一覧 戻る 進む 第二章:マリス1 辺境は、未知の世界でかなりの危険を伴う場所である。うっかりしていると、いきなり植物に襲われてしまうということもありえる。植物だからといって動かないとは限らない。 だが、慣れてしまうと、それなりに恐ろしい場所でも無いと言える。 レックハルドは、顔の上に帳簿を載せて原っぱでごろっと寝転がり、昼寝としゃれこんでいた。そばを、黄色い蝶がひらひらと飛び、今日は珍しく日蝕を起こしていない太陽の光は、のどかで暖かい。こんなのどかな風景なので、街道筋の原っぱのように見えるが、そうではない。ここは、辺境を少し入った所だった。辺境の中にも、いきなり木々がすくなくなり、ぽっかりと広い草原が広がった場所もある。 近頃、ファルケンにかなり辺境をつれ回されて、すっかり慣れてしまったレックハルドであるが、こういう原っぱではこんな風に眠り込めるほどになっていた。元から、繊細などという言葉は無縁な、神経の図太い人間なのである。 ずるずる…と音を立てながら、辺境特有の動く植物の蔓がゆっくり近寄ってくる。そんなに危険な植物ではないが、それでも、巻き付かれたら助けが来るまで動けない。蔓が彼の足に巻き付きかけたとき、レックハルドは、右足で蔓の先端を踏みつけた。動きようをなくして、蔓はくねくねもがいている。足をさっとあげると、次はその蔓を少し遠目にけ飛ばした。蔓は目標を変えて、近くの背丈の高い草の茎に巻き付き始めた。 「蔓の分際で、オレの休息を邪魔するなってーの」 レックハルドは余裕の一言を、帳簿の下でつぶやく。だが、彼だってはじめは、この不可思議な植物に巻き付かれて、大騒ぎしたのだった。適応能力が早いのか、もうそんな失敗はしない。レックハルドは、ある程度、辺境に適応していた。それは、ファルケンも驚くような速さで。 「レック〜」 どこか、のんびりとした声が聞こえた。レックハルドは、帳簿を顔からよけた。昨日商売した分の売り上げの計算が、目の中に入る。なかなか昨日はよく売れた。関係ないが、レックハルドは少しだけ心が弾む。残りの荷物はそばに下ろしたままにしてあった。 「なんだよ?」 ファルケンが近くまで歩いてきた。 「昼寝してた?じゃあ、邪魔だったな」 と、少しだけ申し訳なさそうな顔をしたが、すぐにいつもののんびりした表情に戻り、一言こうつけくわえた。 「でも、意外とレックって無神経なんだなぁ。オレ、そんなに早く辺境に適応できた人みたことないや」 がばり、とレックハルドは身を起こす。 「なんでぇ。それは、オレに対しての嫌味か?」 「そうじゃなくって、ほめていったんだけど。だって、辺境でこんな風に寝転がれるのってなかなかすごいと思うから」 「無神経って言葉はほめ言葉じゃねえっつの!」 だが、実際レックハルドは無神経だといえた。そもそも、この何が起こるかわからない、辺境の中で草の上に寝転がるのは、なかなか度胸のいることである。普通の人間は、辺境の植物にふれるのですら、まるで毒がうつるんじゃないか。というような反応を示す。そんな未開の地で、堂々とくつろげるレックハルドは、良い度胸をしているとも言えたし、とんでもない無神経だとも言えた。 「そうか〜。なんだ、無神経ってほめ言葉じゃねえんだ」 悪気のない声で、ファルケンはつぶやく。レックハルドは、その事はもうどうでもよくなっていて、話をせかした。 「それはいいから。で、オレに用って何だ?」 「あ!そうそう、ちょっと調べてきたんだけど、このあたり、良い水があんまりないんだ。遠くまで取りにいっていいか?」 ちょうど、旅の最中、水が切れていた。それもあって、辺境に入ったのである。人跡未踏の辺境の中には、人間が普段飲んでいる水とは比べものにならないような、きれいでおいしい水が存在するのである。 「ああ、別にいいぜ。早く帰ってくるならな」 「それは大丈夫だ。太陽が沈む前までなら、二往復したって大丈夫だ」 「そっか。じゃ、行っていいぜ」 「ついでに、なんか食べられる木の実とか拾ってくるよ」 「よっしゃ、行って来い」 ひらっと手を振って、レックハルドはもう一度帳簿を頭にのせて、ごろんと寝転んでみた。草の香が、鼻を撫でてなかなか気分がいい。 「なぁ、レック」 まだ行ってないのか、不意にファルケンが言った。レックハルドは、面倒そうに帳簿をずらし、半身を起こした。 「何だよ?」 ファルケンは珍しく真剣なまなざしを彼に向けた。 「辺境に入るのに、一つだけ決まりがあるんだ。レックには言ってなかったけど」 「決まり?」 「そう。規則。ルール」 「言わなくてもわかる。で、なんだ?」 「辺境じゃ、むやみに火を起こしちゃいけないんだ。だから、必ず火種は、あの花を使わないといけないんだ」 ファルケンが言っている花というのは、彼らが初めて出会った時にも使った、あの花弁が炎でできている変な花のことである。火炎草というのが名前らしい。そのままの名前だな。とレックハルドは冷やかした覚えがあった。 「あ、なんだかわかったような気がするぜ。森に火が燃えちまうからだろ。わかってるって!オレはそんなことはしねぇよ。つまり、火打石を使うなってことだろ」 ファルケンは、レックハルドが理解を示してくれたのを見てほっと安堵したような顔をした。 「そうそう。わかってくれてたらいいんだ」 「そんな常識はずれなことはしないって。郷に入りては、郷に従えっていうだろ?そのくらい、心得てるぜ」 「そっか、そっか。ごめんな〜」 何度も満足げにうなずいて、ファルケンはにこりと笑う。 「じゃ、オレ、ちょっと行ってくる!レック、どっかいっちゃだめだぞ。迷うから!」 「そんな危険なまねはしねぇよ!」 「そっか!そうだなっ!」 また、帳簿を頭にのせたレックハルドの耳に、ファルケンが走っていく足音が遠ざかっていった。 (変な奴だが…) と、レックハルドは思う。 「まぁ、悪い奴じゃないんだよなぁ」 少なくとも、ファルケンと旅をしていて、食うに困ることがない。最悪、お金がなかったとしても、店がなかったとしても、ファルケンは辺境にふっと入って行っては、何かの食料は持ってくるからだ。猟師だといっていたが、そういう点ではかなり役に立つ。荷物も持ってくれるし、見かけは大柄で何となく強そうだから、彼と一緒にいるとレックハルドは絡まれることもない。それでもって、わがままは何一つ言わない。 もっとも、レックハルドがファルケンと一緒に、旅を続けているのは、そんな利点があるから、というだけの理由ではなくなってきていた。 クレティアでマリスを見かけたときに、調子に乗って口をするっと滑らせていたが、レックハルドは本当に「友達はお前しかいない」状態なのだった。レックハルドにとって、ファルケンほどうまい具合につきあえた友達というのはいない。寧ろ、友情などという言葉を使えるような相手が皆無だったといったほうがいい。 レックハルドは人を信用しない主義だし、彼のような生活環境でそう簡単に人を信用したりなどしたら、それこそ致命的なミスにつながりかねない。それに、レックハルド自身、人から裏切りを疑われる人柄でもある。彼がどうこうする前に、周りのもののほうが敬遠していた。表面的な付き合いはあったが、別にお互いそれ以上、深く付き合おうとすることはなかったのである。 これだけ、長い期間(といっても、まだ一ヶ月に満たなかったが)ずっと一緒にいて、一度のすれ違いもない。ということは奇跡に近かった。喧嘩を吹っかけたところで、ファルケンがすぐに流してしまうから、喧嘩のしようもない。 (ま、こういうこともあるんだな。どうせ、一緒にいるなら、使えるだけ使ってやろう。) 素直に「友達」らしきものができたことを喜べないレックハルドは、わざとあこぎな考え方に自分を持っていってしまう。それも、どうやらファルケンには見通されている感じがしたが、本人はまだ突っ張るつもりだ。きっと、永遠に認めないだろう。 日差しが気持ちいい。そのまま、すーっと睡魔の誘いに乗って、レックハルドが一眠りしようとしたとき、不意に耳に馬蹄の音が聞こえた。だんだん近寄ってくる。 警戒心の強いレックハルドは、音にたたき起こされて少しむっとした。まだ、帳簿を頭からどけないが、もう少ししたら、その礼儀知らずな馬をどやしつけてやろうかとも思う。「あの…道に迷ったのですが…。もし、よろしければ道を教えてくださいませんか?」 馬蹄の音がぴたとやみ、変わって女性の声が聞こえた。 なんだ、人が乗っていたのか。と、レックハルドは、一応起き上がって帳簿を顔からどけた。迷い人なら仕方がない。昼寝を邪魔されてかなり不機嫌だが、一応、応対してやろうとは思っていた。ここは辺境だ。人命は優先してやらねばならない。それに、相手は女性らしい。 「あぁ、道っていうと、ここからまっすぐ南に…!?」 寝ぼけ眼で、少しぶっきらぼうに応対していたレックハルドは、相手の顔を見た瞬間、突然、かたまった。手から、おそらく命と金の次に大事であろう、帳簿を落としても、彼はそれを拾おうともしなかった。 「マッ、マママママ、マリスお嬢様!!!」 相当あせったのか、舌がほとんど回らない。相手の女性は、小動物のように小首をかしげて笑っている。紅い、くるりとした巻き毛を肩の下までたらして、大きなまるい目をしていた。色はしろくて、頬の辺りだけが少し赤い。小さな唇には、優しそうな微笑が乗っていて、まるで慈悲深い女神のように彼を見ている。きれいな顔はしていたが、少しあどけない感じでもあった。 「まぁ、あたしのことをご存知ということは、もしかしてどこかでお会いしたかしら?」 「いっ、いえっ!オレ…いや、私のような小汚い小僧とあなたのような人が会うわけございませんっ!」 レックハルドは、一瞬で顔を真っ赤にして、それからあわただしく立ち上がった。もちろん、帳簿などに目はくれない。 「マリスお嬢様のことをしらないような不埒者は、このカルヴァネスにいるわけがありません!!」 あわてていたとはいえ、ちょっと今のは言いすぎだったか。 そう思うと、レックハルドは更に顔を赤くして、横に視線をずらす。あまりにも恥ずかしくて、直視できなかったのである。 「まぁ、そんなことありませんよ。あなたは、とても立派な方のようですし、それに、カルヴァネスは広いんですもの。あたしのことを知らない方はたくさんいらっしゃいますわ」 相手の女性、つまり、マリスお嬢様は、レックハルドの発言に何の疑問も持たず、まじめに受け応えした。その顔を見るに、どうやら、本当に何も考えていないらしい。うぬぼれだとか、謙遜だとか、そういう意識はまったくないようだ。 (てっ、天然ボケだったんだな!) レックハルドは、心の中の少しだけ冷静な部分でそう思ったが、すぐに (天然だろうがなんだろうが、なんていう心の広い人なんだ。) という風にプラスの方向に考えが走った。恋は盲目だというが、まさにそうなのかもしれない。 「そんな、オレのことを立派だなんて…マリスお嬢様…。あっ!いや、私の…」 つい、オレといつものように言ってしまって、レックハルドはすぐに言い直した。しかし、もう手遅れだとは自分でもわかる。 だが、慈悲深いマリスは、そんなことを気にしてはいない。 「そんなに自分を卑下なさることはありませんわ。あたしだって、そんな立派な者ではないんだから。マリスで結構です。どうか、マリスと呼んでくださいね。あ、そうだ。あたしの名前をご存知なのに、あたしのほうはあなたの名前を知らないわ。もし、差し支えがなければ、教えてください。名前を知らないなんて、失礼に値しますもの」 「あ、はい。オレは、その、レックハルドといいます。レックでいいんです」 仕切りに後頭部に手をあてながら、レックハルドは乾いた笑いばかり浮かべていた。もはや、自分でも何をしているのか、わからなくなってきていた。わかるのは、憧れのマリスが、どういうわけか自分と話をしているということだけである。 (ゆ、夢だ…。きっと、これは夢なんだ…。) 夢でもかまわない。とレックハルドは、柄にも無いことを考えた。 一方、マリスは、ぽんと手をたたき、にこりと笑ってこういった。 「まぁ、レックさんとおっしゃるのね。では、これからも、どうかよろしくお願いします」「こ、こちらこそ!!」 緊張した顔で、レックハルドはよく動かない唇をようやく動かして返事をした。 「それで、道についてお聞きしたいんですが」 「道ですね。…し、しかし、ここはもう辺境の中ですよ。こんな奥まで何の御用だったんです?」 マリスは、驚いたようだった。リアクションも素直である。 「まぁ、もうそんな奥に?あたしったら、いつの間に」 どうやら、とんでもない方向音痴のようだ。 「あ、あのぉ…、よければ、オレが外の道までお送りしますよ?」 口頭で道を教えただけなら、きっとまた迷ってしまうに違いない。レックハルドは、そんな不安を覚えて、余計だな。と思いながらも申し出てみた。 マリスの顔がぱあっと華やいだ。 「いいんですか?まぁ、うれしい。ぜひお願いします!」 「で、では、こちらにどうぞ!」 レックハルドは、彼女の先に立って先導し始めた。もはや、自分でも何がなんだかわからなくなっていたが、とにかく、今は目の前の出来事は、願ってもみない幸運である。これを逃す手はない。 そんな彼の頭からは、ファルケンがいずれ戻ってくるという事など、すっかり抜け落ちていた。 木々が擦れ合う音を聞きながら、ファルケンは帰りを急いでいた。レックハルドをつれているときはやらないが、彼は木の枝を軽いステップで飛び歩いていた。この方が、地上を走って進むよりもずっと速い。それができるものにとっては、のことであるが。だが、こんな姿を見せたら、きっとレックハルドに正体がばれてしまう。それだけは、避けたかったのだ。 今日は果物が多く見つかった。それを麻袋に入れて、それから、彼しか知らない、きれいな湧き水から水を取った。薬草もたくさん見つけたが、今回は採ってこなかった。レックハルドもそろそろ、腹をすかせていることだろう。あまり待たせるのは、よくないと思ったからだ。 辺境での「掟」に従い、いつもどおりカンテラに火を入れる。それを腰の辺りに吊っていた。辺境で炎を使うことは禁じられており、それを身に帯びるものなどほとんどいないが、だからこそ、却ってそれが彼の存在を知らせる印となるのである。 ファルケンは、尋常ならぬスピードで辺境を駆け抜けた。ふっと、木々が切れる場所、そこがレックハルドとの待ち合わせ場所だった。 たっと木から降り、彼はレックハルドがいたはずの場所に小走りで近寄った。 「レック〜。ちょっと、遅くなっちゃっ…」 言いかけて、ファルケンはそこで口を閉じた。レックハルドの姿が見当たらなかったのだ。あたりを見回しながら、ファルケンはレックハルドが水でも飲みに行ったのか、と考えた。だが、それにしてはどうも変だ。レックハルドが、いた気配というのが、かなり遠ざかっていたのだ。彼がここから出て行ってから、もうかなりの時間がたっているようだ。 「どこいったんだろう?」 不安になって、ファルケンはとりあえずそこに麻袋を置いた。何か、辺境の獣に襲われたのではないだろうか。と、考えてみる。ここは、安全なところだとはいえたが、それでも完全とはいえない。 しかし、獣や何かに襲われたにしては、血の臭いと争った気配が全くしないことに気づき、ファルケンはその可能性を打ち消して、少しだけ安堵した。それに、レックハルドが慌しく逃げたという形跡もない。 しかも、レックハルドが命と現金の次に大切にしているであろう帳簿や、彼が背負っていた荷物もそこに置きっぱなしになっていた。ファルケンは、帳簿を拾い上げ、めくってみた。書置きらしきものは、何も見当たらない。二時間ほど前に、彼が寝っ転がっていた状態から、ちょうど彼だけがいなくなっていた。 ファルケンは、力なく、その場に座り込んだ。 「やっぱり、…オレのこと、ばれちゃったのかなぁ」 帳簿の中には、レックハルドのやけに綺麗な上手い字で、商品名と数字が書き込まれてあった。彼は、ああ見えて字が上手い。 レックハルドが、全てを投げ出して逃げる。などいう状況があるとしたら、それは、命の危険につながる恐ろしいことが起こった時だろう。彼が、何かに襲われて逃げ出した形跡がない以上、考えられる可能性はひとつだった。 レックハルドが、ファルケンの『正体』を知ったとき。である。 今まで、何度かこういう経験をファルケンはしたことがあった。彼の正体が割れたとき、あるものは怯えながらも罵声を浴びせて彼の前から逃げていった。だが、圧倒的に多いのは、いきなり消えてしまう者である。先ほどまで、普通に接していてくれてた者が、彼が帰ってきたときには、跡形なく消えている。いくら待っても戻ってきたことはなかった。 ファルケンはうつむいたが、まだここから立ち去ることはできなかった。もし、レックハルドが、何かやむをえない事があって、一旦ここからどこかに行かなければならなかったとしたら、きっとここに戻ってくるだろう。そのとき、誰もいなかったら、レックハルドは困るに違いない。 しばらく、待とう。ファルケンは、そう決めて黙ってそこに座った。 もし、彼が戻ってこなかったとしても、それはそれで仕方がないことだ。とも思っていた。 一覧 戻る 進む このページにしおりを挟む |