シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
一覧 戻る  次へ


雨情楼閣-07

すでに外は暗くなっている。シャーとリーフィは、街をアテもなく歩きながら話をしていた。
「ごめんなさいね、シャー」
 先ほどのサリカのことを言っているのだろう。リーフィは、少し申し訳なさそうだった。
「ううん、慣れてるし、平気だよ」
 シャーは言って、左頬に軽く触れる。すでに痛みはなくなっていた。そして、ふと、空を見た。雨の落ちそうな曇り空だ。すでに夕刻ぐらいにはなっているだけに、その暗さは相当なものだった。シャーは、ランプに火を入れて、それを持ちながら歩き出した。遠雷の響く音が不気味に聞こえる。
「手は大丈夫?」
「え、ああ。これ? 大したことないって、気にしないで」
 リーフィに心配されていることをしり、シャーは少し嬉しくなったらしく弾む声で応えた。そして、すぐに少し気の毒そうな声になる。
「サリカちゃん、大分参ってるみたいね」
「そうね、何とかしてあげたいけど……。でも……」
 リーフィはすっと顔を上げた。
「ねぇ、シャー……。今日は、マタリア館にいかないのよね? なのに、どうしてここに来たの?」
 すでに歓楽街の入り口まで来ていた。しかし、今日のシャーはいつもの青い汚れたマントと異国風の青い服にサンダルで、高級妓楼に忍び込めるような姿でもない。リーフィの方はどうにかなりそうだが、シャーのこの格好だと少し無理がある。だから、リーフィは今日は、シャーはマタリア館に行かないのだと思っていた。
 雨の前とあってか、人通りはいつもよりは少し少ない程度だった。煌々とした灯りは相変わらずで、より暗い夜にはひどく街は明るいが、何となく禍々しい感じもした。暗雲立ちこめる空にそびえたつ摩天楼は、まるで悪魔の城のようにすらみえる。
「そうだねえ、えーっと」
 そう言いながら、シャーは不意に背後にちらりと目をやった。リーフィは気づいていないが、シャーはすでに腰の刀の柄に手を触れている。
「オレが行きたくなくても、多分いくことにはなるんだろうなとかね」
「え? どういうこと?」
 リーフィが怪訝そうに眉をひそめる。シャーはわずかに悪戯めかした表情でこういった。
「もしかしたらね、今日中に何とかしてあげられるかもしれないなあってこと。まぁ、明日の朝まで……オレが生きてたらの話だけどねえ」
 不意に不穏な事を言った。リーフィは驚いて、シャーのほのかに青い目を見上げた。
「どうしたの?」
「お誘いが来てるんだ。……だから、今日は道化のカッコしなくても、マタリア館に入れるよ〜」
 シャーは声を低くした。
「後ろにいるんだよ。もう」
「えっ?」
 リーフィの表情が変わる。少し青ざめたような彼女は、すぐに後ろを振り返ろうとしたが、シャーの片手がすぐにそれを押しとどめた。そして、シャーは鋭くささやいた。
「リーフィちゃんは顔を見せちゃだめだよ」
「で、でも……」
 シャーはそっと言った。
「今日は、リーフィちゃんは安全なところで待ってて。顔を見せたら、オレが成功しても失敗しても、いいことにはならないでしょ? リーフィちゃんは、部下には顔を見られてるけど、本人には見られてないんだよね。…なら、見せちゃ駄目だ」
 シャーはにっこりと微笑んだ。リーフィは不安そうにシャーを見上げる。
「シャー、それって……」
「あはは、そんな危ないからとかいう理由じゃないよ。ほら、上を見るとあんな風に雷が……」
 シャーは、空の方を指さして軽く笑った。遠くで確かにごろごろと音が鳴っている。
「オレ、雷嫌いなんだよねえ。……リーフィちゃんもでしょ? 妓楼であっちこっち暴れたら、逃げる途中に雨に降られるかもしれないし、運が悪いと稲光の中逃げなきゃってことになるかもしれないじゃない。そんなの嫌でしょ? だから、待っててよ」
「でも、シャー……」
 シャーがわざとおどけているのは分かっている。それでも、心配そうな顔をするリーフィに、シャーは少し強い口調で訊いた。
「信用してよ、リーフィちゃん。オレが負けると思う?」
 リーフィは軽く首を振る。
「そう、だから、一旦、あの辺のお店にでも入って、静かにしておいて」
「……あなたがそういうなら、そうね。わかったわ」
 リーフィはうなずく。シャーは、にっこりと優しく微笑むと、そっとささやいた。
「じゃあ、後でね」
 シャーは、リーフィを暗がりに追いやるようにして、彼女を先に行かせた。リーフィは夜の闇に紛れて、その内に見えなくなる。シャーはそれを見届けると、軽く柄に手をやった。
「さぁてと……。気合い入れてせいぜい死なないようにしないとねえ」
 シャーはぽつりと呟いて、少しだけ伸びをする。そうして、ため息をついてから、彼は背後に迫っている男達の方につま先を向けた。
 街のちょうど灯りの下に、この前と同じような格好をしたウェイアードが立っていた。闇の中の光の元で、すらりと背が高く、顔立ちの整っているウェイアードはひときわ目立つ存在だ。それとはある意味対極の目立たないゼダが後ろの方にいたようだが、ウェイアードに何か申しつけられて、どこかに何か買いにいったようだ。
 シャーはそっとその横を通り過ぎようとする。目の端でちらりと見やったウェイアードの腰には、刀身が極端に湾曲した鎌のような形状の武器がさがっていた。
「ちょっと待てよ。そこの青いの」
 不意にウェイアードは口を開く。通り過ぎようとしていたシャーは足を止めた。サンダルが砂を噛む音がする。
「何の用でしょう?」
 びりびりと漂う緊迫した空気とは裏腹に、シャーの口調自体は、普段と変わらぬものだった。ただ、彼の目は、明らかに普段の彼とは違う様相を浮かべている。それにウェイアードが気づいたかどうかはわからない。ただ、ウェイアードは、端正なつくりの割には、彼自身は少し粗野な所があるような感じだった。
「この前の芸人じゃねえのか、お前」
 ウェイアードは、その綺麗な顔に似合わない言葉遣いで、そういってにやりとした。
「どうだ? 今日はいつものメンバーが一人足りなくて寂しかったところでね、…どうだ、芸人、お前もオレ達と一緒にあそばねえか?」
 そういってウェイアードはくくく、と笑った。ウェイアードの背後にいる取り巻き達も、なぜかにやついていた。彼らは屈強な男共で、腕力には自信がありそうな連中達だった。ウェイアードのボディガードを兼ねた遊び友達なのだろう。
「へぇ、旦那様も太っ腹ですねえ」
 シャーはそう言って刻むように笑った。
「それじゃあ、御相伴に預かりましょうかね」
「そりゃあよかった」
 ウェイアードはそう言って、右手で剣の柄を叩く。金属的な音が散る。その音を聞きながら、シャーはウェイアードの右手を見た。
 ウェイアードの綺麗な着物の袖口から、しろい新しい包帯が右の手首に巻かれているのが、袖が踊るたびに覗いていた。





一覧 戻る 次へ


このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi