辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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40.拗ねる
「わからない」


 思わずだ。思わず服を引っ張ってしまった。特に用があるわけでもないのだが、ついつい引っ張ってしまったのだ。 
 ファルケンは、仕方なく振り返り、服を引っ張るロゥレンを見る。
「ん? どうした?」
「…な、な、なんでもないわよ!」
 用がないのに思わず服を引っ張ったなどと、しおらしく言うのが恥ずかしくて、ロゥレンはわざときつく突っぱねる。ファルケンは、やや首を傾げるようにして、彼女を見ている。
「何でもないって事ないだろ? 何の用なんだよ? いえばいいだろ。」
「な、なんでもないったら! 目の前通るのがうっとうしいから引っ張っただけよ!」
 思わずそんなことをいってしまうが、ファルケンのほうも慣れたもので、軽く肩をすくめる。
「じゃあ、そこどいてとか言えばいいだろ? でも、そういわなかったから違うんだよな? 何の用だ? オレは今日は暇だから、なんかマリスさんにお使いとかあるんなら頼まれてやってもいいぜ。」
 実に余裕だ。そういう風に、ファルケンは返してくる。その態度が気にくわなくて、ロゥレンは何となく冷たい態度を取ってしまう。
(昔は、あたしがきつく何かいうとびーびー泣いてた癖に。)
 そう思うと、ロゥレンは何となくおもしろくない。
 特にロゥレンが、「どっかいっちゃえば!」と冷たく言い放つと、彼は必ずと言っていいほど涙をこぼして、ぐずぐずとしたものだ。
「どうしてそんなこというんだよ。ロゥレンはひどいよ。なんでだよ。」
 べそをかきながらそう言っていた彼は、あの時、二十歳を間近に控えた青年になっていた。だが、狼人の二十歳というのは、まだ子供だ。精神年齢は、人の経験によって違うのだが、あの時のファルケンは、本当にまだ十になるかならないかぐらいの子供とさして変わりなかった。
「…オレ、何もしてないのに、どうしてそんなこと言うんだよ。」
 今なら、そういってめそめそしていたファルケンが、どうしてあの時あれほど泣いていたのか、理由はわかる。ファルケンはすでに、あの時シェンタールの授与がすんでいた。その結果、辺境から事実上追放される形になっていたのである。そんな折りに彼に「どこかに行け」といったのだから、ファルケンでなくても、泣きたい心境にはなるだろう。
 あの時のロゥレンには、ファルケンのそんな気持ちがわからなかった。ただ、子供の無邪気な悪意で、そう言えば、泣き出す大人の姿をしたファルケンの反応がおもしろかっただけなのだ。
 今思えばひどいことをいったものだとも思う。
 しかし、今はすっかり立場が変わった。ファルケンの態度が昔と大きく違うのである。人間界に出てから、ファルケンは少なくとも変わった。まず泣かなくなった。次に泣き言を言わなくなった。それから、妙に兄貴風をふかせ始めたのだ。特に、あのレックハルドと旅をしてからは、短い間で急に大人びてきた。悪知恵が付いたとも言うし、融通がきくようになったともいう。しかも、同時に無神経さに拍車がかかったようでもある。
 自分は何一つ変わっていないのに、ファルケンは、勝手に外の世界に出て、そしてどんどん大人になってしまう。おいて行かれたような気分がして、ロゥレンは、何となくおもしろくなくて意地悪をしてしまう。それが今では無駄なこともよくわかっているのに、なぜかきつく当たってしまう。
「なんだよ? ホントは何か用があるんだろ?」
 ファルケンはロゥレンをのぞきやるようにして訊いた。
「何でもないわよっ!」
 ロゥレンは、ふんと鼻を鳴らした。ファルケンはあごひげを無造作になでながら、ロゥレンの方を見た。
「何でもない奴は、人の服ひっぱったりしないだろ。何のようだよ? ちゃんと言えよ。」
「何でもないったら!」
「何でもないって…じゃあオレ行くぞ。」
 ファルケンは、困惑気味に緑がかった金髪の前髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。そうして振り返っていってしまいそうになるので、思わずロゥレンは、「待ちなさいよ!」と呼び止めてしまう。そう呼ばれるのがわかっていたかのようにファルケンは、やれやれと振り返る。
「じゃあ何の用だよ。言って見ろよ。」
「あたしにかまわないでったら!」
 ロゥレンはそっぽを向く。
「待てといったのはお前だろ? それでかまうなっていわれても、オレどうすりゃいいのかわかんないぜ。」
 デリカシーのないことだ。もうちょっと、気持ちを汲んでくれればいいのに。とロゥレンは身勝手に思う。腹が立ってロゥレンは、とうとう叫んだ。
「もう嫌! あんたみたいな奴とは会わないからね!」
「誰も会いたいとは言ってないだろ。」
 さすがにファルケンは少しだけむっとして、そう言い返す。
「オレだって、お前が呼び止めなきゃ立ち止まらかったんだ。ああ、もういい。からかってるなら、オレは向こう行くからな。」
 ファルケンもやや冷たい言い方をして、顔を逸らした。が、彼はすぐに再び振り向かなければならなくなる。
「何よ! 馬鹿! 何でそんな事言うのよ!」
 ロゥレンは、泣きそうな顔でそんなことを言うのだ。
「何よ! 何でそんな事言うのよ! 馬鹿! 馬鹿あ! あんたなんか大嫌いだから!」
「だから、オレ嫌われてるならあっち行くって……」
「そんな事言うのが馬鹿なのよ! もう口きかないから! なんでわかんないのよ! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
 つんとロゥレンは顔を背けてしまった。口をきかないといったくせに、しかし、その場から去ろうともしないのだ。ここで足を進めたら、きっとロゥレンがまた喚くかもしれない。ファルケンは苦り切った様子で、どうしてこうなったのか考えるが、理由がわかるはずもない。困惑しきって、ファルケンは弱った顔でロゥレンにそっと訊いた。
「…お、お前さ、一体何したいんだ?」
 もちろんロゥレンが答えるはずもない。後ろを向いてしまった彼女は、ふくれっつらのまま、ファルケンに返事を返そうともしないのだ。
 ふと後ろを見ると、あきれ顔のレックハルドが立っている。ファルケンは慌てて彼の方に向かった。この状況を打開するためには、レックハルドの力を借りた方が良さそうだ。
 レックハルドはその様子を見ながら、ファルケンの方を冷めた目で見た。
「お前、ロゥレン泣かしたんじゃないだろうな。」
「泣かしてないよ。なんか、一人で怒って、わめいてるんだ。おまけに、今はその理由すらしゃべってくれないんだよなあ。おまけにオレがどこか行こうとすると怒るし。オレどうすればいいんだか。お手上げだよ。」
 ファルケンは、そっとレックハルドの方を見やった。
「なあ、……レック、なんだと思う、あれ。あの態度。」
 ファルケンには理解できていないのだ。ロゥレンが、どうして、そんな風にファルケンに突っかかったり意地悪をいうのかということが。
「…まあなあ…。」
 レックハルドは軽くため息をついた。
 レックハルドは、彼のデリカシーのなさに少しあきれながらも、説明しても無理だなとおもったらしく、ファルケンの肩に軽く手を置いた。
「…お前にはまだ当分、乙女心の機微って奴は理解できねえだろうよ。」

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©akihiko wataragi