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エルリーク暗殺指令-4


 青空が広がっている。今日はいい天気の割には、気候が穏やかで過ごしやすい。
 七部将の一人、アイード=ファザナー将軍が世を忍んでコッソリ経営している喫茶店”錨亭”も、そんな穏やかな昼を迎えていた。
 店に遅れてやってきたアイードは、常連客の二人に挨拶してから厨房に入っていた。
 アイードは、この店で過ごすまったりとした時間が好きだった。忙しない毎日を過ごしていると、ここで過ごす時間が非常にゆっくりと流れている気がする。いや、そんな気がするだけで、実際はやることが多いし楽しいから、すぐに経ってしまうのだけれど、ここの平穏な空気が好きだった。
 今、彼がおかれている厳しい状況を考えると、こんなところで平和ボケしている場合ではないといわれればそれまでなのだが。
(いやでも、王都防衛の為には、英気養わなきゃいけないし。その為には俺が癒されておかないと……)
 アイードはそんな言い訳をしながらも、この空気を満喫しているのだった。
「旦那様……じゃなかった、店長、良かったですね。今日はお客さんが三人もいますよ」
 本業であまり店に来られないアイードは、このマディールという不愛想な青年に普段は店を任せている。大柄のマディールには、ちょっとこの店の厨房は狭いのだが、アイードの実家の小間使いをするよりは性に合っているのか、今のところ大きな不平不満は出ていなかった。
「三人って、……リーフィちゃんとジャキさんだろ。さっき、挨拶したからわかってるって」
 不愛想なマディールのせいと、立地の悪さも手伝って、錨亭の客は少ない。
 しかし、マディールに言わせればアイードのせいだという。アイードは穏やかで愛想のいい、意外と庶民的な男だが、何せその左頬に刀傷がびしりと走っているものだから、カタギでないと思われて怖がられることも多いのだ。
 安くてうまい料理を提供しているつもりだけれど、そんなわけで錨亭の客は今日も少ない。
 アイードは料理を仕込みつつ、ふと視線を客席に向ける。
 そこに、涼しげな様子で無表情の美人が座っていた。硝子細工のような冷たくて精巧な作りの彼女は、あまり表情がわからない。が、それはいつものことだ。
「リーフィちゃんは、お客さん扱いにはできないじゃないか」
 酒場で働いているリーフィは、今日は休みらしく、昼ごはんを食べに来てくれたようだ。
 リーフィはアイ―ドがこの店を出すときに、商売について何もわからないアイードを心配したラダーナ将軍から派遣されてきて、色々教えてくれた娘だった。
 酒場で働いているという割には、リーフィは不愛想……というわけではないのだが、愛嬌はないわけで、アイ―ドは、当初彼女と対峙するのにやたらと気を遣ったものだった。しかし、彼女は基本的にはいい子だし、今も客足が伸びないこの店を心配して、時折知り合いに店を紹介してくれているらしい。
 で、それで紹介されてきたのが、隣で少し不穏な気配を放っているジャッキールという男。異国風の面差しをしているし、身に纏う気配がやたらと不穏な彼は目立つといえば目立つ男だが、リーフィに紹介されてこのところよく来てくれる常連客でもある。
「ジャキさんは、そりゃあ常連客だけどさあ」
 見かけによらず、甘いものが好きなのでこの店の菓子が気に入っているらしいのと、それとどうもアイードとは文学的な趣味が合う。マディールによると、彼は店に置いてある本を読みながら、午後をゆったりと過ごしていくらしい。
「ジャキさんって、店長は、よくあのお客さんをそんな風に呼べますねえ」
 マディールが呆れて言った。
「え、だって、名前教えてもらったし、趣味の話とかして、仲良くなったしさ」
「いやあ、いきなり愛称で呼べるのが凄いっていってるんですよ」
「そうか? でも、彼は見かけは怖いところあるけど、話してみるといい人だよ」
「旦那様は、変なところで度胸が据わっていますよね。いつもはヘタレなのに」
「失礼な。お前の無神経さの方がよっぽどだよ」
 いつものようなやり取りをかわしつつ、マディールはため息をつく。
「それに今日はもう一人います。三人って言ったでしょ?」
「え? そうだっけ?」
 アイードは、今更慌てて客席を見た。そういわれると、リーフィとジャッキールの間に結構な大男の姿がちらほら垣間見えていた。
「あれ? あんな大きい人いたっけ?」
「さっきいらっしゃいましたよ。気づかなかったんですか? ったく、旦那様は、本当ぼーっとしてるし、節穴だし」
「旦那様じゃなくて、ココじゃ店長って呼べってば」
 手厳しいマディールに、悔しみ半分にそう注意しつつ、アイードはそっと三人目の男を観察した。
 黒く波打った長い髪と立派な髭の人物だ。目は大きく、笑うと意外と愛嬌はある。一見豪快そうに見えるが、その表情の端々や容貌がどこかしら不思議と上品で、なかなかの美丈夫といってもいいかもしれない。そんな絵巻物の中の英雄みたいな男だった。
 そんなことを考えながら見ていると、ちょうどその男がこちらを向いた。
「お、今日は噂の亭主がいるのだな!」
 男が無邪気にそんな風に声をかけてくる。
「ええ、今日はようやく来たんです。なので、お客さんのお待ちのカレーも作れますよ」
 マディールが慣れた調子で応対した。どうやら、彼もここに来るのが初めてではないようだ。アイードが目を瞬かせていると、リーフィがかすかに微笑んで紹介した。
「あら、そういえば店長さんは初めてね。こちらは、蛇王(へびお)さんよ。私やジャッキールさんのお友達なの」
 リーフィがお友達、と言ったところで、ジャッキールが不服そうにむっと眉根を寄せたので、そういう単純な関係ではないらしい。そんなことに目を留めつつ、アイードは苦笑気味に名前を反芻した。
「えっと、へびお、さん?」
 どうやらあだ名のようだが、それにしても奇妙な名前だ。が、客の名前を追及しても仕方がない。
「蛇王さん、前にお話しした通り、店長さんのカレーはとっても美味しいのよ。今日は良かったわね」
 リーフィにそういわれ、髭の男は頷いて無邪気な子供のような笑みを浮かべる。
「リーフィ嬢がそういうのなら絶品なのであろうな。いや、話は前々から聞いていてな、亭主が来るのを今か今かと待っていたのだ」
「そんなに待っていただけてたなんて嬉しいよ。それじゃあ、期待外れにならないようにしないとな」
 世辞かもしれないが、そう言われるのは嬉しいことだ。しかし。
 アイードには、どうも気になることがある。
「な、なあ、あの人も最近よく来てくれてるのか?」
 雑談し始めた三人を後目に、小声でアイ―ドはマディールに尋ねる。
「ええ、もちろんですよ。知らないのは旦那様だけです」
「で、でも、あの人、リオルダーナ人じゃないのか?」
 かつての東征に参加したアイードは、東方の訛りがわかる。
 リオルダーナとザファルバーンは基本的に言語や文化は共通しているが、若干、その発音に差異があるのだ。その蛇王(へびお)とかなんとかいう、奇妙なあだ名で呼ばれる男には、明らかにリオルダーナの東方訛りがある。
 リオルダーナとの戦争が終結して数年。しかし、それでも古来から仲が悪かった両国には溝がそれなりにあるので、リオルダーナ人がザファルバーン王都に来ることは珍しい。東方でリオルダーナ人ともかかわりのあったアイードには、彼らに対しての嫌悪感はないが、わざわざリオルダーナ人の、それもどう考えても戦士風の彼が王都に入り込んでいるのは奇妙ではあった。それだけで、訳ありの男に違いない。
「どうやらそうらしいですが、でも、あの方もいい人ですよ」
「うん、まあ、それはなんとなくわかるけどさ……」
 そりゃあ、あんなふうに天真爛漫に笑う男に悪い奴はいないとは思っている。
 だが、あの男、何故だろう。どこか、得体が知れない。底が知れない。……何を考えているのかわからない不気味さが、どうもある気がするのだ。
(リーフィちゃんの男友達、なんだかロクな人がいない気がする)
 ジャッキールだって悪い人間ではなさそうだが、何せあの不穏な気配。ただの一般市民ではありえない。それに加えて、今度は得体のしれない髭のリオルダーナ人ときた。
「あれー、今日も三白眼のヤツ来てないのか?」
 和やかに雑談している気配の三人の方から、今度は別の声が聞こえた。顔をあげてみると、子供みたいな顔をした小柄な青年がリーフィに話しかけていた。
「あれ、何、あのコもリーフィちゃんの友達?」
「ええ、そうですよ。随分と気前のいい方で、どこかのお坊ちゃんなんだそうです。同じ坊ちゃんでも、旦那様とはえらい違いですよね」
 マディールの嫌味を聞き流しつつ、アイードは彼を観察した。
 童顔の青年は、そのままリーフィと親しげに話している。
 一見、小動物っぽい雰囲気の青年だ。
 が、アイードもそれなりに人を見ているのでわかる。おとなし気な顔に不似合いな派手な上着と飾り帯。時折、ちらりとリーフィに向ける視線は、その顔立ちと裏腹に不穏だ。
(うわあ、コイツ、札付きじゃねーかよ)
 思わず顔が引きつりそうになりながら、アイードは真剣に心配になってきた。
(リーフィちゃん、ちょっと、男友達の趣味が悪すぎやしないかな……)
 鍋をぐるぐると回しながら、アイードはげっそりする。
(そりゃあ、俺もひとのこと言えないし、リーフィちゃんしっかりしてる子だから大丈夫だとは思うけど……。老婆心で注意したほうがいいのかな、老婆じゃないけど……)
 そんなことを考えながら、向こうを眺めてみるが、リーフィは相変わらず平然と無表情なままなのだった。



「そうなのか。アイツ、どこ行っちまったのかな?」
 リーフィの話を聞いて、ゼダは少し心配そうにつぶやいたものだ。
「リーフィに二週間も会いに来てないとか、よっぽどじゃないか。どこかで野垂れ死にしてないかな。大丈夫か?」
 普段、顔を合わせると嫌味の応酬になるゼダとシャーだが、意外とシャーがいない時のゼダは彼に対して甘い。
 シャー=ルギィズが最近酒場に来ていないのは、彼らの中でもちょっとした事件だった。酒場の連中もシャーが死んでるのでないかと噂しているぐらいだった。
 シャーとてそういう状況になるのは予想できていたらしく、いなくなる前に一度は酒場に来て、しばらく忙しいので来られないかもしれない、とリーフィにさらっと告げてはいったが、それっきりだ。時々猫のようにいなくなる彼だが、二週間も音沙汰がなかったのは初めてで、リーフィにしてもゼダにしても、心配するのも当然の状況だった。
「アイツ、王都にちゃんといるのかなあ」
 ゼダはそんなことをいいながらため息をつく。 
「そうね、私も少し心配しているのだけれど……」
 リーフィがそういって少し目を伏せる。
「い、いや、大丈夫ではないかな」
 と、慌てた様子でジャッキールが入ってきた。
「な、何か俺も詳しくは知らないが、忙しいらしいのだ。心配するほどのことでもない」
「え? ダンナ、なんか事情知ってんの?」
「い、いや……」
 そうきかれて思わず固まってしまうジャッキールである。
 実は、ジャッキールだけはおおよその事情を把握している。元々、彼の正体についても知っているジャッキールだ。ハダートやジェアバードともつながりもあるし、シャーに対して毅然とモノを言える貴重な人材ということで、彼等からも事情を明かしてもらうことも多い。
 そういうことから、シャーが今何故忙しいのか深い事情も知っていた。
「とにかく、リーフィちゃんだけは心配させたくないんだよなー。いや、心配してくれるかどうか謎なんだけど、心配してくれる前提で話してるんだけど」
 シャーはジャッキールに一応挨拶、というより、愚痴りにきてそんなことを言って帰った。
「ということで、ダンナ、リーフィちゃんが、仮にだけどオレのこと心配してくれてたら、うまいこといっといて。そのうち、ぜーったいに会いに来るから」
 そんなわけで、一応ジャッキールには何かあったとき、シャーに代わって説明せねばならないのだが……。
「実家で、色々忙しいんだろう」
 ジャッキールが答えに窮していると、それを面白そうに見ていたザハークが唐突に口を挟む。
「実家って?」
「どうせあんな奴は家出してるのだろうが、実家ぐらいはあるだろう。流石に参加しなければいけない行事でもあったんだろ。なァ、エーリッヒ」
 そういってあからさまににやりとするザハークに、ジャッキールはむっとした。ザハークが助け舟を出してきたのは明らかだが、彼はそれをジャッキールが嫌がるのをわかっていてそうしているし、嫌がるように目くばせしてくるのである。だが、今回ばかりは、彼とてこの舟に乗らないわけにはいかない。その辺、ザハークの計算通りなのがジャッキールには余計に気に食わないのだ。
「どうもそういうことのようだ。まあ、冠婚葬祭など色々あるだろうからな」
「そうかー、それならまあ大丈夫かな」
 ゼダは、そう言われてようやく安心したようだった。
「あ、そうだ。まだもうちょっと昼飯作るのに時間かかるみたいだし、オレ、ちょっと野暮用済ませてくる」
「野暮用? また、女絡みではあるまいな」
 それを聞きとがめて、ジャッキールが眉根を寄せる。
「頭固いダンナに怒られるような、風流なことだったらいいんだけどな。残念だが、今日のは本気で野暮な用なの」
 ゼダはからかうように笑うと、それじゃと言って走っていった。
「ははは、落ち着きのない奴だな」
「まあ、ネズミといわれるだけはある。行動力があるのはいいことだが……」
 笑うザハークにジャッキールはぼそりと呟く。
 リーフィはだまってそんな会話をする二人を眺めていたが、ふと何に気づいたのか、口を開いた。
「もしかして、ジャッキールさん、体調でも悪いの?」
「え?」
 リーフィが人をじーっと観察して凝視するのは彼女のクセで、それにはそろそろジャッキールも対応できてきていたが、唐突にそんなことを訊かれると焦ってしまう。
「はっはー、リーフィ嬢、何故そう思ったのだ? 万年顔色は悪いぞ、こいつは」
 代わりにザハークが尋ねてきたので、リーフィはこくりとうなずく。
「いえ、顔色でなくて、ジャッキールさん、さっきシャーのことで答えに詰まってたから。いつもだったら、何かしら答えを用意していると思ってね」
「え、あ、ああ。まあ、な」
 詳細を知らないリーフィとてシャーが訳ありの人物なのは、おおよそ予想がついている。
 ジャッキールは詳しいことを知っている様子で、彼はこういう時はさらっとシャーをフォローする役割を与えられていた。突発的に尋ねられると、うっかりと焦ってしまうこともある、普段は抜けているジャッキールではあるが、なんだかんだこういうところはちゃんとしていて、前もってそれぐらいの答えは用意している男なのだ。それがああいう場面で、聞かれるのをわかっていて答えを用意できていないとは、彼らしくない。
「リーフィ嬢は流石だな。見破られているぞ、エーリッヒ。俺の見立てでは、まずもって例の頭痛かな?」
「ちッ、わかっているならリーフィさんに聞かずに言え、蛇王」
 ジャッキールがギラリとザハークを睨むが、ザハークはどこ吹く風だ。
「あら、それはいけないわね? いいお天気なのに。お薬でも持ってきましょうか?」
 リーフィがそっと眉根を寄せて心配そうに言った。
「い、いやいや、大丈夫だ。そのうち治ると思う。甘いものでも食べていればな」
 とジャッキールは、ややばつが悪そうに続けた。
「まあ、その、昔からの持病みたいなものでな。このところは、この街の気候が合っているのか、すっかり収まっていたのだが。今日は睡眠不足も相まってな」
「睡眠不足?」
 リーフィが小首をかしげる。
「いや、今日は夢見が悪くてな。あまりよく眠れなかったのだ」
 ジャッキールは苦笑する。
「夢見?」
「ああ、まあ、たまたま……」
「悪夢にうなされるのも昔からだろうが。頭痛にしろ悪夢にしろ、ちょっと疲れるとすぐにそうなっていたと記憶しているのだがな。同室になった奴が気味悪がるので、気を遣って一人部屋を選んでいただろう?」
 ザハークがずばりと口を挟んできたので、ジャッキールがきっと睨み付けるが彼は視線も合わせない。
「まあ、そんな風に気遣いしてやっているのに、気位が高いから別格だのなんだのと誤解されていたが」
「蛇王、黙れ」
 ジャッキールが舌打ちしながらザハークを睨み付ける。が、すぐにリーフィの視線と合って、表情を緩めた。
「いや、本当に、この街に来てからは、頭痛も夢見の悪さもあまりなくなってな。ごく珍しいことなのだ。だから、リーフィさんに心配いただくほどではない」
「それならいいのだけれど……」
「少し昔のことを思い出しただけなのだ。実は、昔、記憶を失くして暴れている内に、子供を斬りそうになったことがあってな……。時折、その夢を見ることがあるのだ……」
 ジャッキールは目を伏せる。ふと、ザハークが何かに気づいたような顔をしたが、リーフィに気づかれないうちにいつも通り素知らぬ様子になる。
「その時に割って入った娘のことを思い出した。はは、俺も、どうも感傷的な気分になってしまったようだ……」
 器に入った珈琲のさざ波を見やりながら、ジャッキールは自嘲的に呟いた通りにいささか感傷的になっているようだった。
「彼女は、今はどうしているのだろうな」
 彼はその娘の名を敢えて告げず、そっと飲み込んでいた。


 *

 ローゼ。
 と、彼は彼女をそう呼んだ。
「ローゼ、剣の握り方は、そうではなくこういう風に握る。その方が、手首が自由になるからな。あまり力を入れて振ると、手首を痛めてしまう」
 最初に、彼に剣を渡された時、メイシアはその重さによろめいてしまったものだった。
「ああ、すまない。ちょっと大きすぎたな」
 彼は苦笑して謝ると、一回り小さな剣を渡してくれたものだ。
 最初は、彼はメイシアに剣を教えるのを嫌がっていた。
 メイシアにはちゃんとした奉公先を探すのだといって、色々と家事を教えてくれたのだけれど、あいにくとメイシアは家事と相性が良くなかった。洗濯しても汚れが綺麗におちないし、干してもしわしわにしてしまうし、掃除をすると逆にほこりを舞い散らせるだけだし、洗いものをすると皿を割る。料理をすれば焦がすし、塩の量も間違える。彼は顔に似合わず、意外と家事全般が得意な男だったので、メイシアは自分のだめさ加減に落ち込んでしまいそうだった。
 それに剣を握っている時の彼は普通に格好良かったので、メイシアはことあるごとに剣を教えて欲しいと頼んだものだ。
「だって、あたしも隊長みたいに強くなりたいもの。自分の身は自分で守りたいわ」
「うむ。確かに女性も護身術を学んでいたほうが良い」
 彼は一定の理解は示したが、首を縦には振らなかった。
「だが、ならんぞ。俺の剣は、他人に教えるには血腥(ちなまぐさ)いものだ。お前のような子供が、俺のような与太者の真似などしてはならん。覚えるのなら、もっとまともなものから習うのだ」
「隊長、頭固い」
 メイシアは口を尖らせてみたが、頭の固い隊長は何度頼んでみても、メイシアに剣を教えてくれなかったものだ。
「ローゼ。……剣術を教えてやろうか」
 それがある日突然、何故か彼がそう口にした。
 その時の彼は、どこか疲れたような顔をしていた。何故、彼が突然そんな気になったのかをメイシアはついぞ知らない。
 だが、彼女は単純に嬉しかった。大好きな強い憧れの隊長と、同じ剣が振るえる。そうすれば、前みたいに相手に力で押さえつけられることもなくなる。身を守って、戦える。
 そして、メイシアは、明らかに家事よりも武術に適性のある娘でもあった。その上達ぶりは、彼が驚くほどだった。
「だが、ローゼ。一つ約束してほしい」
 彼は剣術を教えるにあたって、いつもよりさらに真面目な顔でそういった。
「俺の教える剣は、お前の身を守る為に、生きる為に使ってほしい。お前が助かる為なら、容赦なく相手に振るってもいい。だが――」
 彼はとても哀しそうな顔をした。そんな彼を見るのは初めてで、メイシアはその顔が忘れられない。
「俺のようなことには、……ただ相手を殺す為だけには、使わないでくれ」


 *


 眼前に風を感じながら、シャー=ルギィズは紙一重でその攻撃を避け、そのまま体を倒しながら剣を跳ね上げる。
 甲高い音とともに、メイシア=ローゼマリーの刃が跳ねのけられ、シャーは体を回すようにして体勢を整える。メイシアは押しのけられる形で後退した。
「はは、お嬢ちゃんも、大した腕だよな」
 シャーがちらっと歯を見せて笑う。
「あなたもね」
 メイシアは、軽く息を整える。華奢に見えるメイシアだが、意外と体力はあるらしい。相当メイシアを振り回してやったつもりのシャーだが、彼女はほとんど疲れを見せていない。もちろん、シャーも疲れてはいなかったが、メイシアの体力を奪う作戦はさほど成功していなかった。
「本当、人って見かけによらないのね」
 メイシアは肩にからんだ長い三つ編みの髪の毛を払いのけつつ、シャーに笑いかけた。
「あなた、あたしが最近戦った人の中で一番よ。動きも凄く速いし、力だって意外とあるのよね。それに、あたしの攻撃をわざと最小限の動きで避けているんでしょ。でも、かすり傷も負ってない。ちゃんと間合いを取ってる」
 メイシアは、不穏な笑みを浮かべた。
「あなたの命を狙う人が出てくるわけだわ。……そんなへらへらしてるくせに、本当怖い人ね、あなた」
「はっはー、そりゃあ光栄だね」
 シャーは苦笑していった。
「だが、それじゃあ、このぐらいで止さないかい。残念だが、オレはおとなしくやられてやるつもりは毛頭ないんだ。そりゃあ、カワイイ娘さんとお付き合いしてもいいんだけども、実のところ、君みたいなお年頃の女の子叩きのめす趣味もないんだな、これが」
「じゃ、あたしのこと、女だと思わなきゃいいわ」
 メイシアにそういわれて、シャーは苦い顔になる。
「実際、そんじょそこらの男よりも力もあるかもしれないけどさ、そーゆーわけにゃ、いかねえってさ」
 シャーはそう答えつつ、剣を手元に引き付ける。メイシアが徐々に攻撃態勢を取っているのに気付いたのだ。
「で、実際、君はなんでオレなんかとお付き合いしたいわけだい?」
 シャーは軽口を装って、そう尋ねてみる。
「あたしがじゃなくて、あなたとお付き合いしたいのはほかの人よ。殺しても生かしてでもいいから、あなたと会いたい人がいるらしいの。もっとも、あたしは殺すつもりはないわ。できるだけ生け捕りにしようと思っているから。あたしはただ連れていくだけ」
「ははは、そりゃあ結構なデェトじゃないか。だけどさあ」
 と口を開きかけた時、メイシアは地面をけり、素早く突きを仕掛けてくる。
「っと!」
 鋭い突きはシャーの髪の毛をわずかにかすり、シャーはメイシアの懐に潜り込もうとするが、彼女もすぐに身をひるがえして反撃してくる。
「ったくよ、おデートの申込するならはもうちょい可愛らしく申し込んでほしいもんだぜ! いちいち、エグイ攻撃してきてさあ!」
 シャーはメイシアの連続攻撃を受け流す。減らず口をふさぐかのように、ひときわ鋭い一撃が頭の上から降ってくる。
「だが!」
 と、シャーはその一撃を真正面からたたき上げる。
「悪いが、この程度は見えてるんだよ!」
 そのままシャーは、相手の懐に飛び込む。メイシアはそれを嫌って慌てて剣を引き寄せる、が、シャーはそのまま切り上げるとみせかけて、そのままするりと彼女の向こうに抜け出た。メイシアがあっと驚きの声を上げる。
「はは、悪いけど、今日は先約があるんでねー! またね!」
 シャーは明るく声をあげて手を振った。
「逃がさないわよ!」
 そのままスタコラと逃げていきそうなシャーを、メイシアは慌てて追い打った。
 自然とふるった剣の太刀筋は、孤を描きながらぐぐっとのびてシャーに迫り、そして独特の軌道を描く。
(まただ!!)
 そのまま逃げようとしていたシャーは、その太刀筋に興味を惹かれて動きを止めた。
 その軌道に、シャーは見覚えがあるのだ。それをかわしながら、シャーはその太刀筋を凝視した。
(これ、オレは一体どこで見てる? 一体、誰のと似ているんだ?)
 シャーはそのまま走り込んでくるメイシア=ローゼマリーをいなし、彼女を見ながら考える。
(オレはこの娘を知らない。見覚えがない。だが、彼女の動きや所作が……)
 メイシアが軽く舌打ちして追撃態勢にはいるが、その彼女がふと立ち止まった。彼女が立ち止まった理由を、シャーも察していた。誰もいなかったはずの路地裏に、今、誰かが入り込んできている。
「ちッ、もう彼女にもバレてるぜ。いい加減出てこいよ」
 シャーは、ぶっきらぼうにそう声をかけた。返答は笑いにまぎれていた。
「あーあ、見つかっちまったか」
 不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
 いつの間にか、建物の陰に男が一人、壁にもたれながら彼等をみていた。顔だけ見ていればおとなしい少年のようだが、派手な伊達男風の装束がどこか崩れた印象をもたらす。
「残念だな、もっと見てたかったぜ」
「あら、お連れさんがいるのね」
 ゼダの出現に、メイシアは態度を変えた。
「仕方ないわね。今日はここまでにするわ」
 メイシアはシャーの知り合いがいるこの場は不利だと判断して、さっと剣を収めた。しかし、きりりとシャーに視線を向けて言い放つ。
「でも、あたし、また来るわ。覚悟しておいて」
「はは、君とおデートする覚悟ねえ、……なかなかできそうにないや」
 シャーはそう軽口をたたいて笑うが、メイシアはそれに取り合わずにさっと背を向けるとそのまま走り、裏路地へと去っていく。
 シャーは彼女の姿が見えなくなって、ようやく剣を鞘におさめた。
「ったく、何みてやがるんだい。ネズミ野郎がよ!」
 シャーが不機嫌に言い捨てると、ゼダはゆったりと壁から離れてからからっと笑った。
「だって、おもしれえじゃねえか。しばらく姿見ねえから、どっかで死んでるのかなーと思いきや、こんなところでカワイイ娘と切り合ってるとかさあ。あー、おもしれえおもしれえ!」
「冗談じゃない。お前がもっと早いこと姿現してりゃ、オレは苦労しなくて済んだんだよ。女の子と戦うなんざあ、シュミじゃねえんだ」
 シャーはやれやれとため息をつく。久しぶりの再会だというのに、一番最初に出会ったのがこのネズミ野郎だというのがシャーにはどうにも気に食わない。早速彼は不機嫌になっていたが、ゼダはというといつものまま。別にシャーが不機嫌だろうが、気に留めることはない。
 彼はどうやら今は別のことに興味があるらしかった。
「それはそうと、お前、あの娘さ。なかなかすげえ腕前だとは思うけど……」
 ゼダは顎を撫でやりながら、きょとんと小首をかしげた。
「……なんか見覚えがある気がしねえ?」
「なんだ、お前もそう思うのか?」
 シャーは態度を軟化させて尋ねた。ああ、とゼダが頷く。
「見覚えっても、顔じゃないんだぜ。動き、というかなんというか、……特に剣の使い方とか握り方、あと、太刀筋かな」
「ああ、やっぱそうだよなあ」
 ゼダのいうことに、珍しくシャーは素直に同意する。
「オレもさあ、どっかで見たことがあって戦いながらずーっと気になってたんだ」
 シャーはメイシアが去っていた方向を見やり、ふとため息をついた。
「あれ、一体”誰の”なんだろう」  

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