辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第二章:マリス3

 
 おかしいとは思っていた。暗い森の奥で、ふっと人影が揺れたのだ。
「ファルケン?」
 レックハルドは半信半疑ながらに、たずねた。それは噂に名高い『辺境の狼人』かもしれないのだが、相手は一人のようだ。狼人は群れるときいた。
「ファルケンか?」
 人影が、突然ざっと音を立てて走り出した。
「あ!ま、待ってくれよ!!」
 レックハルドは、あわててその人影を追いかけた。逃げる人影は、ずいぶん向こうのほうにわずかながらにちらちら見える。
(やっぱり…オレのこと、怒ってるのか?ファルケン…。)
 それは、仕方ないとは思う。
「待ってくれ!オレが悪かったよ!!一言だけ謝らせてくれよ!!」
 草を跳ね飛ばし、レックハルドは影を追いかけた。木々がまばらになるところに、影は抜けていく。全速力でレックハルドは、後を追ってそちらに抜けた。
 だが、影は突然、ふっと消えてしまっていた。
「ファルケン?」
 森は奇妙に静まり返っている。妙に不安になり、レックハルドは今度は小声で呼びかけた。
「ファルケン?どこだ?」
 ふと、うなり声が聞こえた。レックハルドはゆっくりと、そちらのほうに目を向ける。ぴりぴりと、皮膚の上に妙な緊迫感を感じ、レックハルドは身を引いた。
 獣のうなり声は、彼が目を向けた瞬間に咆哮に変わった。彼のほうに、何か黒いものが飛びかかってきた。咄嗟に。体をひねってレックハルドはそれをかわす。飛びかかってきた黒毛の獣は、着地して彼のほうを向いた。目が異様な輝きをはなって、光って見える。
「ひっ!へ、辺境狼!」
 レックハルドの全身に冷たいものがひた走った。しかも、狼は一匹ではない。反対側に五匹ほどいた。辺境にすむ狼は、普通の森の狼よりももっと獰猛だ。グレーではなく、もっと黒い闇のような毛色。うわさに聞く、辺境狼に違いない。思わず、後ろ向きに後退し、レックハルドはどうやって逃げようか、焦った頭で考える。 狼が、動いた。レックハルドは考えるのをやめ、そのまま振り返って走り始めた。
「ちきしょう!!」
 彼は吐き捨て、それでも自分の戻ってきたほうを頼りに走った。奥に行ったら、きっと逃げ場がなくなる。辺境から出てしまえば、狼も追ってこれまい。
 だが、人間よりも狼のほうが足は速い。おまけに、ここは相手の縄張り内。土地勘があるのは、レックハルドではなく狼のほうだ。そして、ここは辺境…。
 長いとげのある植物にズボンのすそを引っ掛けて、レックハルドは転んでしまった。上から狼たちが飛び込んでくる。
「ちきしょう!離せ、馬鹿野郎!!」
 悪態をついて、ズボンに噛み付きかかった狼を、レックハルドは力いっぱい蹴飛ばした。ぎゃいんと悲鳴をあげて、狼は引き離された。だが、次々、狼は飛びかかってくる。
(やられる…!!)
 ぞっとした。だが、観念するしかなかった。
 と、そのとき、彼らの近くにいた狼が跳ね飛ばされた。馬の音が聞こえ、そして、女性の声が聞こえた。
「レックハルドさん!!早く!!」
 われに返り、レックハルドは、身を起こして走り抜けようとした馬の鞍に手を伸ばした。そのまま、体を力任せに持ち上げて、鞍の後ろ側にまたがった。
 馬に乗っていた人物が、後ろをちらりと見やった。
「マ、マリスさん…!」
 にこっと、マリスは笑って見せた。
「あなたの様子が、なんだかおかしかったので、後を追ってきたんです。悲鳴が聞こえたから、何かあったんだと思って辺境の中に…」
 なんて危険なことを。と思いながら、ふっとマリスが右手に持っている物を見た。彼女が、さっき狼を追い払うのに振り回していた物であるが、それは細身の長剣だった。もっとも、鞘を払わずにそのまま振り回していたようだが…。
(マリスさん、見かけによらず…もしやお転婆?)
 思いながら、レックハルドはそれはそれでいいかも!などと、のんきに考えてしまう。
「レックハルドさん!」
 横のりの鞍に乗っているマリスは、少し厳しい口調で言った。
「何にもつかまらないなんて危ないわ!!あたしの肩につかまってください!」
「え?」
 そういわれて、ふと気づいた。二人乗りなんてしているので、マリスと自分の距離があまりにも近い。とたん、顔が真っ赤になり、レックハルドはあわてた。思わず声が裏返ってしまう。
「いっ、いやぁ!そ、そんなことできません!」
「危ないですから!」
 マリスは大真面目だ。一気に心拍数があがり、レックハルドは胸の鼓動を聞かれやしないか。などと、狼に追われている者とは思えない心配をした。
「ほんとに!オレ、遊牧民出身ですから!大丈夫なんです!」
 これ以上心拍数が上がったら、幸せすぎて死んでしまうかもしれない。ましてや、肩に触れるなんて…。
「でも…」
「いやっ、ホント。大丈夫ですって。落馬なんてしません」
 追われていると言う状況をすっかり忘れた彼は、たはははは。と間抜けな笑いを浮かべる。実際、馬術は得意だというのは本当だ。雇われ牧童をやっていたとき、かなり鍛えられたものである。現在乗らないのは、馬を買う金が無いという理由があるからで、できることなら一頭ぐらい欲しい。
 などと、彼はのんきに思いを巡らせていたが、後ろを見た瞬間、レックハルドは、幸せいっぱいの気持ちや、限界寸前らしい心拍数のことも、故郷での馬のことも、全部吹っ飛んで顔を青ざめさせた。狼たちは、すでに馬の後ろ足と並ぶほどの距離にいる。
(速い…。辺境は馬には走りにくい所だろうが、それにしても速い。この狼ども。)
 辺境は危険なところだ。という、通説をレックハルドは痛いほど思い知った。二人乗りをしていることも、馬のスピードが落ちている原因だ。
「マリスさん!このまま二人で乗ってたら、追いつかれます!オレは木の上に逃げますから!早く辺境から!」
 無理だと判断したレックハルドがそう申し出る。
「何言ってるの?そんなのはいけないわ!」
「いけないとかそう言う問題ではなく!お願いですから!!」
「だめです!あなたを見捨てるなんてことはできないわ!」
(なんてお優しい。マリスさん。)
 こんな所でも、妙に感心する余裕があるあたり、結構大胆なのかもしれない。
 だが、レックハルドの余裕もそれまでだった。木々の間を縫うように走り抜けていた馬の目の前に、高い岩壁が出現したのである。これを飛び越すことはできそうにない。上ることも難しい。二人は、袋小路に逃げ込んでしまったのだった。
「しかたないわ。レックハルドさん!いったん馬を止めます!」
 マリスは緊張した声色でそう告げ、手綱を引いた。馬は少しいななき、断崖の前でその足を止めた。さっとレックハルドは、地上に降り立ち、すぐにやってきた狼たちの群をにらむ。
 相手は飛びかかるタイミングを計っているようだった。レックハルドは、帯にさしていた短剣を抜くとそれを逆手に構えた。
「レックハルドさん!危ないわ!」
 小声で鋭くマリスが言った。
「マリスさん!危ないときは、オレを見捨てて逃げてください!」
 レックハルドは、そう叫びながら、少し自分のかっこいいせりふにしびれてみた。今のでちょっと株が上がったかもしれない。つかみはOKだ。
 だが、狼と短剣ひとつで勝てるわけもない事もすぐに確信できた。
(くそ!よく考えりゃ、今、株を上げたって喰われちまったら、元も子もないじゃないか!あぁ!人生の春に向かって、直進中のオレなのに…。いやだ!!絶対こんなところで死ねるか!!)
 レックハルドは、まさに彼らしい考えに走り、どうしようもなくなったらどうやってマリスを連れて逃げるかということを考えはじめた。
 狼とのにらみ合いも、そろそろ限界だ。ゆっくりゆっくり、狼たちは体勢を下げ、飛びかかる姿勢に移っていく。うなり声が低くなり、そして、それが途切れた時こそ、彼らが飛び掛ってくる瞬間だ。
 レックハルドは、つばを飲み込み、必死で逃亡の方法を考える。
 火を使ったら…?と、誘惑のような考えが頭をよぎる。火を使えば、狼も恐れるのではないだろうか。だが、それと同時に、珍しく真剣な顔で「辺境で火を起こしてはいけない」というファルケンの言葉がよみがえった。なにか、そこに大きなタブーがあるような気がする。それに、火打石で火をつけているような悠長な時間はないのだ。せめて、カンテラに火ぐらい入れておけば…。
「レックハルドさん!!」
 マリスの鋭い声で、レックハルドは我に返る。狼はまさに飛び上がる一瞬前だった。きっと、唇を噛むとレックハルドは、短剣を狼のほうに向けた。
 が、あまり武芸に自信のないレックハルドには、狼は荷が重すぎた。すぐに飛び掛られ、上からのしかかられる。狼の生臭い息が顔にかかり、レックハルドは絶望感が一瞬にして全身を支配していくのがわかった。
 だが、狼が彼に噛み付く前に、その狼は払いのけられた。マリスが例の長剣で狼を殴りつけていた。いつの間にか、彼女は下馬していたのだ。
(ま、また助けられちゃったよ…。)
 危機を脱したことより、守るべき女性に助けられてしまったショックの方が大きく、レックハルドは一瞬、動作が遅れる。マリスがその様子に感づき、大声で言った。
「レックハルドさん!早く立ち上がって!!」
 だが、マリスが一匹を払い飛ばした時、すでに第二陣、三陣が、彼らめがけてとびかかってきていた。狼たちは、二人に同時にねらってきていた。
「きゃあ!」
「マリスさん!!」
 レックハルドは叫び、思わず天の助けを願う。
 そのとき。
 ざざざざ…という下草を、突風が吹きぬけるときのような音が聞こえた。闇の中から、一塊の黒い影が飛び出し、レックハルドの前に着地する。赤いぼんやりした光が、目の前を横切った。それはレックハルドの前に着地し、彼の前に大きな影を落とした。
 目の前の者は、踏み切って宙に舞い上がった狼、二、三匹をすぐさま叩き落した。そして、少し後ろを向いた。
「レック大丈夫か!?」
 緑が混じった金色の髪が、ふわっと風に揺れる。大柄の影の主の正体を知って、レックハルドは歓喜の声をあげた。
「ファルケン!!」
 地獄で仏とは正にこのことだぜ。
 レックハルドは、小声で付け足してそれから、起き上がった。
「大丈夫ですよ。オレの馬鹿な相棒です。あれ」
 すっかり、得意げな様子でレックハルドはマリスに言った。
 ファルケンのほうは、辺境狼と向き合って睨み合っていた。ファルケンの目は心なしか、いつもよりも鋭く、まるで獣のように光って見えた。そっと、ファルケンの手が背中に背負った両手剣の柄をつかむ。わずかに引き抜いたとき、辺境の微かな光を集めて、刀身がきらりと冷たく輝いた。
 それを見たせいか、辺境狼の群れは、急に尻尾を巻きだした。耳は垂れ、明らかに怯えたそぶりを見せる。やがて、彼らはその空気に堪えきれなくなったように、方向を変えて走り去った。
 すっかり、彼らの姿が見えなくなってから、ファルケンは大きくため息をつき、柄から手を離した。ちゃりん…と、鞘に収まる音がして、それから、彼はゆっくり振り返った。
「大丈夫だったか?」
「ああ!なんとかな」
レックハルドは応えて、ファルケンの方に歩み寄った
「しっかし、絶妙のタイミングで出てきたよな。お前っ!」
 すっかり、自分が約束を破ったことを忘れて、レックハルドはあつかましくも、ファルケンの肩をたたく。
「やっぱり、お前はいいやつだよ!!」
 だが、ファルケンは心配そうな顔をして、レックハルドをみた。
「レック、右手…血が…。噛まれたのか?」
「え?あ」
 そういえば、ちょっと痛い。右腕の袖が破けて、そこから血がにじんでいた。どうやら、さっき、相手をしたとき、爪か牙かどちらかがかすったようだ。
「まぁ、大変」
 マリスが駆け寄ってきて、やはり心配そうな顔をした。
「手当てしたほうがいいですよ」
 レックハルドは、先ほど、マリスにかばわれた事を、彼女をみて思い出してしまい、これ以上カッコ悪いところを見せたくないと思った。わざと、なんでもないフリをする。
「たいしたことないよ。かすり傷だし!」
 それよりも、むしろ買ったばかりの一張羅が破けたことが悲しい。貧乏性のレックハルドは、ふいにそう思ってしまう。
「ああいうのは甘く見ると危ないんだ。オレ、薬草持ってるからそれで…!」
 ファルケンはそういって、小さなビンを荷物の中から取り出した。ビンの中には、水でつけられた緑色の葉っぱが一枚入っている。水筒で、傷口をきれいに洗い、それからビンの中に漬けられた葉を取り出して、ファルケンは傷の上にのせた。本当は、結構、この葉っぱが滲みるのだが、マリスの手前、レックハルドは一切文句も言わず、「何でもないぜ」というような顔を気取っていた。
「あたし、手伝います」
 マリスが、持っていたらしい包帯を取り出して、きれいにレックハルドの右腕に巻いてくれた。憧れの人に、傷の手当てまでしてもらってレックハルドは、痛いながらも笑みが浮かぶのをとめられない。
 それを不審に思ったのか、ファルケンが首をかしげながらたずねる。
「レック、なんか、面白いことあるのか?」
「だ、黙ってろ!」
 ファルケンしか聞こえないぐらいの小声で乱暴に言って、レックハルドは、声色を少し変えてマリスに言った。
「本当にいろいろありがとうございます。後は自分でやりますからっ!」
「そうですか?」
 マリスはまだ心配そうな顔をしている。その顔を見ていた、ファルケンがようやく気づいたらしく、うれしそうな声を上げた。
「あ!わかった。あんた、マリスさんだ。赤くてくるくるした髪の毛で、すごくやさしそうで、話に聞いてたとおりだ!あの、いつもレックがオレに話を…」
 といいかけたとき、レックハルドがファルケンの口をすばやくふさいだ。
「話を?」
「な、なんでもないんです!!あははははは。こいつ、馬鹿ですから〜!!」
 レックハルドは笑ってごまかし、ぐっとファルケンを後ろのほうに引き寄せて小声で言った。
「マリスさんに、そのことは絶対言うな!」
「何で?」
「何でもだっ!」
「あの…」
 と、マリスが声をかけてきたので、あわててレックハルドはファルケンを乱暴に離すとにこにこしながら振り返る。
「なんですか〜?」
「そろそろ、戻ったほうがいいかもしれないと思いまして。空が暗く…」
 そういって、レックハルドとファルケンは同時に上を見上げた。彼女が言うとおり、空は真っ暗だった。


「今日はありがとうございました。レックハルドさん。ファルケンさん」
 マリスを町まで再び送っていって、ようやく彼らは別れることになった。ファルケンは、相変わらず満面の笑みを浮かべた。
「気にすることないよ。当然のことだもんな、レック」
「そ、そうそう。それに、こちらこそ。ありがとうございました」
(助けられたしな…。あぁぁ、情けねえ。)
 そう考えると、レックハルドの心は暗くなる。あそこで、ばしっと自分が助けるつもりだったというのに…。何をしているのだろう、自分は。よりにもよって、女の子に守られてしまうなんて…。株を上げるつもりが何か下げたような気がする。
 横乗りの鞍に颯爽と乗り、細身の長剣を腰に下げた姿はちょっとした女剣士といった感じだ。マリスは、にこりと微笑んでこういった。
「あたし、普段はヒュルカに住んでいますの。ハザウェイの家にいますから、きっとすぐにわかります。もし、ヒュルカに立ち寄ることがあったら、どうぞ訪ねてきてください」
「あ!はい!それは!」
 マリスにそういわれ、レックハルドの顔は華やぐ。うれしくてうれしくてたまらないといった顔だ。
「あ、そうだ」
 マリスは思い出したように、こう付け加えてほほえんだ。
「レックハルドさん。いい友達をお持ちですね」
「え?」
 レックハルドは、思わずファルケンを見上げた。
「それでは、あたし、これで失礼しますね」
「あぁ、はいっ!それでは、また!!」
 マリスは、宿の方に向かって馬を進めていった。彼女の姿が闇にまぎれて見えなくなると、レックハルドはいきなり落ち込んで、地面に座り込んだ。
「レック?どうしたんだ?」
「…なぁ、ファルケン…」
 レックハルドは、やけに暗い顔をしていた。
「男って、強くなきゃいけねえよなぁ」
 ファルケンは首をかしげる。
「なんで?」
「なんでって…。とにかくだっ!あぁ、頭の隅まで全身筋肉になりたい。男はやっぱり、筋肉だよな」
「この前、男は頭脳だって言ってたのに?」
「オレァ、そんな事いってねえ!お前は、強いからそういう余裕の一言がいえるんだ!」
 さすがの彼も、マリスに危ないところを何度も何度も助けられた、ということについて、かなりショックを受けていたようだ。
「あぁ〜、オレももうちょっと強くなりてぇなぁ〜」
「何で?」
「お前にゃぁ絶対わかんねえよ!」
 レックハルドはきつく言ってしまってから、ふと思い出したようにばつの悪そうに笑った。
「そうだ…昼間のことだが…」
 ファルケンは首をかしげる。
「その、悪かったな。何も言わないで、どっかいっちまって」
 ファルケンはニッと笑った。
「あれはいいんだ。レック、マリスさんとせっかく会えたんだもん。仕方ないよ。オレも、きっとどうしても会いたい人と出会ったら、約束破ってしまうかもしれないし」
「でも…、お前、昼飯…」
 といいかけて、レックハルドは、少しだけ優しい微笑みを浮かべた。
「ホント、お前は人がよすぎるよ」
「そうかな?」
「そうだよ。まぁ、お前がそういうなら、いっか。お詫びに今日はオレが飯をおごってやろう」
 だが、すぐにいつものえらそうな態度に戻るのは、いかにもレックハルドらしかった。
「ホントか?」
「まぁなぁ。助けてもらったし、結果的にマリスさんとも、お近づきになれたし。そうだな、痛い目みたけど、今日はそれなりに楽しかったから」
 そういって、レックハルドは札を二枚出した。
「贅沢するのは、今日だけだぞ!」
「うん。わかってる!」
 ファルケンはうれしそうな顔をした。
「でも、マリスさん。ホントにきれいな人なんだな。心もきれいだし」
「だろ!」
「そうかぁ。オレの王女様もマリスさんみたいだといいなぁ」
「はっはっは。そうだ…ん?」
 ファルケンの不穏な一言を聞き逃さず、レックハルドは彼のマントをつかんで引き寄せた。
「そりゃあ、どういう意味だ?」
「え、だから。前に、サンティンって奴に訊いたんだけど、いつか、運命の人がどこからか現れて、で、すごく困ってて、それが王女様で、すごく優しくて、で、オレが助けてあげて、その人となんか「こい」っていうものに落ちるんだって言ってた。オレ、「こい」ってどういうものだか、わからないけど、楽しいってサンティンが言ってたんだ〜。だから、王女様が現れるのを待ってるんだ」
「いつか王女様が〜って奴だな。あはは。逆シンデレラみて〜って、あほか!!」 レックハルドは素早く、懐から帳簿を取り出し、ファルケンの頭を一発はたいた。
「な、何するんだよ?」
「マリスさんは駄目だぞ!」
 ここで、ライバルを増やすわけにはいかない。レックハルドは、かなり真剣だ。
「え?なんで?」
「なんでって!お前、恋だの愛だの全然わかってねえくせに、一人前のこと言ってんじゃねえ!!」
 再び、手持ちの帳面ではたかれ、ファルケンは「いてて」と頭を押さえる。
「だって、マリスさんすっごくいい人だったから」
「それはわかったから、でもマリスさんは駄目だ!」
「何で?」
「何でも駄目だ!!」
 そこまで威勢良く、押し問答を繰り返していたが、急に怪我をした腕がぴりっと痛んだ気がして、レックハルドは軽く右腕を押さえた。ファルケンが、さっきはたかれたことも忘れて、心配そうな顔をする。
「レック?痛いのか?」
「いや、何か今、ぴりっと…。まぁ、大した事ねえよ」
 といいながら、レックハルドは何か違和感を覚えた。どうも、誰かに見られているような気がする。しかも、敵意をこめた視線で…。
「ごめんな」
 ファルケンは、少ししょげた様子で一言謝った。レックハルドは、陽気にそれを笑い飛ばした。
「馬鹿だな。何でお前が謝るわけだ?あれに襲われたのは、オレがそもそも、お前との約束破ったからだろ?オレは無事だったし、お前が謝るいわれはないだろ?」
「そ、そうだな」
 そういって、ファルケンは少し元気を取り戻す。
「さてと、飯に行こうぜ。今日は、走り回ってむちゃくちゃ疲れたんだよ。スタミナをここら辺でとっておかないと、明日の旅がつらいからなぁ」
「そうだなっ!」
 ファルケンはいつものように、元気よく笑った。
(言ったとおりだろ。ロゥレン。)
 ファルケンは少し得意な気分になっていた。
(絶対、レックは悪いやつじゃないって!)
 よさそうな料理屋に向かって足を速める奇妙な二人組を、空で美しい羽を持つ、少女が冷たく見下ろしていたことを、さすがのファルケンも知る由はなかった。


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このページにしおりを挟む  ©akihiko wataragi