雨情楼閣-04
階段を一段二段と上っていくと、やがてそれまでとは違う、ひときわ豪華な部屋が増えてくる。客の談笑する声が、廊下の方まで響いていた。異国の女神の艶めかしい絵が描かれた廊下を延々とよこぎりながら、シャーとリーフィは客とすれ違うたび、挨拶をしながらその後で人物を確かめる。
少しでっぷりした中年、口ひげの渋い男、まだ若造といった感じのシャーぐらいの青年。いろいろな人とすれ違ったが、お目当てのウェイアードとすれ違うことはない。
「……リーフィちゃん。案外会わないもんだね」
「そうね」
「ウェイアードってどんな人なの?」
シャーは少し疲れたように訊いた。
「ウェイアードを説明するのは、わたしがいうよりも実際に見た方がいいわ」
「いや、それはそうだろうけど、ねぇ……」
シャーは苦笑いしたが、リーフィは首を振った。
「面倒とかそういう意味じゃないの。とても、そうね、とても説明のしにくいひと」
「説明がしにくい?」
聞き返すとリーフィはわずかにくすりとした。
「あなたとそういう意味では似てるわね。あなたも十分説明のしにくい人だもの」
「えぇっ? オレえ? そうかなあ?」
「そうよ。一言では説明ができないもの。一体、何を考えているのか、どこまでが本気なのか。わたしからみれば、あなたも十分謎の多い人よ」
「えぇ? そう?」
意外そうに声をあげるシャーに、リーフィはわずかな笑みを浮かべる。そういって笑うリーフィの方が、シャーからしてみれば神秘的で謎めいているように思える。実際の年齢よりも随分大人びている無口な美人のリーフィは、シャーからしてみれば、何を考えているのか少し分からなくて不安になる存在だ。そんな彼女からそういわれて、シャーは少し不思議な気分になった。
リーフィは、少し表情を引き締めた。
「ウェイアードは、でも、系統としてはあなたとは少し違うわね。もう少し、なんていうかしら、…恐い、ひとよ。あなたは、恐い感じはしないけど、あの人は恐い感じがするの」
「恐いの?」
きょとんとしたシャーにリーフィはいった。
「あなた、ウェイアードって、ぼんくらのお坊ちゃんだと思ってたでしょ?」
「うん、まあ。え、もしかしてそうじゃあないの?」
「……だから、会ってみた方が早いと思うの」
リーフィはそういって少し進み始めた。そして、一つの部屋の前でふと足を止める。そこは最も広い筈の部屋で、仕切られた所に小さな窓がある。リーフィは何も言わず、シャーに向かって指さした。少し覗いて見ろということだろう。
シャーはそうっとその窓から中を覗いてみた。中はより豪華な絨毯が敷き詰められていて、上にはタペストリーが飾ってある。天井からぶら下がる照明で中は、昼間のように明るかった。その天井にも絵があれこれ飾られている。
その中央には、美しい女達が五人ほど座っていた。この妓楼でも、相当の美女に入るだろう娘達である。煌びやかな服を着て、それぞれ綺麗に化粧をしている。豪華な部屋に、そんな美人が五人いる様は、いくらか艶めかしく幻想的で、夢の中の世界のようだ。
その中心に、繊細な容貌の男が座っている。側の女と比べても遜色ないほど釣り合った美男子で、黒っぽいターバンに服、その上に黄金の飾り物をつけている。すっきりした顔立ちで、その上物腰が柔らかだし、少なくとも女に嫌われる顔ではない。周りには取り巻きらしいものが十人ほどいた。上品というイメージからはほど遠い。ウェイアードが彼らとつきあっていることを考えると、カドゥサの御曹司とやらは相当な放蕩息子だということだろう。
「あそこにいるのがウェイアード……なんだけど。少し見えにくいかしらね」
リーフィがシャーの後ろからそうささやいた。
「え、ま、まじ?」
シャーは少し目をこすってみる。そして、やっぱり美男子なのを見て、苦しげに呻く。
「うぐ……確かに予想外……」
「そうでしょう?」
「な、なんか、オレ、自信なくなってきたなあ。大丈夫かなあ」
相手が自分より少なくとも、もてそうなのをみて、シャーは急に弱気になる。
「シャー……」
「わ、わかってるってば。気後れしたりしませんてば」
シャーはため息を一つつき、リーフィに向けて少し笑んでみた。
「おい」
不意に後ろの方から声がした。
「何やってるんだ?」
振り返ると、ウェイアードの部屋から出てきたらしい男が二人いた。両方とも柄はあまりよくない。シャーは慌てて愛想笑いをすると、ひょこりと身をかがめて言った。
「あ、すみません。新入りなもので、お客様に呼ばれたお部屋が分からなくなりまして」
「へえ、新入りか? この娘もか?」
男の一人がリーフィに目をつけて、さっと手を取った。これはまずいとシャーは慌てて割ってはいる。
「す、すみません。この子、まだお店に出てないんですよ。入ったばかりで」
「そんなの金で何とかなるんだろ? いくらでも出してくださるぜ」
「よくありませんてば! そんな無体なことはよしてくださいよ。余興ならわたくしめがいくらでもばんばん……」
そこまで言ったとき、不意にどんと押されて、シャーはそのまま後ろに倒れかかる。
「シャー!」
慌ててリーフィはつかまれた手をふりほどくと、シャーの所に駆け寄った。
「大丈夫?」
「あ、大丈夫大丈夫」
シャーは半身を起こしながらそういい、そっとリーフィにささやいた。
「リーフィちゃん、どうもまずいみたい。はやく逃げて! 後はオレがごまかすから! 外で待っていてくれたら、後でオレが出ていくから……!」
「あ、ええ、わかったわ!」
リーフィはうなずくと、ぱっと足下に広がる裾をはねあげて、階段をさっと進み始めた。そのまま風のように降りていく。
「あっ、こら!」
「まま、待って下さい。まぁまぁ。今日の所はご勘弁を」
「お前、ここに仕えてるんだろ! 生意気なこといいやがって!」
シャーと男が押し問答をしていると、ふと部屋の方から一人の男が姿を現した。ちらりと横目でその姿をみて、シャーはぎくりとする。そこに立っているのは、例の美青年だ。
「何をしてるんだ? 騒々しいな」
彼は、後ろにもう一人仲間らしい男を連れていた。何となく目立たない感じの男で、騒ぎをややおろおろしながら見ているような感じであった。
「いや、ウェイアードさん、こいつが……」
(ウェイアード?)
シャーはそっと横目で、美青年を見やる。すらりとした鼻筋で、どこかの王族としても通じそうな顔つきだ。シャーも長身痩躯といえるが、シャーの場合は見かけをすらりとしているとは形容されない長身痩躯なわけだが、彼の場合は、普通に美称としての長身痩躯がつきそうだった。
女性的な柔和な顔つきで、女性と間違えられそうにも見えなくもないが、しかし、その瞳に宿る光は冷たく、そしてシャーにある種の警戒感を抱かせるようなものだった。
(こいつ…、……ただのぼんくらじゃねえ)
シャーはふと感づく。その目に宿る光は、シャーにも覚えのある光だった。シャー本人は、普段はそれをほとんどおさえ込んでいるし、彼の隠したものに気づく者はそれほどいない。だが、嫌なものでどれだけ隠れながら生活していても、嫌でも、彼は自分と似た匂いの者をかぎ分けてしまうのだった。
だから、はっきりとシャーにはわかったのである。目の前にいる伊達男は、ただの二枚目の坊やなどではない。かなりの腕を持つ戦士らしいということが。
「おい、芸人」
ウェイアードはやや横柄な口のきき方でそうシャーに言った。
「一体、どうして、女を逃がした?」
「い、いいええ、逃がしたわけではありませんですはい。あ、あとでちゃんとしかりつけておきますから、その……」
ウェイアードはきっとシャーの方を見る。それを見かねたのか、後ろにいた気の弱そうな青年が慌てて前の方に出てきた。
「ま、まあまあ、今日の所はこの辺にしましょうよ」
「なんだ、お前まで」
「まぁ、この人も困っているようですし、それにあの娘も恐がっていたみたいですから、ねえ。そこまでそんな乱暴することは――。あいたっ!」
ばしっとウェイアードにはたかれて、気弱な青年は床に投げ出されてしまった。ウェイアードは何も言わず、ふいっと顔を背ける。途端、周りにいた男達が、きっととシャーと青年の方を睨んだ。
「坊ちゃんの機嫌を損ねるんじゃねえ!」
「すみません」
思わず同時に青年と謝ってしまい、シャーは少しだけ苦笑いを浮かべた、が、そんな悠長な事をしている暇はなかった。謝り方が悪かったのか、それとも何か癪にさわることがあったのか、男達は急に血相を変えた。この表情は非常にまずい。シャーの本能が素早く危機を告げた。
(まずい。まさか、オレ、袋だたき決定?)
シャーは、思わず立ち上がって逃げ出した。時を同じくして同じ危険を感じたのか、青年がまた彼に続く。
「待ちやがれっ!」
「待てませーん!」
とっさにそう答えかえし、シャーは狭い階段へと滑り込もうとした。だが、横にも同じように逃げてきた人物がいるのを忘れていたのだ。細いシャーであったが、慌てて大げさな動きをしていたせいもあり、階段の入り口で思わずもう一人とぶつかってしまった。
「うおっ! ちょ、ちょっと、お兄さん!」
「わわわ、悪い!」
ひっかかってじたばたしていると、後ろから男達が迫ってきているのが分かる。慌ててふりほどこうとしたが、それがかえっていけなかった。焦っていたせいか、急に二人ともバランスを崩して、そのまま階段の方に体重が移動していったのだ。
「うわっ、バランスがーー! に、にゃああああ!」
妙な悲鳴をあげて、シャーは青年と同じくして、階段を転げ落ちていった。
「い、いたった……」
踊り場まで落ちると、あわてて立ち上がった。だが、それだけで男達の追跡がゆるむわけでもない。上を見て彼らが迫ってきていることを確認したシャーは、慌てて立ちあがり、逃げ出す。一緒に転げ落ちた青年も、同じように後からついてくる。
後ろから罵声が聞こえたが気にせずとっとと逃げる。妓女や芸人たちが妙な目で逃げる二人を見ていたが、それに気にせず一気に駆け抜ける。
さすがに館の玄関を猛ダッシュで抜けて、その前の暗い路地裏に二人そろって滑り込んだときには、後ろから追ってくる気配は無かった。
路地裏からぬーっと顔を出して誰も追ってきていないことを確認した後、ようやくシャーは落ち着いてふうと安堵のため息をつきながら、路地裏の壁にずるずるもたれかかった。
「あーぁ、たたき出されちゃった」
シャーは呆然とため息をついた。そして、横にいる冴えない顔の男を見る。同じく何となく悄然としている男は、まだ若かった。シャーはぺこりと頭を下げる。
「すみませんね、お客さんまで殴られちまって。巻き込んじゃったみたい」
「ああ、構わないよ。…慣れてるからさ」
男はそういってはあとため息をついた。
「あのウェイアード坊ちゃんとその連れにも困ったもんだ。好きな女と見れば、ホントわがままを押し通すんだから」
「お客さん、あのウェイアードさんのお知り合い? というか、お兄さんはお連れさんじゃないのかい」
男はうーんといって頭を掻いた。
「いや、連れというと連れなんだけどね」
そういって、男は人懐っこそうな顔でにっこりとした。
「オレはゼダっていって、まぁ、あのウェイアードの家に雇われてる使用人の息子さ。あいつが遊ぶのにつきあわされちまってもううんざりしてるんだよな」
「へぇ。そうなの」
シャーはいつものように応えて、ゼダという青年を見た。これといって特徴はあまりない感じの男だが、明るくて人のいい男らしい。シャーはふうむと唸って、ゼダに話を振った。
「それじゃあ、ゼダさんは、あのお坊ちゃんが最近新しい女の子に目をつけたことも知ってるの?」
「え、ああ。知ってるよ」
思いの外、ゼダは簡単にそれを認めた。
「カタスレニアの酒場にいる二人だってきいてるけどな…。いや、ホント参ったもんだよ」
「それって、ウェイアードさんは、その子がお好きなのかい?」
「さぁ、いつもの気まぐれかもなあ。ただ、あの人は、理想の女性ってのを探してるんだよ。今までのは、それに値しなかったっていって捨てちまったのさ」
ゼダは、やや軽蔑するような口調で吐き捨てる。
「…なるほどねえ」
「うん、芸人さんには悪いことをしたね。オレが謝っても仕方ないけど、ひとまず謝っておくよ。すまなかったね」
「いいよいいよゼダさん。気を遣わなくても」
シャーはそういって首を振った。
「オレもちょっと間が悪かったみたいだしね。ご主人様によろしく言っておいて」
ゼダは、申し訳なさそうな顔でうなずいた。シャーはふうむとあごをなでて、何となく考え事をしていた。