歪な関係
ペンがさらっと動くと、顔に似合わず流れるように滑らかな線が、紙の上に現れる。あの形が何を意味するのか、ロゥレンは別に知ろうとも思わない。ただ、それが文字であることはわかる。辺境の狼人や妖精にも、様々な伝達手段がある。魔力を使ったものもあるが、ファルケンのように極端に魔術が苦手なものも少なくないし、一々魔力を使うのも面倒なので、多くの場合は、文字を使うのだ。だから、彼女らも文字の概念はよくわかっている。
レックハルドが、帳面に自由自在にペンを走らせながら何事か書きやるのを、ロゥレンは、今じっと見ていた。書いている内容は、彼の文字が読めないロゥレンにはわからないものの、どうせ今日の売り上げか何かであることは容易に予想がつく。
だが、レックハルドという男は、あんなガメツイ性格をしているくせに、文字が芸術的に流麗なのだった。その文字の基本形がわからないロゥレンにも、文字の美醜ぐらい判断できる。辺境の、もしかしたら、微妙にずれたところのある美意識からしても、彼の文字は大変綺麗なもので、どこかの著名な偉人が書くような字を書いているのだった。中身が、今日の売り上げであることは抜きにしてだ。
「何だよ。何か用か?」
ふと、レックハルドが、にんまり笑いながら彼女の方を見てきた。頬杖をつきながら、その細い目でじろりと見られて、ロゥレンはびくりとした。
「な、何よっ!」
「何よ、とききたいのは、オレの方だね。というか、アンタ、いつからそこにいたんだよ」
「い、いいじゃない! いつ動いてどこにいくかっのは、あたしの勝手じゃないっ!」
ロゥレンは、ふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまう。それをみやりながら、レックハルドはいよいよにやつき始めた。
「あ、もしかして、アレか。オレの字があんまりうまいもんで、見とれてたとかそういう……」
さすがにレックハルドは、自分の容姿は引き合いに出さない。冗談でいうにしても、少々自信がないからだが、実際、図星をさされた格好になったロゥレンには、こちらの方が効果があった。
さっと顔色を変えて、慌てて彼女は首を振る。
「ち、違うわよ! そんな蛇みたいにくねくねした線なんて、何がいいのよ!」
「ふーん、そいつは悪かったねえ」
ばっちり図星をさしたのを知って、レックハルドは満足げに笑い、さらに続けた。
「でも、黙って後ろに立たないでもらいたいねえ。オレだって、何か幽霊がたってんのかと、びくびくしちまうぜ」
「あたしのどこが幽霊なのよ!」
むきになるロゥレンに、レックハルドは面白そうに笑った。この妖精は、本当にどこまでもからかい甲斐がある。その笑顔みて、ロゥレンは更にむきになる。
「な、なによっ! その顔は!」
「別に。……で、なんだよ。ファルケンに会いにきたのか?」
「そんなんじゃないわよ」
「へえっ。素直じゃねえな」
「違うっていってるじゃない!」
レックハルドは、腰を下ろしていた草の上から立ち上がった。ファルケンからすれば低く見えるレックハルドも、実際は結構長身の方だ。やせているので威圧感はさらさらないが、それでも上から見下ろされるようになって、ロゥレンは少し後ずさった。レックハルドは、彼女をのぞきこむようにして、ふと彼女の頭に手を置いた。
「まったく、あんた、黙ってりゃー結構カワイイんだがなあ」
「触らないでよ!」
ロゥレンは慌てて手を払う。レックハルドは、そのまま二、三歩後退して、にやりとした。
「なんだなんだ。ちょっと褒めてやったのに?」
「あんたに褒められてもぜんぜん嬉しくない!」
「そりゃあ、残念」
レックハルドは、どこまで本気かわからないような言い方をしながら、からっと笑う。
「ホント相変わらず、きっついな。ロゥレンちゃんはよ」
「あんたに、そんな馴れ馴れしい呼ばれ方するいわれはないわよ!」
「マリスさんにはそう呼ばせてる癖に」
「あ、あれはっ! あの女が、勝手にあたしのことをそう呼んでやめろっていっても、きかないから!」
真っ赤になりながらそう言い返すロゥレンをみやり、レックハルドは肩をすくめた。
正直、ロゥレンが自分のことをどう思っているかはわからない。ファルケンを悪の道に誘い込んだ悪い奴、ぐらいの認識かもしれないし、嫌いな人間かもしれない。だが、レックハルドのほうは、ロゥレンに敵意を向けられても、いまいち憎む気になれないのだった。正直、彼女のせいで命を落としそうになったこともあるにはあるのだが、それにしても、別に怒る気もしない。
(まあ、口が悪くて素直でなくて、変なとこだけ頭が悪いのは自分も一緒だしな)
レックハルドは苦笑する。逆に言えば、だからこそ彼女をからかうのが楽しいのかもしれないのだが、レックハルドは、彼なりに彼女を可愛がっているつもりではある。
(オレも大概悪趣味だよなあ)
レックハルドは、そう思いながらも、やはり口ではロゥレンをからかって遊んだりする。それは、ちょっといびつではあるが、彼なりの愛情表現なのかもしれない。
にぎやかに言い合いの続く彼らの後ろでは、ロゥレンに怯えるファルケンが、会話に入ったものか、このまま逃げたものか迷いながら、細い木の陰に必死で隠れているのだった。