート=サダーシュの私室である。彼がその部屋に入れる人間は、常に厳選されていた。逆に言えば、よほど信用の置ける人間以外は、部屋に入れていないということでもある。
 ちょうど、話が途切れたところで、ばたばたという羽音を聞いて、ハダートはおやおやと気づいたように鳥籠に近づいた。その鳥籠には、メーヴェンという名前のハダートの飼っているカラスが入っていた。
「おお、悪い悪い。もうおやすみの時間だったな」
 ハダートは、丁寧に鳥籠に布をかけてやる。普段は人を食ったところのあるハダートだったが、彼はこのカラスには並ならぬ愛情を注いでいる。その動作は、冷淡な彼には珍しく、愛情に満ちていた。
「それでだ」
 と、声をかけたのは、椅子に座っている赤毛の男だった。ジェアバード=ジートリューは、やや難しい表情をしていた。
「昼間のカッファ殿の事件について、あちらの動きはどうだ?」
 鳥籠に布をかけ終わって、ハダートは彼のほうに向き直る。
「ああ、一応探らせているんだが、あまり目立った様子はなくてね。それに、あのサーヴァンのおねーちゃんが襲われた事件の時も思っていたんだが、一度失敗しているわけだろう。続けて同じ人間使って襲撃事件やるほど、あの女狐は無用心じゃねえ気がするんだよな。とりあえず、カッファ殿が負傷したような噂をばらまいて、あちらの反応をうかがってるところさ」
「それもそうだな」
 ふむ、とジェアバードは、軽く唸った。
「さて、それについて、貴殿のご意見を伺いたく思い、ご足労願ったのだが……」
 そういって、彼らは、反対側の席に座っている黒服の男を見やった。何となく暗がりに身を寄せていると、その闇の中に溶け込んでしまいそうな危うい気配はあるものの、意外にその姿は武官然としていたが、ただ、彼が正規の軍人ではないことは身なりから予想ができた。
「以前からハダート将軍には申し上げているが、私は、サギッタリウスの仕業であるとは考えていない」
 そう口にするのは、ジャッキールだった。
「もちろん、今回のことについても、あの男の仕業とは考えてはいない。あの男の興味は、シャルル=ダ・フール本人であるだろうし、いまさら、目立つ襲撃はしないだろう。神殿で放たれた矢は二本。ということは、射手が二人いるはずだ。そのことについて調べは?」
 ジャッキールは、ちらりとハダートのほうを向いた。
「もう一人の射手については、アンタの友達のジュバから聞き出したよ。雇われていた射手は、複数いるとのことだったが、一人、エルナトと名乗っている若造がいたらしく、その男がサギッタリウスの次に腕が立つだろうといっていた。だから、その男とサギッタリウスの二人が射手なのではないかってね。知っているかい?」
「エルナトか」
 ふむ、と唸ってジャッキールは腕を組む。
「聞いたことがあるな。ザファルバーン出身の傭兵で、俺が見かけたころには、売り出し中だった」
「へえ、よく覚えているな」
「気性の荒い男で一方的に突っかかってきたからな」
 ジャッキールは苦笑する。
「そのような男だったから、もし、サギッタリウスと一緒に雇われていたなら、一方的に競争心を抱いていた可能性があるし、一度の襲撃の失敗であきらめないかもしれない。女狐の仕業でないとすれば、その男の暴走かもしれんが……」
「暴走……ということは、つまり、サーヴァンの娘やカッファ殿など、陛下に近しい人物を襲撃して、襲撃の失敗の回復を図っているということか」
「その可能性はあると私は思っている」
 ジェアバードの言葉にジャッキールはうなずいた。
「女狐は、一度の失敗を許さない女だと聞いている。ましてや、相手はどこの馬の骨ともわからん流れの戦士。失敗して秘密がバレる前に消そうとしているだろう。その失敗を回復する為の襲撃でもあるかもしれん。それと、もう一つ……」
 ジャッキールは少し考えつつ、
「もしかしたら、シャルル=ダ・フール本人をもう一度引きずり出す為に、周囲の人間を狙っているのではないかとも思うのだがな。お前が出てこなければ、近しい人間を殺すという脅しだろう。あの事件以降、シャルル=ダ・フールは、宮廷内に引きこもっている、こと、になっているからな」
 やや含みをもたせつつ、彼は続けた。
「しかし、サギッタリウス自身は、ヤツと面識があるから、最初の襲撃の時に、あれが影武者であることには気づいているはずだ。それがゆえに、壁掛けの紋章を撃ちぬいた。あれは、ヤツなりの伝言だな。だから、そのようなまどろっこしいことはせんだろう。第一、あの男は、ああ見えて気が長い。焦って暴走することはない」
「確かに、はずした矢のほうはリオルダーナ製だった。アンタの話に寄ると、サギッタリウスはリオルダーナ人だったな」
「そうだ。リオルダーナでも古い家柄の出だったな」
 ジェアバードは、ふと眉根を寄せる。
「リオルダーナとは仇敵だ。特に今王位についているのは、かつて戦王子と呼ばれた男。あの男、アルヴィン=イルドゥーンとは、直接刃を交えているし、油断のならない男だということは知っている。その男がリオルダーナ人となれば、アルヴィンと女狐が内通しているのではないかと、疑うものもでてきているのだが……」
 はは、と、ジャッキールは軽く笑った。
「その心配はない。あの男の家は、幼少期に取り潰されており、あの男は故郷を捨てているとのことだった。もっとも、貴族に返り咲いていても、あの男自身は、アルヴィン=イルドゥーンとは水と油でな。気が合わなかった。それに、いくらアルヴィンでも、そこまで姑息な手段は使わんだろう。そういう男ではなかった」
「なんだ、アンタ、あいつと面識があるのか?」
 ハダートは、意外そうな顔になった。
「ラゲイラに仕える前に、一時雇われていたことがある」
「ふーん、アンタも、つくづく色んな仕事やってるな」
「それでは、リオルダーナ本国とは関係がないということだな」
 ハダートの感想をやや無視しつつ、ジェアバードは安心したようだった。
「つながりがない証拠に、女狐からあの男は解雇されているだろうと踏んでいる。その後、命を狙われている可能性も高いが、ヤツなら返り討ちにしているだろう。何か、そのような事件は起きていないだろうか?」
 ジャッキールはそう尋ねた。
「元部下のメハルから、いろいろ情報を得ているが、ここのところの厳戒態勢下のせいか、事件の数自体が減少していると聞いている。身元不明の死体の話もないが、ただ、そうだな、……奇妙な乱闘事件があったと聞いている」
「ほう? それは?」
「夜の路地裏で、数名の男たちが倒れており、事情を聞いたところ、喧嘩をしたのだということだった。だが、相手の姿がなく、問い詰めたが、当人たちは、お互いで殴りあいの喧嘩になったのだと言っていたという。不審な点はあったが、それ以上、詮索することもなさそうだったので解放したとのことだった。もう一つは、集団で乱闘を繰り広げているところを発見したが、数名の男に逃げられたとのことだった。ただ、それらの男たちは、よく似通った風貌であったり、訓練された兵士のような動きをしていたとの報告がある」
「それは、おそらくサギッタリウスの仕業だろう」
 ジャッキールは、やや苦笑して、
「俺なら相手を殺すところだが、生かして帰すとは、あの男らしいことだ」
「なんだ、結構かしこいんだな」
 ハダートが、感心したように言った。
「この状況で死体が見つかったら、大事になる。生かして帰したなら、女狐の手下も決して本当のことを言わないだろうし、大事にもならないからな」
「あの男は馬鹿だが、その辺の勘は働く。それに、あの男は基本的に無益な殺生は好まんからな」
「意外と慈悲深いんだな」
 だが、と、ジャッキールは目を細める。
「この結果から、あの男が非常に強いということはわかってもらえるだろう。相手を生かしたまま、追い払うというのは、単に殺すより技術がいることだ。まともに敵に回せば油断がならん」
「それについては私も同感だ」
 ジェアバード=ジートリューは、ため息をついて腕を組んだ。
「しかし、エルナトとやらも、サギッタリウスも、このまま放置しておくわけにはいかんだろう。アレもそろそろ気づいているし、カッファ殿が狙われた件では逆上しているかもしれん」
「一応、女狐のところに押しかけていないことは確かみたいだぜ。流石にアイツもそこまで馬鹿じゃない。それに、派手な服着た子供みてえな顔の兄ちゃんが、後を追いかけていったところまでは報告が来ている。仲間がいるんなら、頭も冷えてるだろ」
 ハダートがそう答え、ちらりとジャッキールを見やる。
「俺も、ヤツが夕方に合流する約束をしているということで、安心して放置してきた。今夜のところは大丈夫だろう」
 とジャッキールは、やや苦笑する。
 それならいいのだが、とジェアバードはつぶやいた。
「ともあれ、明日、今日の調査の報告が私のところに来るはずだ。また、明朝にでも話がしたい」
「そうだな、今後の出方を考えねえとならねえし、アンタも協力してくれるだろ」
 将軍である彼らと違い、ジャッキールが彼らに協力する義理はない。いつの間にこんなことになったのか。かつては、自分は、彼の首を狙う敵だったはずなのだが。
 そんなことを一瞬考えたのか、ジャッキールはやや苦笑い気味だった。
「このような事態だからな。今更、見捨てるわけにもいかん」
 ジャッキールは、そう答えて立ち上がった。
「では、また明朝に。今宵は失礼させていただく」
 簡潔に礼をして、ジャッキールはさっと扉から出て行った。扉の向こうで、ジャッキールと誰かが軽く挨拶を交わしている気配がする。
 そして、程なく入れ替わりに現れたのは、髪を結んだ綺麗な女だった。
「あら、お客様がお帰りだったようだけれど、もう、お話は終わりかしら」
「ああ、今日のところはな」
 ハダートは、やれやれとため息をつく。
「せっかく飲み物を持ってきたのに、残念ね。ジェアバード、飲んでいって」
「ああ、すまないな、エルテア。いただこう」
 そういって飲み物を差し出す彼女に礼を言った。エルテアは、ハダートに尋ねる。
「あのお客、近頃良くいらっしゃるけれど、何か不穏な人ね。どこの軍属でもなさそうだけれど、傭兵くずれかしら」
 もともと、将軍として軍を率いていた男勝りのエルテアだ。ハダートと結婚して以降は、軍属を退いていたが、かといってその性格がおとなしくなるわけもない。彼女は遠慮なくそう尋ねてきた。
「もともとは、ラゲイラんところで、シャルル=ダ・フール暗殺の為の部隊の隊長をしていた男だよ。今は、アイツのお友達の一人さ」
「なるほど、貴方とはそこで知り合ったというわけね」
 一時、ハダートは、ラゲイラとつながりを持って内偵のようなことをしていたことがある。そのことを知っているので、エルテアは、すぐに理解したようだったが、すぐに眉根を寄せた。
「けれど、大丈夫なの? あの事件の関係者なら、ジェアバードの元で指名手配がかかっているような人でしょう?」
 エルテアは、やや怪訝そうにたずねた。
「いろいろあって、今は、手配は取り消してるけどな。今じゃすっかり協力者なもんでね」
 ハダートは、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「アイツも相変わらず、人を丸め込むのがうまい男だよな。自分の首を狙ってた、しかもかなり危ねえヤツを味方につけるんだからさあ」
 とやや口悪くいいつつ、ハダートは、ま、とため息をついた。
「でも、あれを拾ったのは儲けもんだったよな。あの男は、敵に回すと厄介だが、味方にしてれば、面倒見も良くて裏切らないぜ。普通にしてれば、頭も悪くねえからな。案の定、いい兄貴分になってるみたいだ」
「私も、当初は、そんな男と付き合っていて大丈夫なのかと懸念していたが、実際に会って話してみると……。あの言動からすると、もともとはどこかで仕官していた男だろう。今も、まともに仕官していれば、それなりの地位につけたはずだが――」
 ジェアバードは、何か思うところがあるらしく、残念そうな口ぶりだった。
「確かに、ラゲイラは、例の王子を王位につけた暁には、やつを将軍に抜擢するつもりだったらしいからな。まあ、でも、あの男は、ちょっとした”病気”があるからな。自分でもそれがわかっているから、まともな職についてないんだろ」
 ハダートは、ため息まじりにつぶやく。
「まあ、しかし、アルヴィン=イルドゥーンとも面識があるとは思わなかったけどな。なかなか、油断のならない男だよ。でも、ま、アレと付き合うのには、それぐらいのほうがいいのかもしれねえけどな」
「アレ、といえば、陛下のことでしょう? 近頃は、お加減はいいのかしらね」
 妻に聞かれて、ハダートは、ん? と首をかしげた。
「さあ、あの男が言ってたろ。夕方に落ち合う約束をしているってさ。……ま、あの綺麗なねーちゃんに悩み事きいてもらってるうちは、大丈夫だってことだろうよ」


一覧 戻る 進む