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エルリーク暗殺指令-50


 いきなり上空に閃光が走ったのは、シャーとしても思いもよらぬタイミングでのことだった。
 その時、シャーとジャッキールの二人は、庭を横切り脱出のために移動中だった。
 移動はシャーが先行して物陰まで走り、安全を確認してから、ジャッキールを呼び寄せる形で行っていた。
(ダンナ、でかいから目立つんだよな)
 シャーが内心そうつぶやく通り、ジャッキールもこうした潜伏活動にはなれてはいるのだが、何せ彼は大柄で目立ちやすい。シャーほど素早いわけでもないし、下手して見つかると大変なことになるのだ。
 そんなわけで、シャーは細心の注意を払っていた。特に庭を横切るときなどは大変。かがり火に当たって影でも落とそうものなら、誰かに気づかれる。
 ちょうど場所もよくない。桟橋の向こうに泊まる船からも、建物からも中庭が見えるのも問題だった。船はゼルフィスの乱入により大騒ぎのようだが、それでも油断はできない。
 結局、シャーが素早く身をかがめて少し移動して安全を確認してから、ジャッキールを呼び寄せることにしていた。時間がかかるのが難点だが、慎重になるに越したことはない。そうやって、どうにか二人は中庭の門の方まで近づいてきていた。
 あと一歩だ。ここを渡り切ってしまえば、あとは建物伝いに抜けて、例の水路につながるところにたどり着く。これ以降は身を隠す場所も多いので、なんとか逃げていけそうだった。
(やれやれ、あと一息)
 茂みのかげでシャーはようやく安堵して、一息つく。
 近くに傭兵が歩いている気配はしたが、彼らに気付いている気配もなかった。このままできるだけ、穏便に済ませたいところだ。
(さて、あいつらが通りすがったら、ダンナを招きよせてっと……)
 そこは、視界が開けているという一点を除いて、さほど難しい場所でもなかった。
 暗さも十分あるし、ジャッキールでも十分闇に身を紛らわせることができるはずだ。
 人気がないことを確認して、シャーは腰を浮かせて手を上げ合図を送る。物陰のジャッキールが立ち上がるのが、闇の中わずかに見えていた。
 それは、ちょっとした油断だったのかもしれない。しかし、シャーに、次に何が起こるか予想することもできなかったので、彼を責めるのも酷だろう。
 だから、それはとにかくタイミングが悪かったとしか言いようがない。
 ジャッキールが闇に沿うように動き始めた時、不意に風を切るヒューッと音がした。
(なんだ? 上空?)
 シャーは反射的に顔を上げる。それがなんであるか、シャーはまだ予想ができなかったが、その瞬間、視界の先で強烈な光が放たれた。
 反射的に手で視界を覆う。と同時に、爆発音が鳴り響く。
(火薬? 花火か?)
 それにしては光が強かった。が、素早く目を守っていたシャーの視力が回復するのは早かった。
 まだチカチカしていたが、身を起こして周りを確認すると、周囲の傭兵たちのうめき声が聞こえた。
 一瞬あっけにとられたが、シャーはすぐに状況を把握する。
(そういや、アイツら、光に弱いんだっけ? 松明程度で嫌がってたから、これは相当だなあ)
 一体どこの馬鹿が打ち上げたのか知らないが。花火なんて。
 と、のんきに考えたところで、ふと近くで呻く者がいた。
 はっとシャーは身を起こす。
(そうだ、ダンナは! 確か!)
 先ほど、ジャッキールは移動を始めていたところだった。
「ジャッキール!」
 小声で呼びかけつつ、シャーは足音を忍ばせつつ駆け寄る。微かに暗闇にうずくまる人影が見える。
「ちッ」
 ジャッキールの舌打ちが聞こえる。身を起こす彼に駆け寄っていく。ジャッキールは軽く右目を押さえているようだった。
(まずい! そうだ、右目が光に弱いの、まだ回復してないって)
 その時、いたぞ! と背後から声がかかった。シャーは立ち止まり剣に手をかけた。
 半数は光の影響を受けてうずくまっているようだったが、先ほどの会話が示す通り全員がクスリの影響下にあるわけではないし、個人差もある。
 見えているものは彼等は、先程の閃光でシャー達の位置を把握しているはずだった。
「くそっ!」
シャーは応戦すべく剣を抜く。
相手はざっとみて三人。後続もいるようだ。大した腕ではなさそうだが、数では不利だ。
 ひとまず飛び込んできた相手の剣を弾き返し、横様に飛んで腰を払う。一人目が地面に突っ伏したのを見た二人が、シャーにすかさず襲いかかってきた。
その時、横からざっと黒い影が伸びた。人影が一人に重い蹴りを放つ。そのまま蹴倒された男が、、もう一人にぶつかって倒れる。
「ダンナ?」
 予想通り、隣にジャッキールが立っていた。
「まともに相手するな!」
 ジャッキールがシャーの肩をがっと掴む。その挙動が流石に少しふらついていた。
「このまま走れ!」
 そう言われて、シャーははっとして駆け出す。後ろにジャッキールがついてくる。
 背後から声が聞こえる。後続の兵士たちが追い付いてきたのかもしれないが、先ほどの三人がもがいているのかちらりと見たところ近くまで迫っている気配がない。
 ジャッキールの言う通り、走って逃げ出した方が得策のようだ。このまま闇に紛れて走る。
(でも、ダンナ、なんかまだ視力が?)
 後ろについてきているジャッキールが、少し不安定に走っているのがシャーには心配だった。
 そのまま、中庭を抜けて裏へ向かう。
 背後から追手が追い付いてきている気配もないので、少し速度を落として、シャーはジャッキールと並走した。
 ジャッキールは、いつのまにか携帯していた手巾を巻き付けて眼帯の代わりにしている。
「ダンナ、大丈夫?」
「ああ。心配するな」
 ジャッキールの息が少し上がっていた。
「まだ右目には影響がある。少し過敏に反応したらしい。だが、左目は大丈夫だ。隠していれば問題なく見える」
 走りながらジャッキールが答える。
「そ、それならよかったけど」
 シャーが気遣うが、ジャッキールの表情は夜目にも険しかった。
「しかし、今の光で向こうから姿を見られたぞ」
 ジャッキールは建物の方にちらりと目をやる。そこはちょうど閃光から守られた形になっていた。そちらから声が上がっているのを考えると、彼らは二人の位置を把握していると考えた方が良かった。
「船の連中からもな。庭にいるやつは、光の影響をもろに受けるものも多かろう。薬に影響されたものは俺より重傷だろうから、すぐにはものが見えないだろうが、さっきの奴らみたいに、何人か影響を受けなかった奴らもいる。厄介だぞ」
「どうする?」
「こうなったら仕方がない。どのみち、強行突破するしかないからな」
 ジャッキールが、唇を引きつらせてほんの少し乱暴な笑みを浮かべた。
「予定通り、水路を使う。裏門へ。今は俺は夜目がきかない。誘導してくれ」
「う、うん、わかった!」
 シャーはそう応じ、言われた通りジャッキールを誘導しながら走った。

 あらかじめ、配置図で確認した通り、向かう先に裏に抜ける門がある。
 母屋の影になる部分で、一層闇が深く、周囲に人気もない。
 誰もいないのはありがたかったが、シャーですら足元が見えない暗さで、何かに躓きそうになる。
 ともあれ、金属でできた門を力ずくで引っ張る。できるだけ静かにそれを開きジャッキールを先に進めて、自分も忍び入る。扉を閉めて近くにあった木切れを差し込み閂《かんぬき》がわりにする。石の塀を隔てていることもあり、向こう側とは遮断された感じがあって、ほんの少し安心した。
 そのまま、塀にぴたりと背をつけて、息を詰める。
 追手は二人がここに逃げ込んだことを直接は見ていないはずだ。建物がうまく隠してくれている。
 足音が少し遠くでまばらに聞こえる。おそらく別の場所を探している。
(まだアイツらは、ここの水路のことを知らないんだろうな。でも、いずれここも調べにくる)
 だから時間はない。
 しかし、一時的に気配は遠ざかっていった。シャーはようやく息をついた。
「行ったかな?」
 小声で呟き、シャーは壁に寄りかかる。どっと汗が出て、今更息が乱れた。
「ふう、どうなることかと思ったぜ」
「しかし、あまり、時間はないぞ」
「ああ、わかってるよ」
 隣で釘をさすようにそう答えるジャッキールも、肩で息をしていた。
 病み上がりの彼は、いつもよりもどこかきつそうだ。暗がりで顔色ははっきりしないが、本調子でないのは明らかだった。
(やっぱ、ダンナ、なんかキツそうだな。無理させられないよな)
 シャーは、ふとそう強く感じる。
 ジャッキールは、普段はなにかと丈夫な男だ。体力もあるし、回復も早い。何かと彼の年齢をあげつらってからかっているシャーだが、実のところ、その回復力は一目置いている。ザハークとは違う意味で、ジャッキールは敵に回すと恐ろしい相手なのだが、それはこういうところも影響していた。
 しかし、今は病み上がり。確実に体力が落ちていて、まだ回復しきっていない。第一、普段の彼なら、なんだかんだで走った後でもけろっとしているのだ。今日は明らかに回復が遅い。少し胸に手を当てるようにしてもいる。
(なんとかしなきゃな。できるだけ、戦闘を避けて、楽に逃げられるようにしなきゃ)
 シャーは息を整えつつ、眉根を寄せる。
(あの地下水路なら、楽に逃げられるものだろうか)
 そういえば、ちろちろと近くで水の音が聞こえている。
 目を凝らすと例の地下水道に続くとかいうあばらやは、目と鼻の先にあるようだった。入口に鉄の柵がつけてある。
 それのことを相手方が把握しているかは不明だったが、ぱっとみてそこが水路につながる暗渠のようなものになっているとはわかりづらかった。ただ、アイードがもしこのことを相手に伝えていたのなら、きっとここにもすぐに手が回る。
(確かこの小屋からいける水路での逃亡路は、西側に抜ける用水路に入り込むか、半地下を通って川下に向かう……のどちらかだったよな。アイードのことだからきっと舟が係留されているから、それを使える。ダンナ逃すなら舟の方が楽かな。負担を減らすなら川下の方?)
 シャーは身を起こす。
「どっちに逃げた方がいいか、オレ、先に様子見てくるよ」
 ジャッキールはちらりとシャーを見たが反対しない。
「気をつけろ」
「ああ」
 シャーは頷く。
「アンタも気を付けて。なにかあったら戻ってくるから呼んでくれ」
「わかった」
「じゃあ」
 ジャッキールの返答を待ち、シャーは刀の柄に手をかけつつそっと小屋に忍び寄る。
 あたりは暗い。周囲に兵士たちがいる様子はないが、少し前までいた気配はあった。何もない場所なので庭の方にみんな集まったのだろう。名残として、ほとんど消えかけた篝火が燻っている。そのくすぶっている一本を、シャーはそっと失敬した。
 水の流れる音が強くなった。
 簡易の屋根のついた東屋は鉄製の門がつけてあるが、鍵はかかっておらず柵を掴んで引っ張るとぎりぎりと微かな音を立てて開く。
 極力音を出さないようにして門を開いて、シャーは猫のように中に忍び込んだ。
 半地下になったそこには階段らしいものが微かに見えるが、流石のシャーもそこまで夜目はきかない。
 こんなこともあろうかと、先程倉庫でジャッキールが使っていたランプをそのまま持ってきていたので、できるだけ闇の中に沈めるようにしてから燃え残りの火で点火した。ふわっと周りが明るくなる。
 階段を降りると、地下の用水路が見えた。幅は狭いが、その水面に木製の粗末な小舟が浮かべてある。なんとか二人乗れるくらいの大きさだ。
 西側は途中から空が見えているようでほんのり明るく、川下に逃れる側は地下水路を通るようだった。
(悩ましいな。オレ一人なら西側から地上にさっくり出たほうが楽そうなんだけど、ダンナ目立つからな。どっちにしろ対岸に出て逃げちまいたいし、舟はあったほうが楽そう)
 シャーは思わずふむと唸りつつ、そんなことを考える。
 ただし、川下へはそれなりの距離があるようで真っ暗な向こう側を見ると、闇が凝って見えるだけだ。西側は外につながっているようで、うっすら明るくなっている。
(あっちの様子だけ確認しにいこう)
 シャーは西の方をのぞいてから帰ることにして、壁ぎわにある細い通路をつかって向かいに渡った。水音を過剰に立てるのは嫌なので、できるだけ乾いたところを静かに急ぎ足で進む。
 西側は地下になっている部分はほんのわずかで、すぐに外側の用水路に続いているらしい。うっすらとした星あかりが降りてきているので、シャーはそのあたりまで行くことにする。おそらく、道のそばを流れる用水路になっているのだろう。道の往来や様子を探れれば御の字だ。
 上は意外なほど静かだ。傭兵や海賊などがたむろしているのは、あくまでアイードの私邸内だけで外側にはあまりいないようだ。シャーがここに忍び込んできた時と、状況にそうそう変わりはないようである。
(これなら、こっち側に逃げた方がいいのかもな)
 シャーはそう思いつつ、屋根のないところまできてそっと上を伺おうとしたが、ふと人の声が聞こえた。
慌ててシャーは、ランプをマントで隠して光の漏れを抑えると、身を潜めた。
「あれ、おかしいなあ」
 男の声だ。近くの道を歩いているらしい。と、続いて、
「ちょっと、こんなところ、誰もいないじゃない?」
 非難めいたものは女の声のようだった。しかも、どうも年若い。
「いや、この辺りなのは確かなんだ。ただ、うまく入れなくて。何かあったかなあ」
 こんな時間、しかも、こんな事態が起こっているときに、男女?
 と、シャーは疑問に思ったものの、今日はこの区画一体が封鎖されている。いきなりだったわけで、締め出されたものもいるだろう。路頭に迷う男女が迷い込むのはさほどおかしなことでもなさそうだった。
「まあいいや。もう少し落ち着いたら状況も変わるかもしれないだろう。ここでちょっと待たないか?」
「は? アンタなんかとこれ以上話す時間なんかいらないんだけど」
 女の子の方が妙に辛辣だ。恋人同士かと思ったがそうでもないのか、それか、締め出されて女の方が機嫌を損ねているのかもしれない。
「いや、ちょっと歩いてきたし、喉も乾いたでしょう? どこか近くのお店にでも」
「それさっきも聞いたけど、それどころじゃないから」
 辛辣な女の声。どこかで声に聞き覚えもあるような気もしたが、少し距離が遠いせいもあってうっすらとした印象だった。
 男の方がなだめにかかる。
「いや、それはわかったって。じゃあ、このあたりで一回その辺に座って、ちょっと飲み物でも飲んで休もうよ? さっきのところで食べ物とか飲み物買ったしさ」
 男の方はちょっと軽薄そうだが。まあよくある男女が締め出されて、険悪になっての会話なのだろう。とりあえず敵でもなさそう。
「俺も歩き疲れちゃったんだよ。君もそうでしょ?」
 ふーむ、と女の方がが悩んだ気配があった。
 シャーは、ひとまず興味を移す。ともあれ、西側の用水路の状況はわかった。こちらに抜ければ簡単に抜けてしまえそうだ。
(よし、それじゃ、ダンナを呼んで、さっさと屋敷を出ちまおう)
 シャーはそう確認して、ひとまず道を帰りかける。今は通りすがりの一般人を気にしている場合ではない。
「なにこれ? お酒?」
 警戒するような、その女の声に、シャーはぎくりとして一瞬足を止めた。
(今の? やっぱ、聞き覚え……)
 ふと、シャーは、あることを思い出していた。
「ちょっと、酔わせて何かするつもりじゃないでしょうね?」
 当初自分は、メイシアを探していたのだ。
 夕暮れには宿からいなくなっていたあのメイシア=ローゼマリー。今の若い女の声は、彼女に似てはいないか。そういえば、少し訛りのようなものもあるような。
 気になる。
 頭をのぞかせてでも確認しようか。シャーは進みかけた足を止めて、踵を返そうとした。
 が、その時、別の音が聞こえた。ドン、という大きな物音。ガシャガシャという金属がかきならされるような音。
 はっとシャーは顔を上げた。
 今のは、階段の上の方から聞こえた。この東屋の門、いやもう少し遠い。
 もしかしたら、裏門のこちら側に潜んでいるのを見破られたのか?
「畜生!」
 シャーは忍び足にすることもなく、大股に元の道に戻る。
(せっかく、脱出できそうだってわかったのに! 早くダンナをこっちに連れてこないと!)
 階段の上の方で、やはりガタガタという音とののしるような人の声が聞こえてくる。
 シャーは、息を切らしながら階段を一気に駆け上がった。

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