雨情楼閣-13
「兄貴……。また包丁ですか……?」
「うん。ちょっと落としたりとか色々ね」
次の日、酒場に顔を見せたシャーは、そんなことを言いながらチャイを飲んでいた。今日は、すっかりよく晴れていた。まだ砂の上には水が残っていたが、やがてそれも乾いてしまうに違いない。まだ青いままの空には全く昨日の雷の気配は見えない。
シャーは一応右の肘と膝のあたりに包帯を巻いてはいるが、別に動くのに支障はないらしい。そんな彼は今日はいつもの服装でなく、別の服を着ていた。
「料理って危険だね。まるで、アレって戦場だよ、戦場」
「そんなん兄貴だけですよ。っていうか、雷でしょ?」
舎弟の一人が笑いながら言った。
「昨日の雷は凄かったですからねえ、アレにびびって落としたでしょ!」
「んにゃっ、何でわかるの?」
「やっぱりそうだと思いましたよ。兄貴らしい」
「全く! どーせそんなことだと思っていました!」
舎弟達はげらげら笑い出した。シャーは、ムッとした顔で黙っている。
「なあにい、お前達はあ! お前達も料理の恐ろしさを知るがいい! ついでに雷も!」
シャーは、いけしゃあしゃあとそんなことを言いながら、ふと入り口の方を見た。リーフィがそこにたたずんでいたのだ。慌ててシャーは立ち上がると、リーフィの方に歩み寄る。
「リーフィちゃん、どうしたの?」
「昨日の、とりあえず繕えるところは繕ったわ。今、洗って干してあるの。でも、まだ乾いてないの。だから、今日の夜にうちの酒場に来て。そうしたらすぐに渡せるわ」
リーフィはそういい、一段と小さい声で更に付け足す。
「内緒であなたにだけおごってあげるから」
「ええッ! いいの。ありがとう!」
シャーは目の色を変えてえへへと笑う。何だかんだでシャーという男は、酒に目がない。
「でも、お酒はやめておいた方がいいんじゃないの? 怪我は大丈夫?」
「あー、大丈夫大丈夫、こんなん怪我にはいんないって!」
シャーは軽く膝のあたりを叩き、そして、思ったより痛かったのか顔をしかめた。リーフィは、少しだけうっすらと笑う。
「わかったわ。また夜にね」
「ありがと」
リーフィは軽く手を挙げると、また外に出ていった。シャーはへらへら笑いながら手を振ってリーフィを見送ると、妙な音階の鼻歌を歌いながら、酒場に戻ろうとした。
が、目の前に誰かいるのを知って、急にシャーは足を止めてびくりとした。
「サ、サリカちゃん!」
目の前にいるのは、昨日頬をひっぱたかれたことも記憶に新しいサリカだ。びくびくしながらシャーはそうっと上目遣いに訊いた。シャーが上目遣いに何かを頼もうとすると、たいていの人とは逆で、なぜかものすごく相手の神経を逆なでることが多いのだが、シャー自身は不幸にもその事実に気づいていない。
「あの、本日は快晴なりよね? ……空気も鬱陶しくないし、今日はあれこれ……」
「何訳のわかんない事言ってるの?」
冷たく指摘されて、シャーは更にびくりとする。
「あいやあ、その……」
「ほら、昨日ひっぱたいちゃったお詫び! ごめんなさい!」
少しきつい口調でそういって、サリカは不意に酒瓶をシャーに押しつけた。いきなり押されて、シャーは、後ろによろめきながらそれを受け取った。
一瞬きょとんとしていたシャーは、目をぱちくりさせて、そして、サリカを見た。
「あ、あのう〜………どっ、どぉいう風のふきまわしでしょう?」
「あ、あたしもわかんないけど…! リーフィねえさんにきつくいわれたの!」
サリカは、ふいっと顔を背けた。
「なんだか知らないけど、あたしが売られるって話が消えたのは、あんたのお陰だって! よくわかんないけど、それ、あげるわよ!」
サリカはそういうと、ぷいっと背を向けていってしまった。シャーは、押しつけられた酒瓶を抱きかかえたまま、サリカの後ろ姿を見ていた。
そして、不意に思い出したようにポツリと言った。
「まぁ、人助けすると、たまにはいいことがあるもんだよね」
シャーは、にんまりと笑うと、酒瓶に軽くほおずりしながら、また元の席へと戻っていった。