辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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8.意地
「チーズと建前の間」

 目の前に広がるのは、豪華なごちそうだった。
 卵でつくったふわりとした焼き物に、あんかけがとろりとかかったもの、羊の肉を串焼きにして、そこに特製のヨーグルトソースをかけたもの。貝柱をいためて、野菜と合わせたサラダ。柔らかそうなパンの固まり。チーズがとろっとうまく溶けて、黄色からオレンジにかわりかけたまま、皿の上にこぼれている。
 スパイスの匂いが鼻をなでていくのが、たまらなく食欲を刺激してくる。異国の料理から、この地方の料理まで、それは本当にいろいろなものが並んでいた。
「色々あるでしょう? ここ、おもしろいお店なんです。」
 と、マリスがにっこり笑った。
「さあ、今日はあたしのおごりですから、遠慮なく食べてくださいね。」
「…い、いいんですか?」
 レックハルドは、みっともないと思いながらも唾を飲み込むしかない。横のファルケンに至っては、先に手を出しかけたので、レックハルドが手の甲をぴしゃりとはたいておいた。
 相当恨みがましい目でこちらをにらんできたが、見なかったことにする。大人しいファルケンでも、この状態で食べ物が関係すると人が変わるのだ。今の状態は空腹の熊の前に、おいしそうな木の実を大量に積んでいるのと変わりない。空腹時の獣の目を見てはならないし、見ると後が恐い。だから、レックハルドはファルケンの視線を感じながらも、ひたすら無視し続けているのだった。
 ここのところ、ろくなものを食べていない。それもあって、二人は何となく自制心がなくなっている。とはいえ、レックハルドは、恋するマリスの前である手前、女性におごってもらった上に、料理に自制心なくがっつくなどという意地汚いシチュエーションには、そう簡単には甘んじたくないのだった。だから、こうして、ファルケンと自分の食欲を牽制しているのである。
 マリスはそんな二人ににっこりとほほえみ、軽く首を傾げる。彼女は、この野郎二人の妙な殺気に気づいていないのだ。
「はい。いつもお世話になっていますから、たまにはあたしがごちそうしようと思って。」
「で、でも、女性におごってもらうのはよくないことです。」
 また手を出しかけたファルケンの手を、今度は押さえつけながらレックハルドはにこやかに言った。
「いいえ、いいんですよ。そんな気遣いなさらないでください。」
「マリスさんはとても優しいなあ。」
 ファルケンが、どうにかこうにか自分を押さえつつ笑った。
「どれもすっごくおいしそうだよな。」
「ええ、あたしが知ってる一番おいしいお店の料理ですもの。遠慮なく召し上がってくださいね。冷めてしまうともったいないですし。」
「レック、マリスさんもああいってるぞ!」
 ファルケンが、妙な横目でレックハルドを見てきた。
(あっ! こいつ! 今、わざとマリスさんにああ答えるように仕向けやがった!)
 レックハルドが、「それなら遠慮なく」とさえ言えば、この場はうまくおさまるのだ。ファルケンは、レックハルドにそう言わせようとし向けてきているのである。
(この野郎〜〜! 近頃知恵を付けたと思ったら、そんな姑息な手を!)
 レックハルドはファルケンを睨んだが、すでにファルケンはいつものファルケンではない。獲物の匂いをかいだ獣の目だ。ひるむことなく睨み返してくる。
「レック、マリスさんもああいってるし! もらわないと失礼じゃないのか!」
「し、しかし、やっぱりおごってもらうなんて事は…」
「気にしないでください、レックハルドさん。ほら、冷めてしまいますよ。」
「そ、そうですね。では…」
 マリスが笑いながらすすめてくるので、レックハルドは、そろそろ断れなくなって、とりあえずうなずいた。これぐらい断ればいいだろうか、と自分の心に問うてみる。だが、何となく腑に落ちない。
「じゃあ、もらうか。ほら、食えよ。」
 ファルケンに先に譲るのは、別に親切心からではない。そもそも、こういう羽目になったのは、ファルケンの小手先の策略に巻き込まれたからだ。多少腹がたてばこそ、親切にしてやる義理などない。
 ただ、マリスの手前、自分が先に手をつけるわけにはいかないのである。
「もらっていいのか?」
 先ほどまであれほどがっついていた癖に、レックハルドが遠慮すると、ファルケンは急に我に返ったらしい。ぱちりと瞬きして、そんなことを確かめる。
「マリスさんがああいってることだし。」
「…レックが先に食べたら? オレより痩せてるし、健康には美食が一番。」
「いいから先に食え! オレは先に食えないんだよ!」
 レックハルドは、小声で言ってファルケンを睨んだ。
「そんなことしたら、オレがマリスさんのおごりだからってんで、遠慮なく食ってる守銭奴みたいじゃねえか!」
「あれ? レックって最初っから守銭奴じゃないのか?」
 がっと足を踏まれ、ファルケンはひっと声をのんだ。
「余計な事言うな。余計なことを!」
 ファルケンは、軽くレックハルドの方を横目で見ながら不平そうに言った。
「な、なんだよ。何でいきなり機嫌悪いんだ?」
「うるさい、とにかく先に食えったら食え!」
 小声でファルケンにそう言って、皿をおしつけるとファルケンは妙な顔をした。
「どうしたんだ? なんか変だな。」
「いいんだよ。オレは後からで。」
「なんで?」
「なんでじゃねーっつの。黙って食え。さっき、オレのこと殺しそうな目でみやがったくせに。」
 本当にさっきの目を思い出すと冷や汗が流れそうだ。時々、レックハルドはファルケンの性格がよくわからなくなることがある。
「あれは、レックが食事の邪魔するから。…まあ、いいか。じゃあ、いただきます!」
 さりげなく獣っぽいことをいったが、ファルケンはそれをなかったことにして、がっと食べ物に飛びついた。
 まず、レックハルドが一番好きなとろとろのチーズに手をつけている。
 思わず足をけっ飛ばしたくなったが、この角度ではマリスにファルケンを蹴っているのが見られてしまう。
(が、我慢だ、我慢しろ! オレ!)
「あれ? レックも食べないのか? おいしいのに、何我慢する理由があるんだよ? わかんねえなあ。」
「いいから、いいから先に食えっての! オレの前で口をきくな!」
 今、喋られるとむかむかする。マリスはまだ料理に手をつけていない。せめて、そこだけは死守したいのだ。マリスの前に手をつけたら、何となく自分が許せないのである。
(くそー、こいつ、ホント遠慮ってのがねえな。オレだって、羊肉のチーズかけたのがくいてえんだよ! オレが我慢してる理由、なんでわかんねえかな、この男! 遠慮しろ、遠慮を!)
 レックハルドの理性と食欲が、頭の中で最後の決戦を繰り広げているとき、ふとマリスがこちらに歩いてきた。
「レックハルドさんはいいんですか?」
「え、ああ、マリスさんが先にどうぞ。」
 一瞬、戦場から引き出されたレックハルドは、慌てて微笑んだ。
「ええ、でも、あたしはさきほどからいただいてますし。レックハルドさん、ぼーっとしてらっしゃったので、どうしたのかしらと。」
「あれ、そうでしたか? い、いや、ちょっと窓の向こうに鳥が見えたもんですから、はっははははは。」
 どうやら、彼が頭の中で壮絶な葛藤を繰り広げている間に、マリスは手をつけていたらしい。彼女はにっこりと微笑んだ。思わず、レックハルドはどきりとしてしまう。
「そうだわ。レックハルドさんはチーズがお好きなんですってきいたので、これ、頼んでみたんです。」
 そういうと、マリスは料理にむかって皿を出し、自らとりわけ始めた。
「えっ、オレの好きなもん覚えててくださったんですか?」
「はい、もちろんです。どうぞ!」
 マリスは、自分でそれを取り分けるとレックハルドの前に差し出した。
「えっ、いいんですか? では、いただいちゃいます。」
 思わず、顔がゆるんでしまう。マリスのほほえみの前には意地もプライドも意味をなさない。思わず、そのままパンに羊肉とチーズをはさんだものを取り上げて口の中に入れた。とろけるような味わいに、いつもは割と鋭い印象のレックハルドの表情も思わず柔らかくなる。
「どうですか?」
「い、いやあ、最高です。」
 笑いながら答えると、マリスもにっこりと笑い返してきた。
「それはよかったですわ。」
 その笑顔は、チーズなどよりもレックハルドにとってはうれしいものだ。だが、その反面、何となく後ろめたくも思ってしまう。せっかく格好をつけていたのに、結局これでは、さっきの我慢も断りも、全部水の泡ではないだろうか。
(なんか、負けた気分だよな。なんでこうなっちまったんだよ…。原因はたぶん…)
 そして、横でしゃべりもせずに料理を食ってばかりの男をちらりと見る。彼は、レックハルドにもマリスにも、興味がないらしかった。レックハルドは密やかにため息をつき、協力しない彼に腹を立てた。
「馬鹿野郎。なんでわかんねえんだよ。」
 理解のない相方にぽつりと小声で呟きながら、レックハルドは、今度はどうやってマリスにこのお返しをしようかと考える。
「オレにだって、一応男のプライドも意地もあんだよ。」

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©akihiko wataragi