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辺境遊戯・シェイザス

 
 柳絮(りゅうじょ)舞う頃

 その日は、空中にふわふわとポプラの綿毛が飛んでいた。
 シャアラド村のはずれには、ちょっとした草原がある。そこは、村へのは入り口でもあり、そして、出口でもある。シャアラドの若者達は、時に夢を、時に野心を抱いて、そこから外に出ていく。だから、この場所は、いままでたくさんの人の別れを見守ってきた場所でもあるのだろう。
 カルヴァネス西にあるシャアラドは、辺境に程近い村である。草原を含む東側は、商業都市ヒュルカやピリスと繋がりが深く、西側は王都である政治と伝統の都、キルファンドとの繋がりが深い。だから、東側の人々は、商業都市ヒュルカを目指し、西側の人々はキルファンドで一旗あげようとする。それが、この国の若者のとる道だった。
 ダルシュは、そこで人を待っていた。ばあさんを通じて呼びだしておいたから、きっとその内来るはずだが、なかなか来る気配がない。
「なにやってんだろうなあ」
 ダルシュは、少しはねぐせのある髪の毛をなでつけながら、そこに座り込む。なるべく人のいない内に会って話したいのだが。短気なダルシュは、待つのが苦手である。実際はごく短い時間だったのかも知れないが、ダルシュにとっては耐え難い時間なのだった。
 と、ふと、ようやく村の方から気配がした。誰かが歩いてくる様子に顔をあげる。そこそこに生えた草で相手にはすぐには姿が見えなかったらしいが、相手はまっすぐに彼の方に歩いてくる。それは、彼女には、彼がどこにいるのか目で見なくてもわかっているかのようだった。
 彼の待ち人には、確かにそうした特殊能力が備わっているのだった。
 やってきたのは、まだ十五ぐらいの彼と同じぐらいの少女である。しかし、一見少女に見えないほど大人びているのも、またすぐにわかるだろう。
「どうしたの?」
 彼女は艶やかな黒髪をなびかせてやってきた。ダルシュは起きあがり、幼い頃からよく知る彼女を見上げた。
 シェイザス、という名前の娘とダルシュは、同族だった。カルヴァネス西方、つまり、隣国ディルハートの国境沿いにある草原の民の出なのである。しかし、二人とも不幸にして物心つく前に孤児になり、たまたま族長の知り合いだったこの村に養子としてもらわれていった。他の孤児達とは離ればなれになったが、たまたま二人は同じ村にもらわれた。養い親はいい人だったが、周りには冷たい者達もいる。それもあって、二人はなにかと身を寄せ合って生きてきたところがある。
 シェイザスは占い師のばあさんに見込まれてもらわれていき、ダルシュは農夫の父に引き取られた。
 元々、シェイザスにはそういう予知能力のようなものがあるらしい。占い師のばあさんによると、人間には最初から魔法などを使う素養というものはないらしい。だが、人間達の中に、何か別種族、たとえば、狼人や妖精といった類の者達の血が混じっている者の中には、例外的にそうした特殊な力に聡いものもいるのだという。もっとも、何千年も、何万年も前に混血しているので、今や世界中にいる人間に、その可能性はあるということでもあるのだが。
 昔から綺麗な顔立ちだったシェイザスだが、年を経る度にぞっとするような美人になっていった。黒く染めた絹のような黒髪に、黒い神秘的な眼差し。明るさよりも冷徹さと落ち着きが目立つそれは絶世の美女や、傾城と言われてもおかしくないほどの美貌でもある。
 だが、占い師の彼女にとってはその美貌は両刃の剣だ。武器でもある反面、占い師という職業柄、危険にもさらされやすいのである。占い師は、神秘に近く、敬われる反面、見下げられもする。特にこの地方ではそれが強いのだ。
 だから、シェイザスをみてからかってふざけかかったり、売女呼ばわりする不埒者もいないわけではないのだ。そして、そういう輩は一通りダルシュが殴っていた。
 農家に引き取られた癖に、ダルシュは血の気が多すぎて、仕事には馴染めなかった。有り余る力と熱くたぎるような衝動を抑えられず、彼はよく村の若者達と殴り合いの喧嘩ばかりしていた。力の強い彼は、よその村まで知れ渡る強者として名をはせていたのである。だから、次第にシェイザスに手を出す者はいなくなり、それと同時に、ダルシュは村でも厄介者よばわりされることもあったのである。
「どうしたの? 何の用?」
 シェイザスは黒っぽい毛織物の巻きスカートをはいていた。その上に綿の繊維がのっているところをみると、糸つむぎの仕事中によばれて出てきたのだろうか。一瞬、ポプラの綿毛だろうと思ったが、紛れもなく綿らしいことを知って、ダルシュは少しだけ悪いことをした気になった。
「あなたから呼び出してくるなんて珍しいわね」
「ん、まぁ、な」
 ダルシュは何となくはっきりしない素振りを見せた。シェイザスは首を傾げて瞬きをする。長い、しっとりした黒いまつげで縁取られた瞳は、それでもまだ彼女の幼さを覗かせている。普段は、少女らしさよりも、妖艶なまでの大人びた様子が際だつ彼女だったが、昔から知るダルシュの前では、年相応の娘らしい表情を見せることもあるのだ。
「あのさ…オレ……」
 ダルシュは少しいいにくそうに口に出した。西方訛りの残る、田舎者らしいカルヴァネス語を吐き出しつつ、ダルシュは美しい幼なじみに言う。
「都に行こうかなっておもってんだ」
「キルファンドに?」
 少し驚いた様子のシェイザスにダルシュは咳払いして言う。
「ん、ああ、この前、村長のとこに都の役人が視察に来てたろ?」
 シェイザスがうなずくのを確認して、ダルシュは言葉を続けた。
「あん時、その役人に、オレ、騎士団に入らないかってさそわれたんだ」
 ダルシュは、はねた髪の毛をいじりながらシェイザスの方を見た。
「オレ、畑仕事嫌いだし、喧嘩ばっかりしてて、この村にいても迷惑かけるばかりだろ。だったら、どうせなら年がら年中喧嘩してる軍隊に入った方が世の中にも、オレのためにもいいかなって思ってんだよ。…で、今入るなら騎士団ぐらいしかないだろ。世の中も平和だし、大っぴらに軍隊ないし」
 ちら、とダルシュは、シェイザスの方をのぞき見る。
「ど、どうかな、オレには、にあわねえ? オヤジは、別に構わないっていってくれたんだけどな」
「そうねえ」
 黙って話を聞いていたシェイザスは、不意にくすりと微笑む。そして、穏和な笑みを浮かべたと思ったら、きつい声でズバリと言った。
「あなたは騎士と言うより、ならず者って感じだわね」
「な、何だよ!」
 いきなり挑発的に言われ、むっとしたダルシュの鼻先にシェイザスはびしりと指先を突きつけた。
「でも、いいんじゃないの? あなたには、その方がいいとおもうわよ」
「え? な、なんだよ」
 シェイザスに素直に認められて、ダルシュは少しびっくりする。冷たく見える美しい顔をわずかにほころばせて続けて言う。
「どうせ、あなたはそういうことになると思っていたのよ。そもそも、ずっとクワ担いで働いて老けていくなたなんて、想像もできないものね。もう笑うしかないじゃないの」
「な、なんだよ! それッ!」
「いいわよ、都に行って騎士になりなさいな、ダルシュ」
 いきなり、シェイザスの口調は占い師のそれになった。
「わたしは、これでも占い師。自分のことはわからないけれど、人の運命の大きな流れを感じることは出来る。でも、運命は所詮運命だわ。切り開くのは、その人自身の行動よ。そして、あなたは王都で騎士になることで、一つの運命を切り開くことになるかもしれない。これも確定した事じゃないわ」
 シェイザスの表情に、ダルシュは少しとまどいを覚える。
「あのよ、…でも、お前は、ここにいるんだろ? だったら……」
 すでにとんでもない美人になっているシェイザスだが、きっともっと大人びていく。そうしたら、占い師の彼女をからかう輩はきっといる。そういうとき、この美貌の幼なじみは一体誰が守るのだろう。
 心配されているのはわかったのだろう。シェイザスは不意に微笑んでいった。
「まあ、あなた、そんなに弱く見えるの、わたしが」
 シェイザスは少し挑戦的な表情を作って言った。
「何かきたら追い返す自信はあるわ。…それに、わたしも、ずっとこの村にいる事はないと思うの。勘だけれどね」
 そして、きっと都にいくこともあるのよ。と、シェイザスは呟く。
「あなた、わたしに賛成して欲しかったの、それとも、止めて欲しかったの?」
「え、そ、そりゃその…」
 訊かれて、ダルシュは戸惑った。厳密に言うと、どちらでもないのだ。行けばシェイザスのことが気になり、行かなければ自分は駄目になる。止められれば悔しくなるだろうし、でも認められれば困る。それが本音で、決意の裏にダルシュはそんな迷いを秘めながら彼女に会ったのだ。
「あなたも、時々そういう優柔不断なところがあるものね。…でもいいのよ」
 シェイザスは人形的に美しい顔をそうっと上にあげた。陽光の下でも透き通るようにしろい肌の彼女はわずかにほほえみを浮かべていった。
「わたしにはわたしの運命があるわ。それは、自分で切り開かなければならないものよ。あなたにも、それは同じ事。ただ、わたしは、あなたのそれが王都で待っていることを、薄々感づいているの。…だから、あなたを止めないわよ」
 そういうシェイザスの本心はよくわからない。でも、内心は淋しいらしいことを、ダルシュは何となくみてとった。なぜなら、ずっと彼女といて、そんな顔を彼女がしたのを初めて見たからだ。感情をおさえこみながら、それでも気丈に振る舞っている様子の彼女の顔にはある一種の緊迫感がのぞけた。
 だから、とダルシュに彼女は言った。
「あたしの心配なんてしないでいいのよ。さあ、行きなさい。ダルシュ。……貴方の運命はきっとキルファンドで待っているわ」
 まるで暗示にかけるような声だ。ダルシュはシェイザスを見上げながら、すでに彼女は占い師なのだな、とぼんやりと思った。きっと、彼女はいつの間にか、彼の助けなどいらないほどに大人になっているのだろう。いや、もしかしたら、最初から助けなど必要なかったのかもしれない。ただ、血気盛んな幼なじみの顔を立てただけなのかも知れない。
 そう考えると少し寂しい気もしたが、吹っ切れたような気もした。彼女が大人になったように、自分もそうならなければならない。この村にいると、きっと一生このままで過ごしてしまいそうだった。
 
 そして、春先の暖かな日、ダルシュはふと村からいなくなった。シェイザスにも何も告げず、ただふらりと村を飛び出していった。ほどなくして、シェイザスもまた養母の占い師を亡くし、村から出ていった。



 馬に揺られ、彼女はふと息をつく。乾燥地域のカルヴァネスでも、春先は優しい気候の時分がある。空にはポプラの綿毛がふわふわと飛んでいて、雪か羽と見間違えそうだった。その一つを手にとって、シェイザスは呟いた。
「相変わらずなのねえ」
「は? 何か言ったか?」
 前で馬を操るダルシュがぶっきらぼうに訊いた。赤いマントを羽織る彼は、今は肩に紋章をつけていない。だが、彼が王国騎士団の所属であることは、持っている剣の柄などを調べてみればわかることである。どこかに紋章が彫り込んであるはずだ。
「別に何でもないのよ」
「でも、何か妙だな、面白いことでもあったか?」
 不気味そうに訊くと、彼女は、そうねえ、と呟く。
 シェイザスは、ふと微笑を浮かべると、馬の鞍の後ろでくつろいだようすを見せる。
「この前、レックハルドにもらった布ね、あれ、細かい傷が入っていたのよ。…今度、それをダシに脅してやろうかしら、なんて思っていることもあるけれど」
「お前…」
 ダルシュは正直にいって、あの細目の商人は嫌いだ。嫌いと言うより、生理的にあわないのである。それは向こうも同じらしいのだが、ダルシュからしてみると、守銭奴であることも、口が達者なことも、頭がいいことも、すべて気に入らない材料になる。向こうは向こうで、ダルシュの力任せなところをきらっているのだろう。だが、それにしても、シェイザスに脅されているのを想像すると可哀想な気がした。さすがの彼も、シェイザスだけは苦手らしい。傷をたてに色々言われて、困る様を思うと、不覚にも同情してしまう。
「そういえば、そろそろ次の街かしら?」
「ああ、そうだが……。にしても、ずっと謎だったんだけどよ、お前、最近、オレの馬にのって移動してばっかりじゃねえか? いいのかよ? お前自身にだって目的ってえやつがあるんだろ?」
「そうねえ、あるにはあるわよ。でも、今のところ、一人旅をしてまで達成すべき目的でもないといった方がいいかしら」
 くすりとほほえみ、シェイザスは続けた。
「それに、この方が楽じゃない。歩いていくより時間も早いし」
「お前なあ!」
 ダルシュはあきれかえり、ぶっきらぼうに言う。
「それに…」
 と、ぽつりと聞こえないようにシェイザスは言う。
「あなたとわたしの切り開くべき運命は、同じ場所にあることもあるかもしれないじゃない」
 ダルシュはそれをきかなかったらしい。足扱いされたのがよほど不満なのか、むっとした顔で馬を操っている。シェイザスはにやりとしたまま、馬の上で腕を伸ばす。
 別れる必要があれば、一緒にいる必要がある。すでに、あの日から三年以上がたとうとしている。春の日にポプラの綿毛が舞うのをみながら、シェイザスは何となく懐かしいことを思い出すのだった。



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©akihiko wataragi