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エルリーク暗殺指令-16

 川面に丸い月が浮かんでいる。


 運河沿いの並木道は、夜は寒々しく人も通らない。
 こんな月の明るい夜でも、夜歩きしようとするものもおらず、あたりは静まり返っていた。昼は水夫や運河に浮かぶ船を牽引するものたちでにぎやかだが、夜の静けさはあまりにも対照的だった。
 シャーがそこにたどり着いた時には、まだ夜は更けているというほどでもなかったのだが、それにしても人がいない。
 いっそのこと寂しいくらいだが、歩き回るのももう終わりだ。くだんの赤い看板の店はこの周囲にある。
 駆け足だったシャーは歩みを弱めて、周囲を見回した。
「あった」
 暗闇の中では赤い看板は非常に見え辛い。目を凝らしてようやく見つけて、シャーはその看板の下に立った。やはり、あたりは静まり返っている。人間はおろか、生き物の気配すらない。みんな眠っているかのような夜だ。
「んー、誰もいねえなあ」
 この店は確か夕方早くにしめてしまう。昼だけやっている店だ。だから、今周囲に人がいないのも当たり前で、それについては最初から予想はしていた。だが、もう少しくらい、何かあってもよさそうなものなのだが。
(この周囲の宿屋にでも聞きこむべきか)
 ジャッキールがいた痕跡も、気配もここにはない。こんなところに来るとも思えない。
 しかし、シャーは、最初からジャッキールを探すつもりできたわけでもなかった。
 ジャッキールを探すのは、おそらく困難を極める。それはここ数日でもよくわかっている。
 あの男自体は目立つ男ではあるものの、さすがに修羅場をくぐってきているだけあって、身を潜めようと思えばそれなりに身を隠せるのだ。
 そうすると、まだしもメイシア=ローゼマリーを探したほうが楽だ。明らかにこの周囲に彼女はいる。街中で探せといわれれば、彼女のような年ごろの娘を見つけるのは困難かもしれないが、場所さえわかれば検討はつく。酒場にも姿を隠さずに現れたのだから、別に潜んでいるつもりもないのだろう。
 ともあれ、メイシアらしき娘が、この店のことを聞いたからには、何かしらの関係があるのだ。せめて昼ならもう少し情報も手に入ったが、しかし、ジャッキールのこともあるのでそんな悠長なことも言っていられない。
「それとも、もうちょいここで待ってみるかなあ」
 シャーはそんなことをぽつんと呟いて、店の壁に背をつけた。
 静かで、風の騒ぐ音がかすかに耳を撫でていく。
(本当に静かだ……。だけど……)
 だが、違和感はある。唐突に何かしらの生命の気配を感じる。風の音に紛れ、衣擦れのわずかな音。
 人間の気配だ。
 シャーは、振り返って身を跳ねのけた。
 一歩、飛びのいて着地すると同時に剣を抜く。向こうから飛び込んできた白銀の光が月の光でギラギラとシャーの目にひらめく。
 甲高い音とともに火花が散った。相手の刃が跳ねる。
 相手は追撃してこず、月光を背景に立っていた。
「あっれー?」
 相手は軽い声で言った。
「へー、思ったよりやるんじゃん? いやあ、一撃でいけたらいいなって思ってたんだけどさっ!」
「いきなり何だ」
 無邪気な声が聞こえてきて、シャーはそちらをにらみつけつつ、苦笑した。
「って聞いて答えるヤツもいねえか。一体誰だ? 誰に頼まれてる?」
「はっはー、物騒だねえ」
 月明りで相手の容貌がかすかにわかる。
 褐色の肌をした白っぽい髪の青年だ。年のころはシャーより少し下ぐらいかもしれない。まだ少年ぽいあどけなさが端々に感じられ、大きな目を面白そうに笑わせている。
「そんな難しい話いいじゃん。単にあんたの首が欲しいだけだよー、俺は」
 彼はそういって、曲刀の刃を撫でる。
「実はさあ、俺、あんたのコト、迎えにいこっかなーとか思ってたワケよ。実はさっき、うちの奴らが迎えにいったんだけど、失敗したんでしょ?」
 彼は短い顎鬚を軽くなでやりつつ、にんまりする。
「へえ、あいつ等、お前らの仲間なわけ?」
「仲間って言われると心外だけどな。俺はあんなに陰湿じゃないもん」
 彼は苦笑する。
「んでも、一応協力関係だからねえ。もうちょっと頑張ってほしかったな」
「お生憎様だな。オレはそんなに甘くはねぇの」
 シャーは嘲笑うようにいうと、彼はそうかもね、といった。
「でも、甘くないトコ悪いけど、俺さあ、今日はアンタには先に死んでてほしいの。そうじゃないと、不幸になるのひとが増えちゃうと思うんだよねー。んで、俺、迎えに行こうとして外に出たとこなんだけど、そうしたら、アンタ、もう来てんじゃん! もうこれ、めっちゃラッキーって思ったよね? だって夜、外出すんの面倒だし、待ってて来てくれるの、超ありがたいよ!」
「何を意味のわかんねえことを!」
 シャーは少し苛立つが、相手は特に気にした風もない。
「オレを狙ってるってことは、メイシア=ローゼマリーって娘(コ)も知ってんのかい?」
「ははー、それはどうかなあー。それは企業秘密!」
 軽くごまかす彼に、シャーは皮肉っぽく笑む。
「ふん、否定する気全然ないってことだな」
「まー、そうとってくれてもいーよ。実際問題、アンタを狙ってるんだし。この状況みたら、あのコだって、大体同じ繋がりだって、馬鹿でもわかんでしょ?」
「へえ、親切だな。それじゃあ……」
 と、シャーは、注意深く相手の様子をうかがう。
「ジャッキールになんかしたの、お前らかい?」
「あー、それそれ」
 と彼は首をすくめた。
「悪いけどさっ、それについては知らねえほうがイイと思うんだよね」
 ふっと青年が風のように動く。それを察知して、シャーは体をかしがせながら剣を斜めに構える。そこに切りかかってきた刃が当たり、うまく受け流す。しかし、意外に重い。衝撃に軽く指が痺れる。
 青年が舌打ちしながら言った。
「だってさあ、それを知ったら、あのひと、不幸になっちゃうじゃん。あんたがどうなろうが知ったこっちゃないけど、不幸になったらかわいそうだもんねー! 俺、こうみえても、意外とジャキジャキのこと、気に入ってんのさあ」
「何!」
 今度はざっと青年の方が飛びのく。
「どういうことだっ! お前、ジャッキールのこと知ってて……!」
 青年は肩に曲刀を無造作にかけて、月光を背景に立ってシャーを嘲笑う。
「だからさ、それは知らないほうがイイんだよ」
 しかし、口こそ軽いが、シャーはこの男に警戒していた。背が高く体格もよいが、それだけではない。獣のように素早く、切込みは鋭い。
 今までのは小手先試しで、まったく本気を出していない。しかし、それだけでも実力はある程度読める。
 だが、警戒しているのを悟られると、間違いなく相手はこちらを舐めてくる。シャーは敢えて強硬な態度に出た。ぐっと睨みつけながら、余裕を見せて嘲笑う。
「一応言っとくが、知ってるんなら早いとこ吐けよ。オレは、今日はすげえ機嫌悪いんだ!」
「はっはー、そーだろうねえ〜。切っ先めっちゃ鋭いし、思ったより荒々しいことするし」
 と彼は軽く流し、
「でも、俺だって、そーそー簡単には教える気はないぜ。だって知らないまま、アンタが死んじゃえばこの話終わりだからさ」
 と、とびかかるようなそぶりを見せたが、はた、と彼は動きを止めた。
「あ、そうだ。名乗るの忘れてたや。俺はネリューム。みんなからネロって呼ばれてる」
「お前の名前に興味はねえよ」
 シャーは苦笑した。
「呼ぶ機会もねえだろうが」
「わかんねーよ? 覚えておいて損はないと思うけどさ。まあでも」
 そういうとネリュームは目を細めてにやっと笑う。
「俺がさくっとここでアンタ殺っちゃったら問題ないよねー。俺もアンタの名前呼ばなくて済むから聞かなくてもいい、しっ!」
 言葉を言い終わると同時に、ネリュームの足が地面を蹴る。
 その踏み込みが速い。
「ちッ!」
 シャーは、ぎりぎりで身をかわし、追撃を避けた。髪の毛がぱらりと宙を舞う。シャーはそのまま切っ先を彼に向けて突き上げる。
「おおっと!」
 ネリュームがざっと後退し、それを避けて切り返す。
 シャーはそれを流しながら、闇の中に身をひそめる。はっはー、と軽いネリュームの笑い声が響いた。
「へー、結構、楽しいじゃん。まだもうちょっと時間あるみたいだから、制限時間いっぱいまで楽しもうぜ、三白眼のおにーさん!」
「は、イチイチ、癇に障る野郎だな!」
 シャーはそう吐き捨てた。
 ネリュームは闇の中のシャーが見えるかのように、すでに切っ先をこちらに向けてとびかかってきている。
 
 

 *


 なんだか変だ。
 そんなことを思いながら、メイシア=ローゼマリーは運河の水面に浮かぶ満月を見ていた。
「隊長、遅いなあ」
 水面に月が映って揺れるのは綺麗だ。この間までメイシアのいた場所は乾燥していたから、こうやって豊富な水面に映る月をみたのも、どれぐらいぶりだろう。
「きれいだなあ。隊長と一緒に見たいのに」
 おしゃれをして出てきて待っている。旅の身でまだまだいまいちだけれど、それでもちょっとは可愛く見えると思う。
 数年ぶりに彼と会うのだから、これぐらいお洒落しないと、自分だとわかってくれないかもしれない。それとも、お洒落しすぎてわからない方が嬉しいかもしれない。
 そんな楽しいことを考えながら待ちながらも、けれど、彼女は不安に襲われてもいた。
 指定された時間にはずいぶん早いが、しかし、あのジャッキールのことだ。自分よりも絶対に早く待っている。そんな自信があったのに、何故、彼は来ないのか。
(何かあったのかな。隊長があたしより遅いってなかった)
 さすがにメイシアも不安になってきた。
 そっと持ってきていた手紙をカバンから出してみる。
 かさかさと紙の音をたてながら開き、のぞきこむ。月の光ではそんなにきちんとみえないけれど、間違いなく彼の字。
 昔の手紙だって持っているから、字の形でわかるのだ。几帳面なほど綺麗に書かれた字は、間違いなく彼のもの。
「隊長、早く会いたいな」
 と、ふいに物音がして、メイシアは顔を上げた。
 むこうから誰かの足音が聞こえる。ぱたぱた音を立てながら駆け足で近づいてくる。
 人気のない道だ。不埒な輩だといけないので、メイシアは護身用に下げてきている剣に手をふれた。
「っかー、……まったくしつこいなあいつら」
 不意に無警戒な声が響いた。どうも独り言らしい。
 月明りですかしてみると、近づいてくるのは若い男のようだ。背が高い。
「ビビッて追いかけてこねえのかと思ったら、あっちこっちで張ってやがるの。近道したのに、あいつに随分遅れ取っちゃって……。なんかあったら、オジサン達に大目玉じゃねーか。あああ、もう、部下の気持ちも考えないんだから、あの腐れ三白眼は」
 何やら愚痴の内容が間抜けだ。警戒していたメイシアも、その言葉に少し気を許した。場合によっては物陰に隠れていようかとも思ったが、そこまで危険でもなさそうだ。
「あれっ?」
 と、声を上げたのは相手の方だった。相手も月明りでメイシアの姿が見えたのだろう。少し何か考えているような気配の後、彼はこちらに近づいてきた。
「なんだい、お嬢ちゃん。こんな夜更けに何してんだ? 危ないよ、こんなとこ一人でいると」
 相手が声をかけてきて、メイシアは返事をしようとしたが、はた、と何かに気づいて首を振った。 
「あ、お商売とかじゃないから、あっちに行ってて」
 客を引く売春婦と間違われると不本意だ。メイシアがきっぱりとそういうと男は苦笑した。
「い、いやあ、そういうわけじゃなくって。確かにこういう人気のないところで客引きする人もいるけどさ。君は、その、そういう雰囲気じゃなさそうだから……」
 そう言われて彼女は男を見上げた。
 口元に髭があり、意外におしゃれな服装をしている。強面そうだが、話し方や動作は顔とは裏腹に優しげだった。
「あ! あなた!」
 ふと、メイシアが何かに気づいて声をあげた。
「え?」
「前に道を教えてくれた人でしょ? カタスレニアの通りのところ!」
「え、あ、ああ、そっか。あの時のお嬢ちゃんかい?」
 言われて彼は苦笑した。
「よ、よく覚えてるな。俺なんて全然……」
「えへへ、そりゃあ、あなたみたいな赤毛の人はそんなにいないし、顔に傷もあるからね」
「いわれて見りゃそうかな」
 彼は納得しつつ、それで、と小首をかしげた。
「んで、お嬢ちゃんは、一体だれを待ってるってんだい? なんか綺麗に着飾ってるみたいだったからさ。こんな夜にどうしたのかなって思って足を止めたんだ」
 メイシアは小首をかしげて笑う。
「えへへっ、ちょっと人と待ち合わせなの」
 男は、ふと目をしばたかせる。
「へえ、待ち合わせ……」
 少し考えて、男はそっと切り出す。
「あのさ、もしかして、お嬢ちゃん、メイシアちゃん? メイシア=ローゼマリーって名前じゃないかな?」
「あれ? どうしてあたしの名前知ってるの?」
「やっぱりそうかー」
 無邪気にきょとんとするメイシアに対して、彼はやや困惑気味に苦笑した。
(こういう時に限って、俺が見つけちゃうんだもんなあ。どうしたもんかなあ)


 正直に言うと、彼、アイード=ファザナーはそこそこ困っていた。
 リーフィから話を聞いた途端に、シャーは矢のように飛び出して行ってしまった。余裕があるなら援軍でも連れてこい、と彼には言われてしまった。まあ、それだけ信用もないということなのだろうけれど、そうは言われてもアイードにも立場というものがある。
 今のシャーは、彼にとってもくそ生意気な腐れ三白眼でしかないのだが、それでも、裏を返せば上官で守護対象の主君”シャルル=ダ・フール”には違いないので厄介なのだ。
 あの腐れ三白眼のヤツなら、自分の身は自分で守れるだろう、ぐらいには思っているけれど、みすみす危険なところに出かけていくのを”止めなかった”というのは立場的にマズイのだ。
 もし、彼に何かあったら、アイードは、後見人の宰相カッファ=アルシールやら七部将のお目付け役であるゼハーヴ将軍、それどころか、叔父のジェアバード=ジートリューやハダート=サダーシュにまでなんといわれるかわからない。ということで、放っておくわけにもいかない。
 しかし、援軍を呼んで来れば、とシャーは言ってはいたが、これは本当に援軍を呼んで来いという意味でもないのもわかる。本当に援軍を呼んで大事にしたら、絶対後で怒られる。けれど、明らかに尾行していって見つかっても、多分怒られる。
 とにかく、下っ端の若造は本当に辛い。あっちこっちから色々命令されて、どっちにしろ怒られる。ついでに言えば中間管理職なので、下からの突き上げにも泣ける。
 まあ、それはいいとして……。
 ということで、アイード=ファザナーが取る手段は限られていた。
 今回は幸いに、地の利はアイードにあるのだ。
 シャーがいくら王都を歩き回っているとはいえ、河岸の付近はそれほど来ていないことをアイードは知っている。この辺りは自分の縄張りみたいなもので、船乗りたちの中に、彼のような妙な男がいればすぐに耳に入る。逆に言えば、シャーもそれを知っているので、今まで界隈には近づいてこなかったのだろう。
 その為、シャーは知らないが、アイードは知っている道がたくさんある。
 アイードがここを乗り切るには、シャーにはバレないように別の道から同じ場所に向かうしかない。そして、危険がありそうならそっと手を貸す。これに限る。危険がなさそうなら、とりあえず好きなようにさせていればいい。
 短時間で自分の考えをそうまとめたアイード=ファザナーだった。心配するリーフィに、「大丈夫、俺も頑張るから心配しないで」と一言を残す。リーフィは頼りなさげに見てきたが、そこはどうにか信用しておいてもらいたい。
 しかし、出発するまでは、比較的良かった。
 赤い看板の店、というのは、アイードもよく知る店だ。しかも、シャーが突っ走っていった方向とは、別の道から先回りが可能なこともわかっている。
 そんなに頑張って走らなくても余裕でたどり着けるだろう、と思っていたのだが、それがやたらめったと途中にタチの悪そうな船乗り達がうろうろしている。見慣れない連中だし、聞きなれない言葉を話しているので、どうやら海賊たち、アーノンキアスの関係者らしい。
(まずったなあ……)
 アイードは先程、アーノンキアスを挑発したことをさっそく後悔し始めていた。
 彼らを大人しくさせる為にわざと挑発してみたのだったのだが、どうも逆効果だったらしい。
 そもそもが人気のない道。しかも、赤毛に顔の傷のある長身の男など目立つので、ちょっと見つかっては全速力で逃げ、別の道に入る。アイードは回り道を強いられた上、結局、かなり時間を喰ってしまったのだった。
(まずいなぁ。ちょっと脅せば、どっか逃げると思ってたのにさあ。もう三白眼のボーヤ、先に到着しちゃってそうだしなあ……。なんか罠とかあったらどうしよ……)
 リーフィの話では、ジャッキールが危険なことになっているかもしれないという。
 アイードは彼がかつての暗殺事件の時に重要な地位を占めていたことを知っているだけで、彼の力量を直接知っているわけではない。雰囲気で大体わかる部分もあるが、一番は、あのシャー=ルギィズの彼に対する態度で大体の力量は推し量ることができる。
(なにせ、あの腐れ三白眼は、自分より強いと思ってるヤツじゃないと、ああいう態度はとらないもんな)
 そういう意味では、もし、ジャッキールにも危険が迫っているのだとしたら、シャーにとってもかなり危険でもあるわけだが……。
 ともあれ、そんな風に急いでいるときに、よりによって、彼より先にメイシアだけを見つけてしまう間の悪さが、どうにも自分らしく思えていた。  
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