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サギッタリウスの夜-9

 
 ゼダは、酒場を出ると、どこにいくつもりなのか、シャーの前をふらふらと歩いていた。商業地の大通りのほうに向かっているようにも見えるものの、まだうろついている兵士達を避けてか、裏路地をジグザグに進んでいった。
「まったく、強引に連れ出しやがって!」
 シャーが不満げに言い捨てると、前方を歩いているゼダが肩をすくめた。
「お前は心配しすぎなんだよ。リーフィが大丈夫っていってんだから、任せてやりゃあいいじゃねえか」
「そんなこといって、あんなことがあった後だと、心配に決まってるだろが」
「まあ、そういうなって。お前も心配されてんだよ」
「は?」
 いきなりゼダにそんなことを言われて、シャーはきょとんとする。ゼダは、足を止めてシャーの方に向き直る。
「お前さ、この間の一件から様子おかしいじゃねえか」
「べ、別に、そんなことねえよ!」
 ずばりとゼダに切り込まれて、シャーはやや狼狽気味だ。ゼダはそのまま続けた。
「んで、この件についても、いつもはしねえような、真剣なツラァしやがって。あんまりお前が入れ込んでふさぎこむとよくねえってんで、リーフィも心配しててよ。自分は大丈夫だから、お前、遊びにつれってってやってくれって頼まれたんだよ。気のつくいい娘だよなあ」
「え、リーフィちゃんが? そんなことを?」
 ゼダは、肩をすくめる。
「意外にスミにおけねえじゃねえかよお、お前」
「そ、そんな気を遣わせてたのか」
 シャーが思わずしょげそうになるが、ゼダは続けて言う。
「ま、そういうことだから、気ィつかわねえで、今日ぐらい遊びに行こうぜ。大体、あのコが大丈夫ってんだから、大丈夫だろ。オレ達より、リーフィのがよっぽどしっかりしてらぁな」
「それはわかってんだけど、こんな時に遊ぶ気になるかよ」
 しかも、何かあったらジャッキールが助けに来るとも言っているし。とはいえ、シャーとしては、彼女達を二人っきりにしておいて、遊びに行くのに抵抗があるのだった。
 すると、ゼダは、にんまり笑う。
「んじゃあ、遊ぶついでに情報収集するなら気が済むのかい?」
「あぁ? どういう意味だよ?」
 シャーもゼダの前では、ガラが悪い態度が出る。
「今回の一件の情報つかむのに、割といい遊び場所知ってるんだよ! ま、黙ってついてこいって」
 ゼダは、面白そうに笑うと、再びシャーに背を向けた。
 やはり、ゼダが向かっていたのは、大通りに面した場所だった。そこは酒場や食堂の立ち並ぶ商業地の一角だったが、盛り場というにはあまり華のない場所だった。そして、その店もどこかしら無骨で、少なくとも、綺麗なおねえさんのいる店ではなさそうである。
「んじゃ、ここに入るぜ」
 ゼダは、取り立ててなんの説明もなく、店の扉を開けた。
 店の中は洒落た酒場か軽食堂といった雰囲気だった。昼過ぎだというのに客の姿はあまり見なかったが、それよりもシャーが目に留めたのは、その酒場の中に矢場や投げナイフ用の的などが設置されていたことだ。ここはどうやら客にゲームをさせながら、酒や料理を提供する店らしいが、また賭場とは違った雰囲気で、どちらかというと遊技場といった様子だった。王都には色々な店もあるし、シャーなどは粋がってた頃には賭場にも相当出入りしていたが、この手の店は珍しいと感じていた。どこか上品な雰囲気があることもあり、金がないシャーは今までこの店には立ち入ったことはない。
 物珍しげに視線を向けていると、店主らしい男がちらりとこちらを見た。そして、やや慌ててこちらに出てきた。
「これは、坊ちゃん。お珍しいところで」
 店主は、ゼダにそう挨拶をする。なるほど、この店はゼダにの実家、つまりは、カドゥサの支配下にあるらしい。
 ゼダは、表情も変えず坊っちゃん然としていたが、二重生活をしているゼダの顔を知る人間は、そうそういないのだから、それなりに親しい人間なのだろう。普段のように、大人しい男風に見せることもしなかった。
「おう、ちょっくら遊ばせてもらうぜ。なんだ、客の入りがイマイチみてえだなあ」
「ええ。ここんとこ、例の襲撃事件があったでしょう? うちは、兵士達や流れの傭兵が通ってたんですがね、こないだから怪しい奴はいないかと役人たちが聞き込みに来てるもんですから、警戒して寄り付かなくなったんですよ。お陰で閑古鳥です。いい迷惑だ」
 店主は、ため息混じりだ。
「そいつは残念だな。弓引くのが、好きな流れ者連中の話をきいてみたかったんだが。そういう客もちょっとは来るのかい?」
「あぁ、流れ者風の男が一人、ここ三日ほどメシを食うのに通ってきてますが、その男以外はまばらですね。常連客は、今は、妙な動きして睨まれるとヤバイてんで、まだあまり戻ってきていないんです」
「そうか、当てが外れたな」
 ゼダは、顎に手をやって少し考える。
「まあ、使用禁止とはいいませんが、今は弓なんかひかねえ方がいいですよ、坊ちゃん。目ぇつけられたらろくなことはありませんからね」
「そうさなあ。弓でも引かせてもらおうと思ったが、それじゃ、他のにするか」
 ゼダは、そういいつつ向こうに置かれた他の遊び道具に目を走らせていた。ふと、店主はシャーの方に目を向け、怪訝な顔になる。
「お連れ様ですか。見慣れないお顔ですが……」
「なぁに、ちょっと新顔なだけで怪しいやつじゃねえよ。俺の知り合いさ」
 警戒した様子の店主に、ゼダはそう言いおいてシャーの方をちらりと見た。
「まあいいや、遊ばせてもらうぜ。実は昼飯食いそこねてさ、軽いもんも用意してくれ」
「ええ、ご用意さしあげますよ」
 ゼダはそういうと、すたすたと店の中ほどに歩いていった。シャーはその後を追いかける。
「なんだ、ココ、お前の実家がやってんのか」
 ゼダはにんまりとする。
「実家っていうか、ココの経営については俺が権利持ってるんだよ。だから、アイツはオヤジより俺に対して義理があるというわけ。そんなわけで、アイツなら信用できるから安心して遊べ」
「へえ、お前が経営してる割には、ずいぶん色気のねえ店だな」
 シャーが正直に感想を述べる。ゼダは肩をすくめた。
「色気のある店抱えてんのは、あいにくとオレの管轄じゃなく、俺の実家の管轄なんだよ。それに第一、お前だって、女はべらす気分じゃねえだろうと思ってさ」
 ゼダのいうことももっともだ。確かに、今はそういう気分でもない。
 ゼダは勝手に的に近い空いている席を陣取ると、机においてある短剣を手にとった。
「んで、だ」
 ゼダは、利き手の左手で短剣を手に取ると、シャーの方に向けた。
「今日はコイツで遊ぼうぜ」
「短剣投げか?」
「おー、そうだ。とりあえず、十本ずつ投げてその成績で競うんだが、いきなり弓矢引くのも疲れるし、メシがくるまでの準備体操ってことで、それまで交互に投げてようぜ」
 シャーは、あまり気乗りしない様子だった。今日は色々な事があって、精神的にも疲れていたのだ。第一、シャーは、極端に絡まれやすいことあって、人前で自分の力量を示す行動を取るのは好きではない。どこで誰に見られるかわからないし、それで妙に弱点でも探られても困る。
「ガキの遊びに付き合ってられるかよ。お前だけて遊んでろよ。オレはメシ食ってぼんやり見ててやるから」
「へぇ? まさか自信がないとか?」
 ゼダがにんまりと笑いながら、横目でシャーを見た。シャーがむっとした顔になる。
「ま、自信がねえなら無理にとは言わねえぜ? オレと勝負になるし、負けるとカッコ悪ィだろうしな。大体、お前、剣一本みたいだもんな。あ、いーんだぜ、気にしてねーから」
「なにい?」
 シャーは、唇のあたりをひきつらせた。
 普段は、絡まれないように目立たないようにしていることの多いシャーだ。しかし、ゼダの挑発には基本的に素直に乗るのが彼の常でもある。普段、どれほど挑発されても、事なかれ主義を貫くシャーだったが、どういうわけかゼダの挑発だけは許せないらしい。
「ふん、貸せよ!」
 シャーは、ゼダから短剣をひったくり、そのままその位置から、的に向かって剣を投げた。短剣は難なく的の中心に突き刺さった。
「お、意外にやるじゃねえか」
 ゼダが、割と素直に褒めると、シャーは不機嫌に口を尖らせる。
「あたりめーよ! 剣しか取り柄ねえのは、俺じゃなくてジャッキールのダンナのことよ。一緒にされちゃ困るぜ」
 何気に欠席のジャッキールに酷いことを言いつつ、シャーは短剣をもう一本とって、手のひらでくるくると回しながら弄ぶ。
「さて、次はお前の番だぜ」
「よっし」
 そう水を向けると、ゼダはにんまりと笑い、右手に短剣を構え、そのまま短剣を投げた。軽く投げたように見えるそれも、また的の中心に吸い込まれていき、カツと乾いた音が鳴った。
「おい、お前、今右で投げただろ」
「それがなにか?」
 ゼダは、わざとらしくにやりとシャーのほうを見る。ゼダは、本来左利きなのだ。ということは、今のは、「俺は利き腕じゃなくても、これぐらいの芸当は簡単にできるんだよ。お前はどうかな?」という意味なのだった。
(コイツ! つくづく腹立つな!)
 シャーは、むすっとして左手に短剣を取った。
「おいおい、無理しないでいーんだぜ」
「無理じゃねーよ。見てろよ!」
 シャーはそういい置くと、的の前に立った。
 ふっと一息ついて、シャーは目の前の的に狙いを定めた。そして、短剣を振りかぶって投げた。
 シャーの放った短剣は、そのまままっすぐ的の中央に向かって飛んでいたようにみえた。が。結局、ついと狙いが逸れ、中央付近で刺さらずに跳ね返ってしまった。失敗したと気づいた頃には、ばん、と跳ね返されて、そのまま無念そうに床に落ちる短剣が、無情な音を立てていた。シャーはさっと青ざめた。
「あー!」
 シャーが頭を抱えてひざをつく。それをゼダが冷めた目で見やりながらため息をついた。
「だから無理するなって言っただろ?」
「む、無理じゃねえっつの。い、今のは、おかしい。いつもならできるんだよ!」
 説得力のない言い訳を述べながら、シャーはゼダをにらみつけるが、今のは非常に格好悪い。ゼダが、何となく哀れみの目でこちらを見てくるのも腹が立つ。
「本調子じゃないなら、無理すんなってば。カッコつけてもしょうがねえだろう?」
「だ、だからー、今のなし! もう一度やれば絶対……!」
 シャーがそういいかけたとき、ふと、背後からやけに豪快な笑い声が割って入ってきた。
「はっはっはっは、小僧、それでは当たらんぞ」
 その声に驚いてシャーとゼダは、同時に背後を向いた。
 そこには、いつの間にか、黒い服を着た大柄の男が立っていた。
 男は、偉丈夫といって良い外見をしていた。背も高いが、体つきもがっちりしており、日に焼けた肌をしていた。目つきは鋭く、口ひげと顎ひげを生やし、黒い頭巾から癖の強い黒髪が肩まで伸びていて、そのまま流されていた。刀と短剣ぐらいしか武器は携帯していなかったが、ただの旅人とも思えない風貌で、一瞬二人が警戒したのも仕方なかった。
 しかし、意外にも男は愛想よく彼らに笑いかけてきた。ヒゲと見かけの怖さでわかりづらいが、男の顔の作り自体は案外上品で、そして笑うと妙に人懐っこい印象を与えるものだった。
「さっきから見ていたのだが、お前達二人は、なかなか手筋が良いらしいな。見ていて楽しかったぞ」
「あ、そ、そう。ありがとう」
 シャーが、反射的にそう相槌を打つ。しかし、と男は続けていった。
「しかし、今のはいかんな。もう一度投げても、多分満点は取れんと思うぞ」
「え? 何でだよ?」
 いきなりそんなことを言われて、シャーはきょとんとする。
「た、確かに利き腕じゃないけど、オレはそこまで不器用じゃ……」
「俺が言っているのはそういうことではないぞ。小僧、貴様、左のアバラかなにか、痛めているだろう?」
 いきなりそう聞かれて、シャーは、どきりとしたらしく思わず左胸を押さえた。ゼダが驚いてシャーを見る。
「ええ? そうなのか?」
「い、いやその」
 ゼダに訊かれてシャーが言いよどむ。
「な、何でわかったんだよ?」
「ははー、難しい理由はないぞ」
 男は快活な笑みを浮かべた。
「左手で短剣を投げる時に、ちょっと妙な投げ方をしていたからな。どこかかばって投げたのか、投げる途中で痛みでも走ったか、どちらかだろうなと思っていたのだ。で、見ていたら案の定外したというわけだな」
「う、うむ、ま、そんなところ、です」
 シャーがしぶしぶ認める。男は、にやっと笑った。
「はは、だから、あまり無理して投げんほうがいいぞ。当てようとすれば、それだけ無理をするだろうし、貴様もちっぽけな意地のために痛い思いをするのはよくない」
 男は、そこでふと話を切った。ちょうどいい香りが、彼らの鼻先を掠めてきていた。どうやら、料理の準備が整いつつあるらしい。
「おう、いい香りがすると思ったら、メシの準備ができたようだ。どうだ、飯は大勢で食ったほうがうまいからな。一緒に食わんか?」
 天真爛漫、という言葉がそっくりそのまま良く似合う調子で、男は明るくそういった。
 シャーとゼダは、やや男のペースに調子を狂わされて顔を見合わせた。ちょっと変わった男だったが、悪いやつでもなさそうだ。それだけに、別に同席を断る理由もない。流れ者風だし、もしかしたら何か情報が聞けるかもしれないし――。
「そ、そうだな。じゃ、相席させてもらうぜ」
 ゼダが代表してそう答えると、男は嬉しそうに笑うのだった。
 

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