四日目:乙女の矜持-3
昼下がりの街は、どこか気だるい穏やかな空気を漂わせていた。
宿を出た後、私は瑠璃蜘蛛に言われるままに歩いていた。あんなことがあった後なのに、それが嘘であったかのように、街は、平和そのものにみえた。
私が宿を出たのは、瑠璃蜘蛛にお使いをいいつかった為だ。
瑠璃蜘蛛は、私に知らせを南路にいる本隊に向けて送るようにいいつけていた。伝令役はすでに彼女が手配しているが、手紙と現物を持っていって欲しいというのだ。
そして、渡されたのは、殿様がはずした銀の指輪と装飾の多い仮面、赤い上着だった。赤い上着に血の染みがついていて、私は、それを見ると気持ちが沈んだ。
銀の指輪には内側に文字が書かれている。それは、はっきりとは読まなかったが、刺客に王子だといわれていた殿様の正式な身分が書いてあるのだろうと思う。たとえ、それが届かなくても、この仮面を見れば、彼の傍にいたものには、誰のものであるかすぐにわかるだろう。
瑠璃蜘蛛は、私にお金とそれらと走りがいた手紙を渡して、馬子に渡すように言いつけていたのだった。
けれど、先ほどの事件の後であるだけに、私はその任務を引き受けるのが気が重かった。まだ気持ちがざわついていて、落ち着かなかった。しかし、瑠璃蜘蛛は、逆にそういう私であるからこそ、この役目を押し付けたのかもしれない。
とぼとぼと私が歩いていくと、ふと目の前に背の高い男が立っているのがわかった。
私はどきりとした。彼は私の持ち物をじっと見ていたからだ。
「お嬢ちゃん、どこにいくんだい?」
男は、そう声をかけてきた。親切そうな男だったが、あの林檎の一件で、私はすべての人が敵のように見えていた。
「これは? 何か大切なもののようだけれど、お嬢ちゃんのものではなさそうだよね?」
男がにこりと笑って、指輪と仮面をさした。
「あの、持ち主だった人が亡くなったので、ゆかりのある方に知らせを飛ばすんです」
私は瑠璃蜘蛛に言われたとおりにそう伝えた。
「そうか。ちょっと見せてくれないかい? 知り合いのものににているんだ」
「どうぞ」
「ありがとう」
男は、私のもっている指輪を手に取った。瑠璃蜘蛛は、誰か行く道でそれを見せるようにいわれたら、遠慮しないで見せるといいといっていた。もし強引にとられたら、それはそれでいいとも言っていた。私は、抵抗することなく、彼にそれらを差し出した。
――男は、仮面や衣服に目もくれず、指輪の内側を注視していた。つまり、彼はそこに何が書かれているか、知っているということである。それに気づいた私は、逃げ出したくなるような緊張感に襲われていた。
しばらく、男は、それをじっと見ていたが、何か小声で呟いた後、私の手にそれを戻した。
「人違いみたいだ。ありがとう」
「はい」
「でも、これの持ち主は亡くなったんだね」
「ええ、もともと調子が悪かったみたいです。それで、ゆかりのある方に手紙で女神様の神殿にきてもらうようにって」
「ああ、そうか。そろそろ祝祭だったからね。そこで弔ってもらうわけだ。その方は、もしかしたら、女神様の祭りの護衛役だったのかな?」
「そこまではわかりませんが、そうだったのかも。私は、あの、お使いなので」
私が逃げるようにそういうと、男は無理強いをしなかった。
「そうか。お気の毒だったね」
男はそういって、気をつけていくように私に言って立ち去った。
私は、男が去ってから急に緊張がとけてしまって、指先が震えるのを感じた。
私は急いで瑠璃蜘蛛が用意してくれていた伝令係の男達のところにいくと、殿様の赤い服に仮面と指輪をくるんで、南路の街に向かうようにお願いした。彼らの馬なら、おそらく巡礼の本隊が七日目に通る場所に本隊より早くつけるだろう。そこで、殿様の世話係の人に渡してもらえればいい。
手紙には、神殿に来るように。貴方の大切な方をお預かりしています。とだけ瑠璃蜘蛛は書いていた。
先ほどの男が言ったとおり、巡礼の途中、万一、護衛が死んだ場合、遺体はそこで葬られるが、遺品を神殿まで運び、神殿で弔うのが慣例とされていた。そうすることで、死んだ護衛は、来世で女神の武官になるのだと伝えられている。
そのことは、知っている、知っているから、その文章を見た人間がどう思うかも私は知っているのだ。
瑠璃蜘蛛は、殿様が死んで弔いをするから、貴方も神殿に来い、と読ませるつもりでそう書いているのだ。そして、彼女の行動も、周囲にそう読ませるためのものだった。
瑠璃蜘蛛はいったい何を考えているんだろう。時々、私は彼女のことがわからなくなる。
そうして、私が、ようやく、宿に戻った時、ちょうど瑠璃蜘蛛は、宿の部屋の前で帰っていく医者を見送るところだった。
「君の手当てが早かったので大事には至らないようだ」
「それはよかった」
微笑を浮かべる医者に、瑠璃蜘蛛はほっとした表情を浮かべた。
「しかし、しばらくは高熱が続くかもしれないな。左腕の傷が化膿している上に、本人の体力も落ちている。若いから大丈夫だとは思うのだが」
「そうですか」
少し心配そうなそぶりを見せつつ、瑠璃蜘蛛は、気を取り直して医者に聞いた。
「飲ませる薬は、この毒消しと熱さましでいいですね?」
「ひとまずそれで様子を見たほうがいい」
「はい、ありがとうございます」
立ち去りかけて、医者は、ふと眉をひそめ、小声でいった。
「それで、近くにあった死体のほうは、君の言うとおりに寺院に引き取ってもらったが」
「はい、それが一番よいものかと」
瑠璃蜘蛛は、言った。
「会ったばかりでお名前も存じ上げませんでしたが、私を守ってくださった方でした。丁重に葬ってください」
瑠璃蜘蛛が何の話をしているのかわからないが、彼女は神妙な顔つきでそういう。
「ああ、そう伝えておく」
医者はそういうと、瑠璃蜘蛛の見送りを受けてまた街のほうに帰っていった。その時、瑠璃蜘蛛が、「このことはどうぞご内密に」とそっとささやいたのを私は聞いた。
「シャシャ、お帰りなさい」
瑠璃蜘蛛は、医者を見送ってから、帰ってきた私に気づいたのか微笑んで迎えてくれた。
「ごめんなさいね、疲れたでしょう? さあ、早く中に入って」
そういわれて、私は瑠璃蜘蛛に案内されて部屋に入った。
宿は質素な部屋だったが、窓は天窓しかなく、外から様子がわかりづらい。そのことは、今の私達には好都合だった。
その端の寝台には殿様が寝かされていた。まだ顔色が優れず、時々苦しげに息をついていた。熱があるのか、冷たい手ぬぐいが額にかけられていた。
そうしてみると、痩せた殿様はひ弱で貧弱な感じがした。まるで別の人のように弱弱しくみえた。
「心配かけたけれど、大丈夫みたい。しばらく様子を見てあげないといけないけどね」
瑠璃蜘蛛はそういって、私の様子を見た後、眉をひそめた。
「大丈夫? もしかして、誰かに何かきかれたの?」
「はい。でも、ねえさまの言うとおりにしました」
「それならよかった」
瑠璃蜘蛛は安堵したようだったが、心持ち緊張した様子でそっと呟く。
「でも、やっぱりそうなんだわ。他にも彼を狙っている人たちが、ここにいるのね」
そんな瑠璃蜘蛛をみながら、私は、とうとう彼女に訊いた。
「……ねえさま、どうしてあんなこと……。あんなお手紙を送ったら、殿様がお亡くなりになったみたいな……」
「そういう風にしか取れないわね」
瑠璃蜘蛛はさらりといってのけた。
「そのとおりなの、シャシャ。ああすれば、この人が死んだように見えるからよ」
瑠璃蜘蛛は、私を手招いてそばに座らせ、小声になった。
「シャシャ。この人が返り討ちにした刺客と、林檎を渡した刺客の組織は多分違うと思うの。雇い主も違う可能性があるわ。ということは、おそらく命を狙っている人は、他にもまだいるはず。もし、まだこのひとが生きていることがわかったら、必ず襲ってくるにちがいないわ。今は抵抗できないから、間違いなく殺されてしまう。敵にとって、これ以上ない好機なの」
「けれど、あれでごまかされるでしょうか」
「わからないわ。でも、多少の効果はあると思うの。彼が運ばれていく様は、皆見てるわ。無事には見えなかったでしょう」
それに、と彼女は続けた。
「この人が返り討ちにした刺客を、私達の仲間に見せかけておいたわ。彼を寺院に丁重に葬ってもらえるようにしてあるの。もし、彼と狙っている刺客が、その刺客と別の場所から派遣されているのなら、騙されてくれるかもしれない。今はそれに賭けるしかないわ」
「それで、殿様の服と仮面と指輪を?」
「ええ、それを持たせて神殿に来るようにと言う手紙をつけたら、それを見たものは、護衛が死んだので神殿で弔うという風に受け取るわね。それなら、数日時間が稼げる筈。世話係の方が誤解してしまったら気の毒だけれど、神殿に着けばすべてわかるのだから……、それは許してもらえるといいのだけれど」
瑠璃蜘蛛は、殿様のほうを見る。
「数日で、あのひとが元気になれば、それでいいわ」
「でも、あれこれ使ってしまってお金が……。数日間もここにいられますか?」
私が心配してそういうと、瑠璃蜘蛛は、大丈夫よ、と答えた。
「かんざしを売ったから」
瑠璃蜘蛛はけろりとそんなことを言う。いつの間にか、祭祀に使うかんざしをどこかで売ってきたらしく、言われれば彼女の頭から、あの豪華な宝石がなくなっていた。
「当面の逗留はできるわ。彼が目を覚ますまでは、大丈夫じゃないかしら」
「けれど、そのかんざしは……」
「お祭り用だけど、しょうがないわ。それに、お祭りにも間に合うかどうかわからないし」
瑠璃蜘蛛が、そういうのをきいて、私は何かが心の中ではじけた気がした。
どうして、瑠璃蜘蛛まで、殿様を助けるのにこんなに必死になるのだろう。殿様は、瑠璃蜘蛛に迷惑ばかりかけていた。今回の事だって、殿様が自分から――。
瑠璃蜘蛛も彼のことが好きなのだろうか? そんなに殿様は魅力的?
いや、違う。瑠璃蜘蛛は、殿様を慕ってはいる風ではなかった。
好意でないとしたら、同情? けれど、瑠璃蜘蛛の無表情から、同情の気持ちなんか読み取れない。瑠璃蜘蛛の顔からは、何の感情もわからないのだ。
でも、それなら、どうして?
私の中で、色んな思いが交錯して爆発してしまいそうだった。
「瑠璃のねえさま、殿様をおいて二人で巡礼を続けましょう」
ふと気づいた時には、私はそんなことを口走っていた。
「シャシャ?」
瑠璃蜘蛛は、怪訝そうに首をかしげた。
「どうしたの? そんなこと言い出して?」
いつもどおりのおっとりとした様子ながら、瑠璃蜘蛛は眉をひそめていた。
「だって、このままじゃ、お祭りに遅れて、ねえさまがひどく叱られてしまいます。もしかしたら、ひどく折檻されるかも」
「そうね、怒られるのは確かね」
さらりと瑠璃蜘蛛は答える。その他人事のような冷たさに、私は苛立ちを覚えた。
「だったら、行かないと。殿様は、自分でいっていたもの。使いさえ呼んでくれればそれでいいって……。それなら、誰かに殿様を任せて、私とねえさまだけで神殿に」
「シャシャ」
私は、話しながらだんだん感情が高ぶっていくのを感じた。自分でわかっているのに、止められなくなってしまう。
「殿様のわがままでこうなったんだもの。自分でも自業自得だっていってたわ。だから、伝令だけ飛ばしてしまえば」
「シャシャ、それは駄目よ。ここでおいていったらこの人は死ぬわ」
瑠璃蜘蛛は、首を振る。
「今、このひとは、生きる気力がないの。そんな時に一人でおいていったら、間違いなく死んでしまうわ。ましてや、命を狙われているのよ」
「それでは、誰か王都に呼びにいってから」
「それもいけないわ。このひとは、わかっているはずよ。王都に知らせるということは、この人がここにいることを敵にも知らしめてしまうことになるの。しかも、今弱っているということまで含めてね。シャシャ、このひとは、死ぬつもりでそんなことをいったのよ」
瑠璃蜘蛛は、ゆったりと正確に私に伝わるように言葉を選んで言う。その彼女の言葉に、私は自分の感情的で幼稚な反論が消されていくのを感じた。
「私は、このひとが誰だかは知らないわ。けれど、このひとの味方が、王都でどれだけいるかしら。そのことを考えていなかったわけではないでしょう。私に指輪を渡した時、この人は死を覚悟したの。自分を殺すものの到来を、受け入れるつもりになっていた」
「そんなこと、でも……」
自業自得じゃないか、と私は思った。
今の状況は、殿様が自分で悪化させていったものだ。
あの世話役の人が、殿様を殺さなければならなくなるような状況を作ったのも、もとはといえば殿様の放蕩が招いたものだ。
そして、彼が必死に止めたのに、殿様は巡礼の旅に出た。そして、自分を殺しに来たのが、ほかならぬ彼であると思い込み、彼の為に死んでやろうと決めてしまった。食事も取らずに酒ばかり飲んで、手当てもしないで体を悪くしてしまった。
あの林檎に毒が仕込まれているのを知っていたくせに、自分から食べたのだって殿様だ。どうしてあんなことをしたのだろう。まるで私へのあてつけのように。
裏切った女に似ているという私に、心の傷を残して復讐を行うかのように。
思えば、――すべては殿様が原因なのだ。
自分がいれば、狙われることを承知で巡礼に参加した。だから、私は夕映えのねえさまと離れ離れになってしまった。楽しいはずの祭だったのに、殿様のせいですべておかしくなってしまった。
殿様は知っていたのに。知っていたはずなのに。こうなることを、全部知っていたはずなのに!
私は、紅楼でいた時の、暴君のような殿様の憎悪に満ちた目を思い出した。
「こんなにひどい人、しんじゃえばいいんだ」
私は無意識にその言葉が口をついたのを知った。自分でいってしまって、少し衝撃的でもあった。
私は瑠璃蜘蛛の顔を伺うように彼女を見上げた。彼女の顔に軽蔑が浮かんでいるようで恐かった。恐くなって私がうつむいた時、彼女はゆっくりとこちらを見た。
「シャシャ。あなた、この人が怖いのね」
いきなり、そうきかれた。私はためらった末に、静かにうなずいた。
「そう。恐いのは仕方がないわね。彼も貴方を随分と怖がらせてしまったもの」
瑠璃蜘蛛の手が私の頭を優しくなでた。
「でもね、シャシャ。恐いのはあなただけじゃないわ。この人も、ずっと恐がっているの」
「え?」
私が顔をあげたとき、彼女の目とぶつかった。 私はじっと瑠璃蜘蛛の目を見た。彼女の目は、揺らぐことなく私を見ている。黒曜石のような黒い瞳が、冷たく正確に私を見ている。
綺麗で冷たい目だ。ふと、何の感情もうつさない彼女の瞳の奥に、恐怖におびえる自分の顔が浮かんだ。瑠璃蜘蛛自身は、感情をうつさないために、きっと見ている自分の感情がそこに浮かんでしまうのだと私はわかった気がした。
殿様が、瑠璃蜘蛛と対峙するのを嫌ったのはそのせいだろうか。自分の感情が彼女の中に鏡のように映ってしまうから。そう、自分の怒りの感情の裏にある、どうしようもない恐怖心と臆病さをあばきだしてしまうから。
「色んなことを恐がっているの。それで虚勢を張ってしまうのね。死ぬのも恐い、裏切られるのも恐い、それから、きっと、自分のことも恐いの。自分が信用できないのね」
瑠璃蜘蛛は、私の頭をなでながら、彼女らしく無感情な声で続けた。
「裏切られたことで、彼は貯めていた感情を爆発させてしまった。それを自分でも持て余してしまったのに、誰にも止めてもらえなくて、歯止めがきかなくなってしまった。それで、もう自分も他人も信じられなくなってしまって、それでこわくてこわくて仕方なくて、心を壊してしまったの。彼は恐怖に取り憑かれて、そこから逃げる為に酒に溺れて、一番嫌いな自分の姿に堕ちて行った」
「一番嫌いな自分?」
「酒浸りで、乱暴な、皆に嫌われるような自分……」
瑠璃蜘蛛は、私を優しくなでて微笑んだ。
「皆に嫌われて、誰も信用せず、誰にも信用されなくなれば、これ以上、裏切られることも、裏切ることもないものね。恐怖に負けて、お酒に逃げて心を閉ざして、そこに逃げ込んでしまったの。けれど、このひと、根はまじめだし、頭もいいのね。これ以上、その方法で逃げ切れないこともわかっていた。そして、この生活が、緩やかな自殺に他ならないということも、多分わかっていたはずよ。逃げることで、楽になれることもあるけれど、それがかえって苦痛をもたらすこともあるの」
瑠璃蜘蛛のいうことは、わかったようなわからないような感じがした。
「シャシャ、あのね」
瑠璃蜘蛛は、続けて優しく言った。
「この人が貴方の林檎を食べたのはね、本当に死んでもいいと思っていたからだと思うわ。あなたのせいじゃないわ」
瑠璃蜘蛛の言葉が優しくて、私は涙があふれてくるのを感じた。
「で、でも、殿様は、襲われたときに相手を」
そう、彼は刺客を返り討ちにした。それは、殿様が生きようとしていた証拠ではないのだろうか。そう訴える私に気づいて、瑠璃蜘蛛は優しく告げた。
「多分、それは反射的なものだったのじゃないのかしら。彼は剣士みたいだから、自分を狙ってくるものの殺気には反応してしまうし、自分を防衛しようとするのは当然だと思うわ。けれど、あなたが持っていた林檎には、毒が入っているのか、いないのか、彼にだって確信はなかった。彼が、それを口にしたのは、むしろどちらかわからなかったからでしょう」
「そ、それは、どういう?」
「そうかもしれないと思いながら食べたの。まあ、いいや、死んでも、って。確信がなかったから、軽い気持ちで口にしやすかったのよ。当たれば、死ねるんだって思って……」
「どうして……」
「自分で死ぬのは怖くて、勇気がなかったから、全部他人任せになっちゃったのね。でも、本当に、彼は、自分で言ったとおり、この旅のどこかで死んでもいいと思っていたのではないかしら」
「どうして、そんな……」
私はいつの間にか泣き声になっていた。
「だって、彼は、誤解をしていたんだもの」
瑠璃蜘蛛は、私をあやすように優しい声になっていた。
「お父さんみたいに世話をしてくれた、大切なひとがいたのね? でも、自分の行動から、そんなひとにまで命を狙われたって思ったとしたら、本当に辛いでしょう。けれど、彼は自分の力では、この状況をどうしようもなかったの。自分でいっていたように、その人に自分を殺させてしまったら、その人も死ななくてはいけない。でも、彼は自殺することもできなかったし、立ち直ることもできなかった。それなら、誰の責任にもならない旅先で……って」
瑠璃蜘蛛は、微笑んで首を振った。
「でも、全部誤解だったんだもの。死ぬ必要なんかないわ」
私は、涙をぬぐいながら瑠璃蜘蛛の言葉をきいていた。
「ねえ、シャシャ、死ぬ必要のない人を、死なせてしまったのなら、それは罪ではないのかしら」
瑠璃蜘蛛の言葉が、少し強かった。
「女神様の祭祀は、人の幸せを願って行われるものではなかったのかしら。祭りを行う為に、幸せになれるかもしれない人を見捨ててしまっていいのかしら」
瑠璃蜘蛛のささやくような声が、頭の中に何度も響くようだった。
「私は、星の女神様の乙女だわ。売女だ、淫売だと蔑まれても、私はそれを誇りに生きてきたの。少なからず乙女は、そういう自尊心を持っているものよ。夕映え姐さんや蓮蝶姐さんもそうよね」
瑠璃蜘蛛は、にこりと微笑んだ。
「女神が人に救いを与える存在なのだとしたら、その僕である私達もそうでなければならないわ。その役割も果たせないで、乙女を名乗るのだとしたら、それは女神様への重大な冒涜だと思うのよ」
「役割……」
「ええ、本来、私達はお店のために巡礼を行うわけではないのですもの。それなのに、今の私達は、お店やお金を出してくれるお大尽の為に巡礼を行っているばかり。それは、女神様が本当に望んだものかしら。本当に彼女の助けがほしいのは、このひとみたいな人なのにね」
瑠璃蜘蛛は、そういって殿様に目を落とした。
荒い息をつきながら、熱に苦しむ彼の姿は、紅楼の殿様と呼ばれたあの傍若無人な男と同じ人間に見えなかった。