シャルル=ダ・フールの王国

魔剣呪状


暗い夜だった。空を雲が覆っていたのか、新月だったのか、そんなことはテルラにはどうでもいいことだった。
 カーラマン郊外のセアドには、すでに夜の眠りが覆いかぶさっていた。外を眺めてみても、灯りのついている家は少ない。
「随分暗い夜だな」
 テルラは、窓から外を見やると、そっと戸を閉じた。冷たい空気が中に流れ込んでくるのが、少し和らいだようだ。テルラは、戸締りを一通り終えると、ふと思い出したように振り向いた。
「師匠(せんせい)はまだやっているのかい?」
「らしいな」
 テルラが振り返った先にたっているのは、彼より年長の男である。二十代後半の男は、使った道具類を片付けにかかっていた。無愛想なテルラと違い、愛想のいい彼は、テルラにとってもいい兄弟子だった。師匠のハルミッドは、刀鍛冶以外は何もできない男なので、接客などは彼がやっている。彼の名前はラタイといい、彼自身も相当な腕の刀鍛冶である。
 ハルミッドは、この地方では珍しい剣を作ることで有名でもある。彼は西渡りの剣に惚れ込んでいるらしく、近頃作る剣といえばそればかりだった。だが、その剣の絶妙な美しさといえば、他の鍛冶屋がどれだけ努力しても出せないような、独特の美しさでもある。それは、ハルミッド以外には出せない特殊な美しさだった。もちろん、武器としての最高の機能を誇る。
 そんなハルミッドの剣を求めに、貴族から戦士までもがこの家にやってくる。ハルミッドは、めったに商談には応じようともしないので、そのせいもあってラタイは貴重な存在でもあった。
「そろそろお休みになったほうがいいんじゃないか? ラタイからそういってみたら……」
「ああ、でも、師匠のことだからな。やり始めるととまらないひとだから」
 ラタイはそういい、肩をすくめた。肝心のハルミッドはといえば、先ほどから一人鍛冶場にこもったっきりだ。剣を打ち直しているにしては、音がしない。
(また、剣とにらめっこしているのか?)
 テルラはふとそう思った。いいや、あの師匠に関しては、珍しいことではないのだ。時々、鬼気迫る表情で、彼は自分の作った壮絶なまでに美しい剣をじいっと熱っぽい視線で見ていることがある。そういうときの師匠の瞳は、どこか狂気を帯びているようで、さすがのテルラでも何となく萎縮してしまうことがあるほどである。
「まあ、師匠には師匠の世界があるのさ。俺たちはあまりかまっちゃいけないぜ」
 ラタイは、明るくそういった。その声をきいて、テルラも考えるのをやめる。考えたところで、答えは出ようもないのだ。
 暗い夜はまだ更けるようだった。闇の静けさが、妙に耳障りな夜である。
 と、いきなり、戸を叩くような音がした。ふとテルラは顔をあげたが、まさかこんな暗い夜に来客などあるはずもない。村のものなら、何か声をかけてくるはずだ。
(風の音だな)
 テルラがそう無視しようとしたとき、再び戸を叩く音がする。ラタイが今度は顔を上げた。
「誰かいるんじゃないか?」
「しかし、こんな夜に?」
 テルラは、首を傾げたが、とはいえ、ラタイも聞こえているのなら空耳でもないのだろう。テルラは、「今あけます」と声をかけて扉をあけた。
 そして、思わず飛び下がる。
「だ、誰だ!」
 扉の向こうには確かに人間がたっていた。だが、それはさながらこの暗い夜をそのまま人間にしたような感じの男だった。真っ黒な服装に黒髪。年齢は三十前後といったところか。ランプの光を浴びても、なお血色の悪い青い顔と鋭い瞳。どこか陰気な雰囲気の男は、それに似合いの暗い笑みをわずかにうかべているようにみえた。東方の人間にも見え、西方の人間にも見える顔立ちは、整ってはいるが、冷たさの方が際立つ。
「勘違いするな。俺は賊ではない」
 盗賊と間違えられたと思ったのか、男は憮然とした声でそういった。
「……貴様とは初めて会うようだな。だが、そこにいる兄弟子は俺の顔を覚えているはずだが」
 そういってラタイの方に瞳だけをすっと向ける。ぎくりとしたように、慌ててラタイは駆け寄ってきた。
「ああ、これは、ジャッキール様。お、お久しぶりで……」
 さすがのラタイの愛想笑いも随分と引きつっていた。テルラはそれで、この人物がどういう人物かわかった気がした。
「ハルミッドはいるか?」
 男は軽くマントを払い、家の中にあがりこんできた。
「約束のものを取りにきたのだが……」
「いえ、今は師匠は……」
 ラタイが引きつった笑顔でそういおうとしたときだった。ふと鍛冶場に続く扉が開き、一人の老人が現れた。
「師匠……」
 ラタイとテルラの警戒をよそに、ハルミッドのしわの多い顔は、いつになく上機嫌に緩んでいた。無愛想な男が、これほど愛想よく客を迎えるのは珍しい。


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