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エルリーク暗殺指令-10

 楽しげな鼻歌が、浴場の壁に反響していた。
 
 なんだこいつ。
 珍しくシャーは、他人に呆れ果てていた。
 目の前にはお湯につかってのんきに鼻歌を歌っている男が一人。舟歌の一種らしいが、妙に歌唱力が高いのが逆に腹が立つ。
(コイツ、自分の立場わかってんのかよ!! っていうか、お前が王都の防衛任されてんだぞ、今!)
 シャーは自分のことを棚に上げて、何となくイライラしてしまう。しかし、その気配を察しているにもかかわらず、アイードはあくまでのんびりと落ち着いている。
「そういえば、知ってます? ここの湯は、天然で湧き出してる温泉を利用してるとからしくて、都会の湯治場としてちょっとした人気があるんです。それなもので、古傷とかにいーんですよ。俺は蒸し風呂の方が好きなんですけど、たまにはいいですよねえ。いやあ、回復する感じがしますー」
 ばしゃばしゃと水面を小突きながら、奴はのんびりとそう蘊蓄を垂れていた。
「ジャキさん、よくここに来ているらしいので。多分、そういうの知ってて通ってきてるんですよ。なんか、心身に古傷抱えてそうなひとですしねえ」
 自分に向けられる呆れた視線など意にも介さず、アイード=ファザナーはそういって自分一人で納得して頷いたものだった。
 アイードに連れてこられたのは、立派な浴場だった。ザファルバーンの王都には浴場が多い。アイードが言う通り蒸し風呂の方が多いのだが、ここは天然の温泉が湧きだしているらしく、こうやって湯につかる方式も見られていた。
 で、シャーはこういう浸かる形式のがどちらかというと苦手なわけなのだが、それを言うと「猫みたい」などと馬鹿にされるので、イマイチ口にも出しづらい。
「しっかし、いい湯ですよねえ」
「いい湯ですねえ、じゃねえって」
 シャーは、むっつりと不機嫌な顔のままでそう突っ込んだ。
「仕事だろ、仕事。情報ききにきたってーのに、アンタ、さっきからくつろいでばっかじゃんか」
「ま、まあまあ、そう焦らないでくださいよ。まだ今日はお話聞けそうな人もいないことですし」
 アイードは苦笑して弁解する。
 確かに今の時間、シャーとアイード以外の客がいない。
「ほかに客こねえんじゃねえの?」
「そんな馬鹿なことを。ソコソコ有名な湯治場だっていったじゃないですか。今はたまったま俺と”お坊ちゃん”の二人なんです」
「なんだ、その”お坊ちゃん”っての?」
「え? だって、その、三白眼さんって意外と呼びにくいし、でん……とかいうと怒るでしょ?」
「お坊ちゃんも大概だろ。あのネズミならともあれ、オレは坊ちゃんって面でもねえし」
 第一、馬鹿にされているみたいだ。いや、多分確信的にやっているのだろうが。そんな風に思いながらじっとりと視線をやると、アイードはごまかすように言った。
「そんなこと言われましても、イマイチ、呼びつけにもしづらいですし。ほら、わたしゃ、一応部下なんでー」
「どうだか。敬う気持ちなんてないだろ、お前」
「そ、そんなことありませんよ」
 アイードの全く心のこもっていない返答をききながら、シャーはため息をついた。
「まあ、人がいないならいいじゃないですか。ここで一つ何か有意義なお話でも?」
「さっき、道すがらあれこれ不審な海賊の話はちらっと聞いたし、アンタからそれ以上有意義な話聞ける気がしないよ、カワウソ兄さん」
 冷たいいいぶりにアイードは苦笑いだ。
「い、いやあ、そういう報告以外のところですよ。こういう機会あんまりないコトですし」
「なんでアンタと風呂で長話しなきゃならねんだ。こっちがふやけちまう」
 あきれてそういうと、アイードがにやっとした。
「おや、もしや、のぼせちゃうひとなんです? あ、のぼせちゃうってなら長湯しない方がいいですよね?」
「そんなことねえよ」
 挑戦的に言われてシャーはむっとした。
「カワウソ兄さんよりオレのが我慢強いからね。いいぜ、話でもなんでもつきあってやるよ」
「へへえ、そうなんですか。それじゃ、お付き合い願いましょうかねえ」
 アイードは挑発するように、にんまり笑う。
(コイツ。アイードの癖に生意気な!)
「ったく!」
 シャーは一度きっとアイードを睨んだ後、盛大にため息をついた。
「カワウソ兄さんには、そりゃあのんきにしてるみたいに見えるかもしれねえんだけど。オレ、本当に、今、頭が痛いとこなんだよ。侵入者はいるし、黒幕はラゲイラ卿っぽくて不穏な動きもそれなりにあるみたいだし、女狐は相変わらずそうだし。そんな時に、刺客の女の子のコトで、ダンナまでおかしくなっちゃってさあ」
 シャーは湯舟に顔を半分つけるようにして、ふてくされたような態度になる。
「オレだって、本当疲れちまうんだよな。風呂入っても癒されねえっての」
 それを見やって、思わずアイードはにやりとした。
「おやおや、ジャキさんのことが、ご心配なので? 相変わらず面倒見がいいというかなんというか」
「そりゃ、その心配ってわけじゃないけど、借りもあるにはあるし、見捨てるわけにもいかないだろ」
 シャーは肩をすくめた。
「オレもあのオッサンとそれなりに付き合い長くなってきたからわかるけど、結構、思い立ったらヤバイとこあるんだよ。暴走して取り返しつかねえことになったら、寝覚めが悪すぎるって。蛇王(へびお)さんが焦ってるのもよくわかる」
「へへえ、”寝覚め”ねえ。あのひとがどうかなったらそんなに寝覚めが悪いんです?」
 アイードは面白そうに笑う。
「ふふふ、俺は寧ろ、なんであのひとが、死なれたら寝覚め悪いような存在になってんのか、気になりますがねえ」
 アイードは浴槽のふちによりかかりながらにやっと笑う。
「あのひと、前の暗殺事件でラゲイラ卿ンところの実行隊長だったんでしょ? こちらこそ、彼がどうして遊び仲間になってるのか、教えていただきたいものですよ」
「それ、どこで聞いた? アイード」
 シャーがざばりと顔をあげて軽くにらむ。
「そんな怖い顔されても困りますよ。ちょっと俺のとこの伝手(つて)で調べたんです」
「なに、ハダートじゃないのか?」
 アイードは苦笑して、
「あの底意地の悪い銀色蝙蝠が、殿下(アナタ)に教えてくれないようなコト、俺に教えてくれるはずもないことわかるでしょ。うちの叔父上も、ああ見えて結構その辺示し合わせる人なんで……。しかも、殿下(アナタ)、二人に口止めしてるんでしょうしね」
 シャーが肯定する代わりに、無言でアイードを睨む。アイードはその視線を流しながら苦笑した。
「そりゃ、ジャキさんはいい人ですけどね。ラゲイラの腹心やってて、直接暗殺事件に関わってたような人間と遊んでるのを知ったら、止めにかかるヤツはゴマンといますからね。俺は殿下(アナタ)の好きなようにすればいいと思いますから止めませんけど、うちには口うるさい元老も多いっスからね」
 アイードは小首を傾げつつ言った。
「でも、俺も七部将のハシクレだもんで、殿下(アナタ)の交友関係にゃちょっと気をつけますよ。彼らの身辺調査については、ここ二、三日で軽ーくさせていただいてはいます。ま、あのネズミのボーヤといい、蛇王さんといい、殿下(アナタ)の傍には叩けばホコリ出るひとしかいないみたいですけどね。特にジャキさんと蛇王さんは、今まで遊んでた連中の中でも別格に色々と厄介な事情をお持ちらしい。蛇王さんについても、うちの叔父上が証拠握りつぶした形跡があるし……」
 アイードは静かにニヤリとする。まるでなんでもお見通しだといわれているようで、シャーはますますむっとする。まさにアイードの癖に生意気なのだ。
「もう一度言っておきますけど、俺は別に止めないんですよ。あのひとたちがいい人なのは、俺もわかりますし、そもそも、殿下(アナタ)もただのお方じゃないんで……」
「そこまで知ってんなら、話は早いし止めないならいいんだけどよ」
 シャーは苦虫をかみつぶしたような顔で、アイードをじっとりと見やった。アイードは穏やかに笑う。
「アンタ、結構、情報通なんだよな、前からさ」
 アイード=ファザナーは相変わらず穏やかな表情のままだ。それが、こういう時はなんとなく底知れなく思えることがある。そういう時の彼は、ちょっと不思議だ。
「いやあ、聞き込みの得意な部下が多いだけですよ。俺の力じゃありませんて」
「へえ、そうかい?」
 アイードは謙遜だかどうだかわからないことを言う。しかし、どうもその言葉は嘘っぽい。そんないい部下がいるのなら、アイードが川岸をうろちょろする必要はない。
 だが、前からそういえばそうだった。アイードは昔からよく不思議と情報を掴むのがうまい。身分の高低に関わらず、きさくに話ができる彼だからこそなのかもしれないが、その実態は謎だ。てっきり、明らかに配下を使って調べさせているハダートや、確かな人脈を持つ叔父のジェアバード=ジートリューから聞いているのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。アイードの掴んでくる情報は、彼等とはちょっと質が違うことが昔から多かった。
「まあ、別に止めないならいいけどさ。……で、情報通なところで、そういや、一つ聞いていい?」
「何でしょう? あ、でも、あんまり難しいことはわかりませんよ、俺」
「そんな難しいことじゃないさ。ラゲイラ卿の事ききたいんだよ。アンタ、ジートリュー一門だし、旧王朝貴族とも付き合いぐらいあるでしょ? 面識とかある?」
「ええ、そりゃあ多少は……。でも、潜入してたハダート将軍程は知りませんよ。聞いてないです?」
 シャーは、顎をなでやりつつ、
「あの男はそーゆーコトは教えてくれないってば。アンタも自分で言ってたじゃない。もうすでにラゲイラ卿が動いているっていう情報は聞いてる。だから、ちょっとラゲイラ本人のことも聞いておきたいんだよ」
 あー、それもそうですね、などとアイードはのんびりと答えつつ、
「確かに、ラゲイラ卿と一応面識があります。挨拶程度ですけどね。しかし、そんなに詳しくないんですよ。俺の立場じゃ、仲良くなるわけないでしょ」
「でも、オレはもっと仲良くなれないからさ。いや、一応どういう男なのかは聞いて知ってるよ。一応敵だし、情報は聞いてる。権謀術数に優れていて、例のハビアスともやりあった狸親父だってこと。手段を選ばない男だっていうこと。現体制に反感を持つ旧王朝系貴族のよりどころだってこと。でも、オレが知ってるのはそれぐらいでさ。奴がどういう人間なのかとかよく知らないんだよな。カッファとかにきいても、あんまり知らないみたいだしさ」
「それもそうですね。確かに、周辺じゃ、あんまりラゲイラ卿本人と会ってる人っていませんし……。潜入しててもハダート将軍はあんなだし、あとはうちの叔父上も付き合い自体はないわけじゃないですが、あんまり人物の好み的に合いませんし。カッファ様あたりになると、最初から敵対してた感じでしょうし」
 アイードはそう同意する。
「そういうことなら、あくまで俺の印象で話しましょうか」
 アイードは少しいたずらっぽく笑うと、頬を撫でやりながらにんまりとした。
「ラゲイラ卿は、俺が会った貴族の連中の中では、随分とイイ男の類でしたよ」
 思わぬ感想なので、シャーはきょとんとした。
「イイ男?」
「ええ。意外です?」
「うん。ハダートとかカッファからはろくな話きかねえからさ」
「ははは、そうでしょうねえ。実際聞いている通り、敵に回すと厄介この上ないですし、実際、手段を選ばない男ではありますよ」
 アイードはそういって笑いつつ、
「でも、ひとかどの人物には違いありません。物腰も柔らかく、知的な人ですし、話せば分かる男だと思います。旧貴族には家柄で偉ぶってるやつも多いですが、彼はそんなことないですし、政治力だってあると思います。実際、領地内での評判は至極良いっての、聞いたことあるでしょ?」
 シャーが頷くと、アイードは深々と頷いた。
「旧王朝系の古参貴族が彼を頼るのも納得できる男ではあります。」
「へえ、結構高評価なんだな」
「元々は慈悲深いって有名な、いい領主って感じだったらしいですしね」
 アイードはため息混じりに言った。
「昔は器用に争い事を避けて、自分の身を守っていただけの穏やかな人だったんだそうで。日和見主義者とは言われていたようですが、別に過激な手段に打って出ることはなかったそうなんですよね。彼が変わったのは、一人息子が死んでからって話ですよ」
「一人息子?」
「ええ、なんでもセジェシス陛下が即位するずっと前の話で、国がぐちゃぐちゃの時の話ですけどね。日和見主義といわれたラゲイラ卿と反目して後継がずに軍人になった息子が、謀略に巻き込まれて戦死しまして……。それから人が変わったとかいう噂聞きました」
「カリシャ時代の闘争かぁ。なんか、今よりエグかったみたいだもんな、やり口」
 シャーは深く頷いて腕を組んだ。
「なるほどね。でも、なんとなくわかった気がするよ。あの人見知りの激しいジャッキールのダンナが、奴のところで五年近く、居候できただけはあるんだ……」
「ああ、その話はちょっと聞いたことがありますよ。ラゲイラ卿が陰気な男前の用心棒連れまわしていたっていうの。昔どっかの貴族から聞いたことがあって、結構目をかけられている感じだったらしいですよ。ジャキさんみたいな立場の人間は普通表には出さないものですが、ラゲイラ卿は敢えて社交界に出してたみたいですし、政権取った後にそれなりの立場につけるつもりだったとかなんとか。まあ、そんな待遇だったとしたら、ジャキさんも大概やっかみが多かったでしょうけどね」
「うん、そんな感じだったな。暗殺事件の時も、なんかそういうのもあって、うまく回らなくなってて、結局オレが失敗させちゃったのもあって、捨てられたみたいな感じだったし……」
 シャーは視線を伏せた。
「ははあ、さては、ちょっと責任感じちゃってるので?」
「責任っていうか、でも、ラゲイラの信任失わせて立場悪くして裏切らせたのオレだしさ」
 からかうように言われてムッとしつつも、シャーは割合に素直に認める。
「オレ、あのダンナの性格良く知ってるからさ。そんだけ長いこと世話んなった人裏切るってよっぽどだし……、絶対今も気にしてるだろうなって」
 シャーは俯いて水面を眺める。
「今回ラゲイラ卿が関わってるの知ってるしさ。だから余計にその事件に知ってる女の子が関わってるのが気がかりなんだろうなって思うんだよな。そう考えるとちょっとなんていうか……」
「ははは、それは気にしなくてもいいですよ。最終的に殿下(アナタ)につくって決めたのはあの人本人ですからね。そりゃ、その辺の覚悟はしてますよ」
 アイードはにやりとする。
「あの人は別に利害が一致したから殿下(アナタ)を助けたワケじゃないんでしょ? そんな程度で恩人に手のひら返すような人を、殿下(アナタ)もラゲイラ卿みたいな男も信任しないでしょうから」
「多分そうだけどさ、オレはあのオッサンに貸しを作って逃がしてもらったクチだからさあ」
「ははは、”貸し”ね」
 アイードは意味ありげに笑いつつ、
「しかし、今じゃ、なんだかんだ王都に馴染んでるみたいですし、楽しそうに見えましたよ」
「そこなんだよなあ。なんであのダンナ、しつこく王都にいるんだろ。あの事件で失敗してるんだから、あのダンナにとって王都は住みづらい街のはずなんだけどさ。……あの辺、ちょっと意味わかんないんだよねー。最初は、本気でまだオレの首狙ってるんだと思ってたんだけど、最近じゃ別人みたいに穏やかな日常送ってたりするし、コッソリ抜け駆けしてリーフィちゃんとお出かけしてたりするし」
 シャーは少し難しい顔をしつつ、
「リーフィちゃんにでもほだされたのかな……」
「え、リーフィちゃんに?」
 思わぬ答えだったのか、アイードがきょとんとして片頬杖を外す。
「い、いや、確かに彼女はちょっと不思議な魅力はありますけどね」
「うん。どうもあの娘(コ)の周りは、妙に平和な空気が流れてる気がするから、連中も感化されちゃうみたいだし……」
 シャーは腕を組む。
「そうかなー。リーフィちゃんの周りって居心地よさそうだもん。それかな……って、お前!」
 ふとみると、アイードが妙に楽しそうな顔になっていた。
「お前、何ニヤニヤしてやがる?」
 シャーは不機嫌に睨み付ける。
「え。い、いえ、ちょっとなんというか。そういうの、ほほえましいなあって思っただけでして、ええ」
 アイードは慌ててごまかしつつ、
「でも、ま、いーじゃないですか。命狙われてるより、仲良くできるほうが。お互いその方が幸せってもんでしょ?」
 アイードはくすりと笑う。
「それに彼みたいに脛に傷持ってて体も傷だらけなひとは、概して心にも傷があったりする人が多いですからねー。体あっためると古傷にも効くように、結構心にも効くもんです。ここにいて穏やかな生活ができるのだとしたら、彼にはこの環境がいいってことなんでしょうね。それは人間関係も……」
 アイードはにっと笑う。
「わかるでしょ? 殿……じゃなくて、お坊ちゃんも戦場で傷を負った男ですから。居心地のいいところにいると、心身共に回復するもんですよ。そういう場所に人は集まるんです」
「そりゃあそうだけどさあ」
 アイードがちょっともったいぶった言い方をするのに、シャーはやや不満げだ。やはり、アイードの癖に生意気な態度だ。そして、その話がシャーにあることを思い出させてもいた。
「そういや、古傷ってったけど、アンタこそどうなのよ? 他人の古傷の話ばっかりしてさ」
「ふへ、俺です?」
 まったりと湯に浸かっていたところ、急にそんな話を振られてアイードは間抜けな声を上げた。思わず左頬の傷にふれながら、小首をかしげた。
「ま、俺で傷っていうと、間違いなくコイツのことでしょうけど」
「別に触れちゃダメな話じゃないんだろ?」
 アイードはにやっと笑う。
「ほほう、一応お気遣いいただいたってワケで? へへへ、顔の傷は男の勲章ですってば。そりゃあ、コイツのせいで、カタギにみられないのはちょい困ってますけどねえ。むしろ、カッコいいでしょ?」
 やたらノリが軽いのにシャーは呆れつつ、
「その割には、アンタの傷の由来聞いたことないんだけど―。いや、前の東征の時には既にあったよね?」
「へ? あれ、ご存じない?」
「ジェアバードもハダートも何も言わねえしさ。最初、聞いちゃいけないコトなのかなあって思ってたんだけどさ。そうでもねえよなって最近思ったのと、アンタの性格だから訊けてるんだけどさ」
「んー、そうですねえ。いや、別に口止めとかしたことはないんですけどー、まあ、由来言うと勲章なカンジじゃなくなるんで〜」
 シャーは、目を瞬かせた。
「え? じゃ、不名誉なの?」
「そりゃあ、叔父上にしてみりゃ不名誉じゃねえスかね。なんにせよ、一門の跡継ぎが戦場以外で顔に傷作って帰ってきたってコトですから。それは許されざることでしょう、ジートリュー一門としても、ファザナーの棟梁としてもね」
 アイードは海の色をした瞳で視線を遠くにやる。
「でも、実は、俺はコイツを別に不名誉だとも思ってないんですよ」
 アイードは片目をつぶって笑って言う。
「コイツは、俺にとって戒めですからねえ」
「戒め?」
 その答えは、シャーには明らかに意外なものだ。
「ええ、戒めです」
 アイードは、その少し引き攣れの残る左頬の傷を指でなでやりながら頷いた。

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