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シャルル=ダ・フールの暗殺
エピローグ

 珍しく上等な服を着て正装したシャーは、中庭を見下ろすバルコニーでため息をついていた。頭には布を巻き、宝石で飾った飾りをつけている。相変わらず青が基調なのをみると、普段から青い色が好きなのかもしれない。
「陛下。あの通路ですが、あれは危険ですし、閉鎖することにしました。別の道とつなげます」
 カッファの報告を聞きながら、シャーはぼんやりと答えた。
「了解。でも、オレ、勝手に作るかも」
「作られると困ります。それからラゲイラ卿ですが、その所在自体がつかめませぬ」
「そうだろうな〜。逃げるのむちゃくちゃ早かったもん」
「陛下! まじめに聞いているのですか!」
 カッファの怒鳴り声が、耳にきんきんと響いた。
「いたた、ちょっとカッファ、怒鳴りすぎだよ」
「あなたがまじめでないから怒鳴るのです! 大体、普段からあなたは私の話など聞いていないでしょうが!」
「そんな剣幕でいわなくたって」
 シャーは、カッファの方を恨めしげに見ながら、ふうとため息をついた。
「オレ、今日はカッファの話聞きたい気分じゃないもん。また後にしてよ〜」
「何ですと!」
 カッファはとっさに持っていた書類で頭を張り飛ばしたくなるような衝動に駆られながら、必死でそれを我慢した。こんな馬鹿でも、一応主君だ。だが、あの間延びした猫のような声が、カッファの堪忍袋をちくちくと突っついては破っていきそうにするのだった。
 カッファが、道徳心と衝動の間でジレンマに陥っているのを、ちょうど少し離れた場所から、二人の将軍が見物していた。
「いつまでもつかねえ、あのカッファさんの苛立ち」
「あいつは元から気が短い。そろそろダメだろう」
「あっ」
 ハダートが声を上げた。視線の先で、カッファがとうとう誘惑に負けて、書類でシャーの頭を後ろから張り飛ばしていた。当たり所が良かったのか悪かったのか、被っていた布がはずれてシャーのくるくるの髪の毛が広がった。
「あーあ、やっちまった」
「まあ、気持ちはわかるがな」
 ジートリューはそんな事を言いながら、文句をつけているシャーと説教をしているカッファをまだ見ている。
「しかし、…………あの馬鹿見てるとイライラするねえ」
 不意にハダートがそんなことを言った。
「何がだ? イライラするのは、貴様の伝達ミスのせいで色々迷惑だったことぐらいだと思うがな。ゼハーヴにも怒られるし」
「そういうな、オレも大変だったんだよ」
 ハダートはさらりと言ったが、実際はわざと連絡をしなかったものもある。二人してゼハーヴに絞られたのは、そうした伝達の不備を叱責されたわけであるが。
「まったく、あれぐらいで怒るなんてゼハーヴさんも器量が狭いよなあ」
「それは私も同意だな。あの男は何かと細かい」
 二人とも、あまり反省の色はない。ゼハーヴがこの二人を問題児扱いするのは、何度言っても、この二人が自分の好きなようにやるからである。この二人に言うことをきかせられるのは、ほとんどシャルルしかいないのだろう。
「でも、オレが今イライラしている原因はあそこだ」
「はあ? 中庭か?」
「そう、あそこで楽しそうに話をしている男女を見ろ」
 ハダートは中庭を指さす。ジートリューは、そちらをのぞきこんだ。。そこには、レビ=ダミアスとラティーナが一緒に座っていた。
「何だ、あれは。レビ王子とあの小娘ではないか」
 ジートリューも気づいたようだった。そしてカッファの小言を背で聞きながら、バルコニーから身を乗り出しているシャーを見た。シャーが何を見ていたのかようやくわかった。彼は親しげに話す二人を、ずっと眺めているのである。
「あの馬鹿が仕掛けたんだろ。……自分よりもレビ王子の方が娘の好みに近いだろうしってことで。それで、自分は身をひいて、あの二人の仲立ちをしたらしいぞ」
「何? そんなことをしていたのか?」
「……レビ王子はラハッド王子とちょっと似たタイプだからな。……想い人のために、新しい恋人のお膳立てまでしてしまうとは、あの馬鹿、哀れすぎる」
 ハダートは、あきれながらも不憫そうに、何かもの欲しそうなシャーの背を見た。
「ま、娘に気づかれてもいないようだったからな。それにあの鈍いレビ王子が、あの雰囲気だけで奴の思いには気づけないだろうし、仕方ないだろうなあ。……それに、どう考えても勝ち目はないし」
「そう考えると不憫な奴だ」
「まったく」
 同情の目を向けるハダートとジートリューに気づいていないのか、シャーはまだため息をついている。カッファも、彼が何を見ているのかは実はよくわかっている。
「やはり男は押しじゃないですか! 陛下!」
 見かねたらしいカッファが強い口調で言った。どこかで聞いたようなせりふだな、とシャーは思う。
「もう一押しすれば、あの子、絶対になびきますぞ!」
「何いってんの〜」
 シャーはやる気なくいった。
「……弟の婚約者だったんだぜ。あの子。王のオレが手ェ出してみなさいよ、何言われるかわかったもんじゃねえぜ。それこそ、ラハッドは、オレが殺したって言われちゃうじゃないの。そしたら、皆困るでしょ?」
 目を下に下げると、レビがラティーナと庭園で語らっているのが見えた。レビは、以前より顔色がいいし、ラティーナのほうも沈んでいた顔つきが、かなり明るくなり、前にも増してかわいくなったように思う。
「それに、なんだかレビの兄上といい感じだし。オレは身を引いたほうがいいんだよなあ」
 言いながら、シャーは少し落ち込んだような顔をした。カッファは少し気の毒そうに彼の背を見つめた。
「体の弱いレビの兄貴が、あれで元気になったら、オレは言うことないし……」
「し、しかし、しかし陛下はそれでよいのですか! これが一世一代のチャンスじゃないですか! いまなら、なびくこと確実! この辺で、先手を打ちましょう!」
「だって、オレには敵うわけないだろ〜。あっちのマスクとオレのマスク見比べてみてよ」
 言いながら、自分でもため息をつく。
「どう考えても、兄上の方が美形だし、優しいし、なんか見た目も王様っぽいし、オレより理知的だし…………ああ、オレって負けてばっかり」
「い、いや、あなたにはあなたのすばらしさが! 大体ですぞ、あなたにそっくりだった母上様はとても美しい方でした! 三白眼でしたが!」
「……ほ、ホント……?」
 母の顔を見たことがないシャーには分からないが、何よりも自分に生き写しだというのがどうも不審だと思う。ただ、誰に聞いても美女だったというので、美人には違いないなと思うのだが、シャーも少し複雑な心境だった。
「それじゃ、オレって美形? もしや女顔?」
「うっ、そ、それは――」
 カッファがつまるのをみて、シャーはため息をついた。
「カッファって正直だもん。そうだよねえ……。オレ、世を儚んじゃいそう」
「殿下! そのようなことを……」
「絶対やんないって。ジョークだって。もう、ホント堅苦しいんだから」
 はあ〜とため息をつく青年は、青い服の袖で口を押えた。こののんびりした挙動に巧妙に隠されている、シャー自身のなんともいえない哀しみのようなものが、カッファにはなんとなく見えるような気がした。
 シャーは、母親の顔も知らず、七歳までどこかの下町で暮らしていたらしい。それが、たまたま持っていた母親の形見で、セジェシスの息子と知れて、城にあがった。セジェシスは、彼なりに彼をかわいがっていたのだろうとカッファは思うが、忙しい彼はシャーとあまり会うことはなかった。
 彼は普段から「シャルル」と呼ばれるのを嫌っていた。常々自分のことは「シャー」と呼ぶように言っていた。どうやら、子供頃呼ばれていた名前が「シャー」だったかららしい。その名を聞き、そしてその時訪問していた外国の使節の名を、セジェシスは彼の正式の名としてつけた。
 あの戦いの後、シャーが失踪した理由を、カッファは彼なりには理解していた。シャーは、自分が将軍や兵士にどれほど慕われているかを知ってしまったのである。だから、後継者争いで弟と争うことにならないように、と自分から身をひいて姿を消したのだ。それがこんな事になり、彼は就きたくもなかった玉座に座るはめになった。
(王位になどつかなければ……)
 と、カッファは思った。あるいはあの娘とももしかしたら恋仲になれたかもしれない。国王であることは、彼にとってはずいぶんな重荷であり、そして、無責任に行動しているように見えて、シャーはカッファや将軍達に気を遣ってはいる。それがカッファにはシャーを不憫に思わせる。
「……殿下……」
 カッファは、つい、慣れ親しんだ呼び方でシャーを呼んだ。
「いつか、私が殿下にぴったりの嫁をつれてきてあげます! それまで、ご辛抱なさいませ!」
 シャーがあからさまにあせった顔をした。
「カ、カッファが見立てるの?」
「当たり前ですとも! 様々な有名人の仲人をつとめた私です! 強くて頼もしい嫁を選んでやります! ご安心あれ!」
 カッファのいう「いい嫁」というのは、強くてがっしりした女戦士タイプの女性だ。シャーは、もうちょっと大人しい女性のほうがいいので、首を振りながら愛想笑いを浮かべた。
「い、いや、それはちょっとカッファの見立てはさ……。オレの好みとはちょーっと違わない?」
「何ですと! どこが気に入らんというのですか!」
 カッファはシャーをつかみにかかった。
「大体、殿下は痩せすぎなのです! だから、嫁ぐらい立派な嫁を!」
「それが嫌なんだってば! オレより強い嫁なんてやだ! オレはもっと優しくて、まもってあげたくなるよーな美人の嫁さんがいいよ〜!」
 シャーが言うと、カッファはさっと顔色を変えた。小さい頃から、怒るとたとえシャーであろうが、王族扱いしなかったカッファである。シャーは、身を引いてバルコニーの手すりに身を一杯に寄せた。
「何を贅沢を! 殿下! 今日という今日こそは、殿下に世の厳しさというものを、徹底的に教えてやりますからな!」
「じょ、冗談でしょ。ちょ、カッファ、オレ王様よ?」
「だから、世の厳しさを教えてやろうというのです! そのためには一時の不敬もやむおえないこと! ごめん!」
 カッファはいつの間にやら腰の剣に手をかけている。シャーは思わずバルコニーの上に足をかけた。
「ちょ、ちょっと、落ちついてってば。ぼ、暴力はんたーい。ね、人間話し合いでわかるって、はーなーしーあーいー……」
「ええい黙れ腐れ三白眼がッ!」
 シャーの口調が悪かったのか、とうとう堪忍袋が切れたらしいカッファが剣を鞘ごとぬいて振り回す。ぬわっという変な悲鳴をあげて、シャーはそれをどうにかかわす。
「こ、殺す気か!」
「ご安心を。あなたがそのくらいで死ぬはずがないことはよくわかっております」
「あ、ひどい! カッファの冷たい一言がオレの胸を抉った! あーあ、ホントにオレ世を儚んじゃうからね!」
 シャーは、そういいひょいと手すりから身を躍らせた。あっとカッファは声をあげる。一瞬、本気で彼が身投げしたのではないかと焦ったのだ。
「殿下――!」
 だが、この若い王は、バルコニーの端っこに捕まって、そこから猫のように柔軟に着地した。
「それじゃー、隠遁生活にいってきまーす!」
「あなたという方は! 今度の今度こそ許しませんからな――!」
 そのまま、二階のカッファの怒鳴り声をききながら、シャーは慌てて走り出す。ここで捕まったら、しばらく街に遊びに出かけられない。
 中庭を走る間に、青いものが走っていくのに気づいたレビが立ち上がって声をかけてきた。
「あっ、シャルル。どこにいくんだい」
 シャーは、走りながらレビ=ダミアスの方を見た。そばでラティーナが彼の方を見ていたが、それはもう前のような視線ではなかった。ふっと笑いながら、シャーは吹っ切るように明るい口調で応えた。
「ああ、兄上、ちょっと散歩です。散歩。ごきげんよう〜!」
「あっ、シャルル! ちゃんとご飯は食べて、ちゃんと睡眠を取らなければならないよ。調子が悪くなるとすぐに帰ってくるんだよ」
 レビ=ダミアスが心配そうにそう告げたが、シャーからしてみると体の弱い兄から賭けられるセリフではないと思う。
「オレからすれば、それはどっちかというと、オレが無茶しすぎな兄上にいいたい言葉ですが」
 シャーが頭をかきながら言ったとき、ラティーナが慌てて立ち上がって軽く礼をすた。シャーは後ろに向けて手を振った。
「兄上、それじゃお元気で。あとは頼みます」
「ああ、わかったよ。気をつけるんだよ」
「はーい、りょうかい」
 シャーは兄の声をききながら、ふうとため息をついた。追いかけてきているらしいカッファの声が遠くから聞こえ始める。シャーは慌てて駆け出しながら、ぼんやりと思った。
(でもさあ……、オレ、こんな不真面目に見えるけど。)
 前から来る兵士は、なにやら不審な侵入者が走ってきたといった目で彼を見ている。それをかわすため脇道に入りながら、シャーは正装の青いマントを脱ぎ捨てた。
(……オレはこの国が嫌いって訳じゃないんだよ。だから、守るときは守ろうとは思ってるんだぜ、カッファ。)
 口にしなきゃわかんないんだろうけど、いちいち言うのも恥ずかしいしさあ。などと、心の中で付け加え、シャーはやはり自分はいつものほこりっぽい服が似合っているよなあと思った。
「それじゃ、しばらく留守にするから、後々はお願いね!」
 シャーは、追いかけてくるカッファにそう叫ぶと、例の秘密の抜け道に入り込む。その瞬間、彼はもう、シャルルでもなく、王でもなく、将軍でもなく、剣士でもなく、ただのシャーだった。そして、彼がなによりもそう他人から見られることを望んでいるのは、痛いほどカッファにはわかっていた。
「殿下!」
 叫びながら、どこかでシャーが街で馬鹿騒ぎして幸せに暮らすのを、カッファはどこかで願っていたのかもしれない。そういう彼の顔には、どことなく安堵の表情があった。


 ――国王シャルル=ダ・フール=エレ・カーネスの暗殺未遂事件。それは、無事に幕を閉じたが、この若い王がまだ平穏な日々を過ごせるようになるのは、ずいぶん先のことである。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi
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