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踊る宰相  


 
 其二・大盗賊飛鷹 〜 dance with wolves ? -5

「いいの、悪いねえ」
 裏路地の酒場は、何となく育ちのいい皇子にとっては気味が悪いのだが、それでも、目の前の男がここがいいといったので、きっとそう悪いところでないのだろうと思った。
 ともあれ、斐皇子は世間知らずなので、その辺のことについては、驚くほど鈍いのだった。
「いえ、困っている人を見捨ててはいけないと教えられておりますから」
「そう? 子供におごってもらっちゃうなんて、悪いなあ」
 男は、そんなことをいっているわりに悪びれていない。目の前にあるのは、酒とちょっとした食事である。
 旅人らしい男の容貌は、少し宮中の人間とは違うような気がしたが、そんなことをいうと、宰相の陸がすでにそうなのだし、ほかにもたくさんそういう人もいるので、斐皇子は、あまり怪しまなかった。
「たくさん召し上がってください」
「ホント? いや、悪いなあ」
 悪びれない旅人は、とりあえず子供の好意に情けなくもすがることにしたらしい。


 一方の爵は、その辺をぶらぶらと歩いていた。
「アイツおいてきちゃったけど、あそこでちゃんと待ってるだろうな?」
 まあ、ああいう坊ちゃんは、言うこと聞くのだけがとりえだもんな。そんなことをいいながら、爵は、足を進める。とにかく、この近くに父の杜陸がいるというのなら、注意しなければ。
 あの親父は、間違いなく自分の親父なので、悪知恵が恐ろしいほど働くのである。おまけに、やくざの飛鷹とつるんでいるものだから、こういう裏道もよく知っているのだ。ついで育ちが悪いので、その辺の事情にも詳しすぎるのである。
「親父にみつかんなきゃ、大丈夫なんだよな。よし」
 くるりとあたりを見回ったところで、爵は安心して、あの世間知らずの太子のところにもどってやろうと方向を変えようとしたときだった。
 目の前からきた黒服の男とすれ違ったときに、少し衣に足がひっかかたのだ。適当に挨拶して、やりすごしてしまおう。爵は顔を上げた。
「あ、どうも、すみませ……」
 顔を上げた先にいたのは、目の細い三十過ぎぐらいの長身痩躯の男だ。ちょっと小物的な悪党面だが、少なくとも瞳の光は、かなり知性的というより狡猾に近い。
 爵が思わず表情を変えるころには、相手の男の表情も変わっていた。
「げっ、親父!」
「あーっ! テメエ、ようやく見つけたぞ! このクソガキが!」
 反射的に逃げ出す爵を、これまた反射的に陸は追いかける。爵も足が速いので、大人でも早々追いかけられないのだが、陸はそれ以上に早い。
「ふはははは、三十路はこえようと、かつては「韋駄天の陸巴吐(りくはと)」と恐れられたオレが、小僧ごときに巻かれるもんか! 大人の偉大さを知れー!」
 勝利の笑みを浮かべつつ、爵の襟をつかもうとしたとき、爵は苦し紛れに角に入り込もうとした陸の前に、大きな影が目に入った。
「うわあ!」
「ぎゃあっ!」
 するりと爵が裏に入るのと同時に、杜陸は飛び込んできた影をかわすので精一杯である。思わず隣の家の壁にあたりながら、ようやくとまった陸が顔を上げると、見慣れた男が、少し驚いた様子でこちらを見ていた。
「なんだ、シャオルーじゃないか。あぶないなあ」
「どっちがあぶねえんだ、この馬鹿野郎!」
 壁にぶちあたったうらみをふくめて、陸は口を尖らす。
「お前はでかいんだから、いきなり出てくるな! びっくりするだろうが!」
「そんなこといったら、足の速いのがいきなり飛び込んでくるほうが恐いと思うけど」
 飛鷹がのんびりと言い訳する間に、陸は本来の目的を思い出してあわてた。
「あ、あのガキ! どこにいった!」
「あ、爵のこと? あー……」
 飛鷹が後ろを向いたとき、すでに爵は、路地裏の闇に消えていくところだった。
「追いかけても間に合わなさそうだよ」
「馬鹿ー! 気づいてたら追いかけろ!」
 再びおいかけようとしたとき、ふと、陸の耳に、女の声が響いた。
「もう、何やってるのよ!」
 あせっていたので気づかなかったが、そういえば、飛鷹の奴、肩に何か担いでいるようだった。陸は、そちらを見てみると、例によってかわいらしい娘が、飛鷹の肩にちょこんと座って、眉をひきつらせてこちらを見ていた。
「あなた口先ばかりでホント役立たずね!」
「何だあ! どこの荷物かと思ったら、行かず後家の皇太后陛下かよ!」
 陸は、爵に逃げられた苛立ちも手伝って、あからさまに敵意のこもった言葉を吐いた。
「何肩に乗ってんだよ。運動しねえと太るぞ。おかげでどこの荷物かと思ったじゃねえか」
「まあ、なんて言い草かしら。あたしが歩きすぎて足が疲れたっていうから、飛鷹くんが親切で乗せてくれたのよ」
「そうだよ、オレがのせてあげたのに」
 珍しく口答えする飛鷹に陸は、む、と眉をひそめる。
「な、なんだよ」
「お雷さんはかわいいのに。陸はとんでもないことをいう」
「な、なんだ、お前! こんな色気の欠片もないような小娘の色香に迷いやがって!」
「別にそういうのじゃないけど、普通にお雷さんはかわいい子だとおもう。というか、シャオルーは基本的にお雷さんに冷たすぎ」
「何だよ、それは!」
 陸は、顔を引きつらせた。
「う、裏切り者! 小娘一人が介入したぐらいで壊れるなんて、お前と俺の友情とは、そんなものだったのかー!」
「お、大げさだなあ」
 飛鷹は、困惑気味に肩をすくめる。
「うるさい、裏切り者ー! 俺はお前だけは信じてたのにー!」
「……味方が少ないからって、必死ね……。なんだか、哀れになってきたなあ」
 雷玲蘭は、何となく哀れみをまじえつつ、ため息をついた。
「う、うるさいっ! てめえみたいな小娘には、オレのような男の孤独はわかんねえんだよ!」
「お酒飲んだら絡むタイプよね、この人」
「あ、よくわかるなあ。まさに、絡んでどうしようもない……あれ」
 飛鷹の言葉に陸が何か反論しようとして口を開いたとき、ふと、当の飛鷹が言葉を途中で止めて、うしろのほうをみた。
「なんか、あそこでがやがやしてるなあ」
「何?」
 そういってそちらのほうを見る。路地裏の一角。あれは酒屋かなにかだろうか。ともあれ、妙にがやがやしているのは間違いなさそうだ。
「い、いってみましょうか?」
 雷玲蘭の言葉に、陸は、ちょっと迷った末、足を進めた。





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©akihiko wataragi