ネズミとリーフィ

その日、リーフィは、道を歩いていた。酒場の主人に使いを頼まれて、ある家に言付けをしてきた帰りである。今日の仕事は夜からなので、時間はあるのだが、リーフィは、一人で道を歩くとどうしても急ぎ足になってしまうタチなのだった。
 もちろん、この街の治安のことを考えると、一人歩きの彼女は急いだ方がいいのだろう。それに、リーフィも話し相手がいれば、それほど早くは歩かない。
 頭に薄衣をかけて、日光を遮りながら、リーフィは日光の下にさらされているにしては、しろすぎる綺麗な顔を伏せるようにして歩いていた。
「あ! リーフィちゃん!」
 不意に声が聞こえ、リーフィはわずかに立ち止まる。無表情なリーフィだが、まれにわずかに表情を浮かべることがある。それは相手によりけりで、よほど信頼している相手でなければ、リーフィはその顔を向けることはない。
 振り向いた先には、きつい癖毛を結い上げた男が立っている。太陽の下にはまばゆい青の鮮やかな布を頼りなげなひょろりとした体にまとって、それから一度見ると忘れられないような、ぎょろりとした大きな目は三白眼である。その彼が腰にいつも下げている東方風の刀が、どれほどの力を秘めているかを知るものはあまりいない。
「今日は、何かこっちに用事かい?」
「ええ、言付けを頼まれたの。あなたこそ、珍しいわね。こんなお昼前から」
「まぁねえ」
 シャーは、そう答えて軽く笑った。
「いやさあ、ちょっとあいつらに呼ばれちゃって。なんでも、飯をおごるから、ちょっとにぎわしに来てくれっていわれちゃってさー。なんでも、あいつらの誰かの身内が恋人連れてくるんだとか。でも、盛り上がらなかったら、まずいから、オレに来てくれってさ。オレがいくぐらいで盛り上がるかなあ? つーか、その恋人さんに嫌われちゃいそうで不安……。一回断ったんだけど、飯おごるっていわれると〜〜」
 立て続けに喋ってシャーは、ふうとため息をつく。いくら不安でも、昼飯に酒までつけてくれるといわれると、さすがに今日もまた財布が逼迫しているシャーにとっては、断りがたい話なのだった。頭が拒否しようとしても、ついつい口が承諾してしまうのである。ここのところ、弟分の金のまわりが悪いらしく、あまりいいものを食べていなかった。食料の確保には、結構シャーは気を遣っているのである。
「あなたなら、大丈夫じゃない? そういう、場を盛り上げる才能のようなものはあるとおもうわ」
「リーフィちゃんに言われると自信がつくねえ、ありがとう。そんじゃ、頑張ってくる」
 リーフィに言われて、シャーはにんまりと笑うと手をあげて、足をすすめかけた。
「ああ、そうだ……」
 ふと思いついたように、シャーはくるりと振り向いた。そのまま立ち去ろうとしていたリーフィも、立ち止まる。
「前々から聞こうと思ってたんだけどさあ、……最近、リーフィちゃんは困ってない?」
 そういうシャーは、いつもの彼とは少し違い、妙に緊張感があった。リーフィは、軽く首を傾げた。普段、なるべくその片鱗を出さないように生活しているシャーが、こういう目つきをしている以上、まさか冗談でそんなことを言っているわけでもないし、ましてや単に挨拶代わりにそうきいたわけでもない。彼は明らかにある一つの可能性を心配して、リーフィにそう訊いたのだ。
「シャー……」
 リーフィも、噂で何となくは知っているが、きっとシャーの方が耳が早い。シャーは、あちこちの酒場に出没するが、それは大体なじみの舎弟が溜まっている所をかぎつけて現れる。だから、リーフィの酒場ばかりに通い詰めているわけでもないのだ。それが、ここ二週間ほど、彼は弟分がほとんどいない日にでも、リーフィの酒場に来ていた。
 リーフィはようやく、どうして彼がここのところ、酒場に来ていたかを理解した。
「あのさ、……風の噂でね、アイツが戻ってきたっていう話、聞いたからちょっと心配で……。リーフィちゃんが、アレから離れたのは良かったと思ってるけど、ああいうのってシツコイからねえ、もし何か言いに来ないかって思って……」
 シャーは、少しマジメな顔になっていた。シャーは敢えて名指しを避けているが、その「アイツ」が、かつてのリーフィの恋人のベリレルというごろつきであるのは、簡単に予想がつく。
「オレが喧嘩売ったみたいなもんだし、オレがリーフィちゃんとアレを別れさせたみたいなところがあるからさあ、何かあったら、オレ、責任感じちゃうよ」
 シャーは、何となく申し訳なさげな顔をした。
「大丈夫よ。それに、私も、これでよかったと思っているもの」


*