しかし、あの剣は特殊だった。持った途端、寒気が走るような感じがした。だが、あれは悪寒というより快感に近かった。
 ジャッキールのように片足を狂気の世界に突っ込んだ者なら、それは実感としてよくわかる。特に、戦いを楽しむような好戦的な性格の持ち主なら、よほど自制心がなければ、まっとうな精神を保っていられないだろう。
(ハルミッドはアレが失敗作だといったが)
 ジャッキールは、肩にかかっているフェブリスを見やりながら心の中でつぶやいた。
(……おそらく、出来自体はメフィティスの方がいいはずだ)
 ジャッキールには何となくわかる。メフィティスには、あのハルミッドの怨念めいた魂が込められている。技術者として彼が全てを込めて作ったのがメフィティスなのだ。だが、貪欲なまでに最高を求めて作ったメフィティスは、最高の出来だったかもしれないが、結局貪欲な魔物の剣でしかない。だからこそ、最終的にハルミッドはメフィティスは失敗作だといったのだろう。
 不意に赤い上着を着こんで、所在なさげに歩いている男が見えた。どこかの金持ちの使用人なのだろうか、気の弱そうな顔立ちの男だ。目をそらそうとして、ジャッキールは一瞬眉をひそめた。ただの弱気そうな男に見える彼が、一瞬、ちらりとこちらを鋭い目で見たような気がしたのだ。だが、目を返したときには、すでに彼はまた冴えない男に戻っているようだった。そのまま、その男は、町の角を曲がっていってしまった。



 黒いマントが月の光にわずかに映る。女達の笑い声が高らかに響き、たえなる歌声がかすかに漂う夜を眺めながら、男は水煙草をふかしていた。
「よかったのですか?」
 高い楼閣から、道を見下ろしている彼に、男は聞いた。
「あれは、間違いなくあのときの男です」
「あったとてどうにもなるまい」
 男は、静かに答えた。
「真正面から飛び掛れば、こちらにも犠牲者が多く出る。あの男の力はこの前みただろう? こんなところで騒ぎを起こしては、さすがの私もごまかしきれなくなる」
 男は、ゆるりと立ち上る煙を見上げてつぶやいた。
「それにしても、アレは稀に見る美しい剣だったな」
 嘆息をつきながら、男は言った。
「ハルミッドが言っていた。あのフェブリスが最高の傑作であると。確かに、あの闇の中で垣間見た光はあまりにも美しかった」
 男は、腰にさげている、それも上等な剣の柄をなでやりながら、誰に言うともなくいった。
「あのような無骨な男に持たせるのはもったいない。あれも、手中に収めねばならないが……」
 煙をふっと吐き出しながら、男はゆったりといった。
「あのような男、一人消えたところで、問題にはなるまい……」
 それにどういう意図が含まれているのかは、聞いているものならすぐにわかる。ちらりと目をやると、部下の男は軽くうなずいた。それを満足そうにみやりながら、彼は再び外に目をやった。月の光が、静かに街に下りている。



 酒場は、妙に静かだった。いつもなら、もっとわいわい賑わっているが、今日はどうもそういう雰囲気でもないらしい。シャーの馴染みの連中は、ああいった癖に、結局まだ酒場にいるのだが、それにしたって冷たいものだ。シャーがリーフィと一緒に酒場の前を通りすがったのを見ているものがいるはずなのに、全員シャーのことを見ないふりである。シャーが来るとおごらなくてはならないし、それに、確かに彼がこの時間帯に現れると朝まで騒ぐ事が多いから、彼らの警戒はわからなくもない。だが、それにしても冷たい。
 シャーは、とりあえず酒場の裏側から、リーフィの控え室代わりに使われている小部屋に来ていた。
「鍛冶屋殺し? こうずか? でかい黒服?」
 最後のはまあともかくとして、と、小声でつぶやき、シャーは首をかしげていた。手にあるのは、ハダートが置いていった紙切れである。それに書かれていた情報とやらは、結構断片的なものだった。まあ、ハダートが書いたのだから仕方がないかもしれない。彼らしい意地悪ともいえるかもしれないし、そもそも、用心深いハダートは、めったなことを書いておかないのだ。
 ともあれ、そのメモの中身を整理するとこういうことである。
 一つ、先日、鍛冶屋が王都のはずれで殺され、剣が盗まれた。この強盗事件の犯人は捕まっていない。
 二つ目、王都の貴族の一人で、剣集めが趣味だという好事家がいるという話がある。
 三つ目、連夜、事件が起こった直後に、青白い顔の黒い服の男が目撃されている。


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