青い夕方「3」
シャーはいつも酒場にやってくる。夜になるとだが、どこからともなくふらりと彼は現れるのである。青いマントをひらりと翻しながら、酔ってもいないのにふらついた足取りで、いつものようにやってくる。
シャーがどこにすんでいるのか、誰も知るものはいない。酒場でさんざん騒ぎ終えると、風のようにいなくなる。いつ、どこへ消えたのか、彼を取り巻く連中も知らない。ただ、帰り道で闇にとけ込むようにいなくなるという。
今日も酒場にやってきたシャーは、他人の金で酒を飲みながら上機嫌だった。あれから、三日ぐらいたつ。すっかり、頬の擦り傷さえ消えてしまったシャーは、あそこで絡まれたことなど忘れたような顔をしていた。
リーフィは、忙しくてシャーの相手をしている暇などなく、彼のやってくる時間には早めに家に帰ってしまっていたのでここのところ彼の姿を見なかった。しかし、今日は幸か不幸か、客があまりいなかった。なので、シャーが彼女にしゃべりかけるいいチャンスだったのだった。リーフィの顔を見ると、彼はあわてたように駆け寄ってきた。今日も青い服のシャーは、腰にはあの実際役にも立たない刀を帯びている。
「あ、リーフィちゃん、この前のお昼はありがとう!」
照れるようにしながら、彼はいう。
「最近、顔を合わさなかったから、今日はお礼をさせてもらいたいんだけど…」
「いいわよ。悪いわ」
どうせシャーは金を持っていない。わかっているので、リーフィはそう断った。
「お金のかかるのはオレには無理だよね。でも、それ以外だったら、オレも何とかなるんだよ?」
「前言ってた相談ってこと?」
シャーは軽く首を振った。
「いやぁ、そうじゃなくって、一回だけ、リーフィちゃんの身辺をお守りするってのはどう?」
「あなたと一緒にいるほうが危ないんじゃないの?」
「ひどいよ。オレがそういう男に見えるの?」
シャーが非難するような口調で言った。彼が、こういう不満を口にするのは、少し珍しいことである。どうやら勘違いをしているようなので、リーフィは丁寧に答えた。
「そうじゃなくて、…あなたと一緒にいると、あなたの方が殴られて危ないんじゃないのといったのよ。この前、ひどい目にあったばかりでしょ? 私を守ったりなんかしたら、あなた、自分から厄介ごとに巻き込まれてるも同然なのよ?」
言われて、シャーは思い出したようにカクッと首をたらした。
「そうだね…自分の腕のこと忘れてました…」
「気にしないでいいのよ。別に」
リーフィは、少しだけ微笑んだ。どことなく表情の薄いリーフィは、かすかに微笑むと、何となく寂しげに見えた。
シャーは、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、笑い返した。
「でも、困った時は、何かお役に立つよ。…リーフィちゃんがさらわれそうになったり、誰にも頼れないときとかは…」
「そんなときがくればね、もし…だけど」
リーフィが答えると、シャーは、深くうなずいた。急に明るい顔になり、シャーは飛び跳ねんばかりに勢いよく振り返る。
「お前たち〜!」
いきなり、シャーは大声に叫んだ。いつの間にやら、どこで失敬したのか酒のなみなみ注がれた杯を手に持っていた。
おーっ! と、シャーを取り巻く連中が、声をあげる。
「オレの踊りを見たい人〜!」
またしても、酒場の中で、おーっという歓声がする。シャーはそれを聞いて、満足げに手にもっていた酒をぐいっと一息に飲んだ。一気に効いてきたかもしれないアルコールと、その場の空気が、彼をさらに盛り上げたのか、場末のこの酒場いっぱいにとどろくような声で、彼は叫んだ。
「じゃあ、今日は気分がいいので、踊っちゃうぜ! お前ら〜〜!」
「おお〜!!」
拍手と歓声があがった。
「それじゃ、音楽とステージの用意を…」
シャーがそういい、彼の周りの机やらいすやらが避けられ始めたとき、不意にその独特の盛り上がりを壊すような音がした。
急に閉めていたはずの入り口のドアが開いたのである。それも、大きな音を立てて。
「ベイル…」
リーフィは、ドアを破るようにあけて、飛び込んできた男をみてつぶやいた。
「…どうしてここにきたの?」
そこにいたのは、背の高いすらりとした男だった。黒い髪は、すべて後ろに束ねて布で縛ってある。 均整の取れた顔つきの、かなりの美青年といえるだろうか。だが、黒い目には、どちらかというと戦場の狂気を髣髴とさせる凶暴さと、せつな的に生きる者の気楽さが感じられた。そして、動きやすそうな服の帯には、反身の剣がつるしてあるのだった。どちらにしろ、あまり良い商売をしているとは思えない。顔だけ見ていると、割と高貴そうな感じではあるが、全身からはごろつきの匂いがしていた。
「リーフィ…探したぜ」
静かにいい、男は静まり返った酒場に足を踏み入れ、リーフィの元に歩み寄った。リーフィは、表情を崩さなかった。
「…何のよう? 仕事中は、ここには来ないでほしいと言っていたはずよ」
「どうしても、お前に頼みが…」
言いかけて、男はリーフィの肩に、実際はしがみついてはいないのだが、しがみつくようにして後ろに立っているひょろりとしたくせっ毛の男をにらみつけた。
「てめえ、何だ」
「な、何だと申されましても、ただのしがない酒飲みです」
すでに圧倒されているらしいシャーは、萎縮しきっていたが、さらに男の疑るような敵対の視線にあい、ひょいとリーフィの背に隠れきってしまった。それが気に食わなかったのか、ずんずんと入り込んできた男は、シャーの胸倉をつかもうとする。ふと、リーフィが、男の前に回って、シャーの前に立ちはだかる形になった。
「この人は、この酒場の馴染みよ。…喧嘩は止めて頂戴」
「冷てぇ言い草じゃないか。…まぁいい。ちょっと外に出ないか」
「…少し事情をうかがってからね。…シャー、ごめんなさい」
リーフィは、シャーに一言謝ると、彼からすっと離れる。シャーは、首を振って小さく「気にしないで」といい、ついで「ありがとう」と態度で示したが、リーフィはすでにシャーのほうに気を止めてはいなかった。
解放されたシャーは、ため息をつきながら、舎弟たちの下へと戻ったが、戻ったとたん、彼は急に強気になった。いつも能天気なシャーであるが、今日ばかりは一目見てわかるほどふくれっつらをしている。
「誰あいつぅ〜…」
シャーが不満たらたらに言った。めったに不機嫌にはならないシャーなので、横にいた連中は、彼がいかに不満だったかよく理解できた。
カッチェラが、親指を示しつつ、小声でシャーにささやく。
「あいつが、リーフィのコレって噂のベリレルですよ。風の噂ですが、やつは相当な腕があるらしいですね」
「えぇ〜、あれが? オレのほうが美男子じゃない?」
「兄貴、それは兄貴の目が腐っているだけじゃ…イテッ!」
シャーにそういおうとした男は、横からカッチェラに殴られる。不満そうな顔をしていると、カッチェラが小声でそっとささやいた。
「本心では気づいてるんだから、黙ってやってろよ。どう見たって、あっちのほうが顔も腕も上…」
「カッチェラ、オレ、聞こえちゃった」
少なからずショックを受けたように、シャーは横目で恨めしそうにカッチェラを見た。が、すぐに目を返して、リーフィとベリレルを眺める。どうやら、何か言葉を交わしているようだった。
「で、なにやってんの? あの人」
「さぁ。噂に寄れば賞金稼ぎをやってるとか何とか。だけど、結構博打もしてるみたいだし、やばい連中から借金をしてるってえ噂もちらほらですよ。まぁ、堅気じゃないのは確かで」
カッチェラは追求されなかったことを幸いと、もはや知らぬ振りをしながら答える。シャーは、むっとした顔をしたまま、「住所不定無職のオレのほうが、素敵じゃない」などと口の中でいっているようだった。
「…別に、オレは気にしてないもんね〜…オレはオレの魅力で勝負するし」
ぶつぶつ言っているシャーを、遠巻きに彼の舎弟たちが眺める。背筋から怨念でも飛び出てきそうな雰囲気と、その視線があまりにもあまりなので、カッチェラがため息をつきながら、そっと進言した。
「兄貴…ひとつ言っていいでしょうか」
「何?」
目をむけもせず、シャーは向こうを凝視している。カッチェラは、少し戸惑った後、やはりきっぱりと、
「こういっちゃなんですが、男の嫉妬は見苦し…」
「嫉妬じゃないの! ただの観察!」
カッチェラがすべて言い終わらないうちに、シャーの声が響いた。
「オレの踊りで、場が盛り上がるはずだったのに、あいつが来たから盛り下がっちゃった。オレはそれに怒ってるだけ!」
「…兄貴…」
哀れっぽい目で見守る馴染みたちの視線を受けながら、シャーは、ベリレルとリーフィが、何事かを交わして外に出て行くのを、まさに恨めしそうな目で見ていた。