辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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31.緊迫
「辺境真昼の決闘」


 最初は些細なことだったのだ。
「ああ? てめえらどこのもんだよ!」
「お前こそどこだよ!」
 珍しく怒号響く、昼下がりだ。レックハルドは、どうなるものやら心配して、動向を見守っていた。この怒号が街中から響いているのなら問題はないし、別に珍しいほどでもない。街のやくざ者の喧嘩だな、と思って、レックハルドは関わり合いにならずにさらりと逃げればよいのだ。だが、コレはそうはいかない。
 どこかから鳥の鳴き声が聞こえ、陽光が頭から降り注いでくる。足下には名前のわからない草が生い茂る。
 目の前にいるのは、明らかに、街中では見かけない色素の薄い髪の毛を持つ者達だ。背が高く、すらりとした容貌の青年達
で、毛皮を巻き付けていたり、不思議な服を着ていたりする。 つまり、この状況が異常なのは、ここは辺境の森の中で、喧嘩をしているのは、二十人ほどの狼人の集団だからだといえる。
 狼人は真っ二つに十人ずつぐらいでわかれていて、お互いにらみ合っていた。狼人の容貌は繊細だが、繊細だからといって恐くないという訳でもないらしい。一方は、レナルの所の若い狼人達なので見覚えがある。
「おい、誰のテリトリーに入ってんだ?」
 一人の狼人がそう言って、碧の瞳で相手を睨み付ける。ファルケンが怒ったの時もそうだと思ったが、連中の透き通るような瞳は、感情が高ぶると金色に光るように見える。
「足一歩出たぐらいでなんだ!」
「お前らが先に出たんだろ!」
 レナルのところの狼人が、唸り声をあげるようにしながら怒鳴った。
「やるか?」
「かかってこいよ!」
 訛りのある言葉でそう言い合いながら、彼らは本物の狼のようなうなり声をあげる。
 まさに場は一触即発だった。傍目で見ているレックハルドは、まだ他人事のような顔をしてはいるが、内心、これはまずいことになったと怯えていた。
 狼人は陽気に騒いでいるか、また無口に思えるほどしゃべらないかのどちらかだ。ファルケンやレナルがそうであるように、極力、自分の激しい感情を抑えるタイプが多く、このように罵りあったりするのはよほどの時だけである。
「お、おい、お前ら〜……」
 そっと口を出してみるが、ぎっと睨まれてレックハルドは苦笑いして閉口した。駄目だ。さっきの目は、空腹のケモノの目だ。刺激すると何をされるかわからない。
(なんでここまで悪化するんだよ!)
 レックハルドは激しく混乱した。なぜならば、原因らしい原因というのが、あまりにも些細すぎるのだ。
 辺境の森に来たレックハルドは、ファルケンがレナルと話をしている間、狼人に担ぎ出されて山菜を取りに行っていた。無駄にはしゃぐ狼人に振り回されるのは体力的にかなりきついが、それでも、脳天気な彼らを見ながら、何となく平和に浸りきっていたのだが、事件はその直後に起こったのだ。
 質のいい草を、という事でレックハルドを無理矢理担いで縄張りの外れまで入り込んでいた彼らの一人が、別の狼人とすれ違った。その時、わずかだが、両方が縄張りのラインを越えてしまったらしいのだ。それは些細なことだが、その後も悪かった。普通は越えた方が謝ればいいぐらいの問題なのだが、どちらが先にラインを越えたかで争いになったらしいのだ。
 おまけに相手は穏やかなセンティーカグループの狼人でなく、辺境内側を縄張りとする関係の薄い狼人だったのも問題だろう。
「レック、レック…」
 上の方からそうっと呼ばれ、レックハルドは声のする方を見た。側の木の枝の上で、ファルケンが小声で彼を呼びながら手招きしている。いつの間にレナルとの話が終わったのだろうと思いながらも、ようやく現れた冷静な第三者にレックハルドは救われる思いがした。
「はやく上にのぼってくれ。…そこにいたら死ぬぞ。」
「ふ、不吉な事言うな。」
 いきなり不穏なことを言うファルケンに、レックハルドは怯えながら、まだにらみ合いを続ける連中を見る。空気が止まったように動かない癖に、お互い唸りだけは発しているのだ。
 とりあえず、手をさしのべてきたファルケンの手を掴んで枝の上に引き上げてもらう。木の幹に身を寄せつつ、ようやくレックハルドは息をついた。
「なんだ、こいつら……。」
「縄張り争いじゃよくあることだからなあ…。」
 ファルケンは苦笑したが、声は小声のままだった。
「こうなった以上、息を潜めつつ、時が過ぎ去るのを待つしか方法はないかと。」
「おい、それって、オレ達ずっとこのままって事か!」
「だって、下に降りたりしたら、巻き込まれると命の保証できないぜ。…あいつら、やるときは本気でやるから…」
 ファルケンは枝を伝って移動できるのだろうが、ファルケンのいいぶりからいくと、どうも刺激するような物音を立てること自体が駄目らしい。
「冗談じゃねえぞ。…おい、ファルケン…どうにかしろ。」
 言われて、ファルケンは困惑気味に顎をなでた。
「どうにかしろっていわれてもなあ…。この状態じゃオレも動けないし、オレが止めに入ったら、確実に流血沙汰になるよ、これ。」
 ファルケンは恐ろしげに首を振る。
「りゅ、流血沙汰って…。今ならお前のが強いだろ? 魔幻灯投げ込んだら、あいつら一発で散るぞ。」
 言われてファルケンは怯えるように焦っていった。
「な、何恐ろしい事言うんだよ! オレは元々どっちかというと部外者なんだぜ? それに、そんな風に下手に刺激したら見かけるたびに追いかけられるよ。レナルのとこの連中はともかく、相手方の連中はオレのことをよくおもってないし…。レックは、オレが辺境の川底に沈められてもいいのか?」
「なんだ、恐ろしい世界だな、辺境も。やくざと一緒だなあ。」
 レックハルドはしみじみと呟く。
「いや、ホントにそういうところは狼って言うか、犬っていうか…」
狼人は未だ無言でにらみ合いを続けている。膠着状態に、レックハルドがため息をつこうとしたとき、さわれば切れそうな空気を破ったのは、突然の大声だった。
「こらああ! 何喧嘩してるんだ! お前らはッ!」
 慌てて向こうから走ってくる人影は、狼人としては濃い色の髪の毛を持つレナルである。剣を帯びているのと、走る度に鳴る鈴の音が彼の存在を知らしめていると言っていい。
「リャンティール!」
「あっ! レナル!」
 狼人達が声を上げた。あっという間にレナルはこちらまで走ってきた。人間世界にでていった事のあるレナルは、辺境ではそこそこ一目置かれている存在である。
「何喧嘩してるんだ! 仲良くしろっていったろ!」
 子供に言って聞かせるような口調で言ったレナルは、自分のチューレーンのメンバーを睨み付ける。さすがにお頭に睨まれると、連中もやや悄然とする。
「でも、リャンティール。」
「こいつらが、テリトリーを割ったから。」
 恐る恐るそんなことを口にすると、反対側から反論が巻き起こる。
「何! お前らが先だろ!」
「そうだ、テリトリー割ったのはお前らが先だ!」
「何だとお!!」
 集団を大切にする狼人は恐ろしいもので、一人話すと一斉にみんなが話し出す。大体話している内容は同じだが、一斉に二十人が喚き合うのだから、正直何を言っているのかわからない。
 最初こそ腕組みをして黙ってきいていたレナルだが、それが延々と続くのに、やがて腕組みをそろそろと解いた。そして、とうとう怒鳴り声をあげた。
「ああ、もう一斉に喋るんじゃねえッ! 一匹ずつ喋れ!」
 ぴたっと声の渦が止まる。集団を大切にする狼人は、止まるときも一緒だ。そして、一匹ずつといわれても、なかなか話し出せない狼人達である。
「おい」
 木の上のレックハルドはふとファルケンに訊く。
「何だ?」
「今、レナルの奴、匹っていったよな?」
 うーん、そういえば、とファルケンは顎をなでつつ、ポツリと言った。
「……間違えたのかなあ。」
「いや、本音じゃねえか。」
 中身がケモノだからなあ、とレックハルドは呟く。
「まったく…。結局、どっちが先とかわからねえんだろ? お前らもお前らだ。一歩や二歩で喧嘩してるんじゃない!」
 ぴしゃりとしかられて、狼人達はしょげかえってしまう。しかし、不満もあるので、おずおずと進み出るものもいる。
「リャンティール。だって、おれたち。」
「だってじゃない。おい、お前らのリャンティールはどこだ? 確か、お前達はレダーンのとこの連中だよな?」
 レナルに訊かれ、相手方の狼人達は思わず顔を見合わせる。
「そういえば」
「一体、どこだっけ。」
「そもそもおれたち、リャンティールを探してたような気もする。」
「そういえば、そんなような…」
 狼人達がひそひそ話しだしたとき、のんきな声が聞こえてきた。
「おお〜、レナルじゃないか! 久しぶりだなあ!」
 そちらを振り向くと狼人のセンティーカが立っていた。ファルケンよりかなりでかいセンティーカは、のんびりとした感じの表情を浮かべたままにこにこしている。その横にもう一人ひょろっとした狼人が立っていた。
 正直狼人の容貌は似たり寄ったりが多い。少し男性的な顔立ちのレナルやファルケンはともかく、他の連中は似たり寄ったりが多くて、レックハルドには見分けがつかない。少しぼーっとした印象のセンティーカはともかく、その横にいる狼人はそんなに印象には残らない。
「ああ、リャンティール!」
 相手方狼人の群れが声をそろえて叫んだ。
「レダーン、あんた…」
 レナルが、困惑気味に苦笑する。
「おお、悪い悪い。」
 センティーカが笑いながら言った。
「事前に言っておけばよかったんだけどなあ、今日、ちょっとレダーンと話があったし、グランカランの実も取りたかったしで、お前の縄張り横切らせてもらったんだよ。」
「すまんな、レナル。」
「いや、それはいっこうにいいんだが…。」
 レダーンも上機嫌でにこにこしている。そして、少し小首を傾げた。
「しかし、うちの連中も集まって、何の騒ぎなんだい?」
「あああ、そ、それは……」
 ちらと、レナルは背後の狼人達を見た。リーダーがすでに縄張りを平和的に横切っている場合、リーダーを差し置いて勝手に喧嘩などしていいはずもない。喧嘩をふっかけたことがばれたら、リャンティールに大目玉を食らうのは目に見えているので、狼人達はあわあわとお互い相談し始める。にわかに浮き足立ち始めた狼人を見ながら、レナルは、うまくごまかしてやろうかな、とため息混じりに思うのだった。
「…ああ、お頭がすでに縄張りに入ってるじゃねえか。そりゃ不利だよなあ。」
「こういうこともよくあることなんだよなあ。」
 ファルケンは苦笑しながらレックハルドに言った。
「まあ、でも、うまく仲裁できるのは、いいリャンティールの証ってやつなんだ。」
「なるほどねえ。」
 レックハルドは感心しているのか、いないのかわからない口調で言うと、ファルケンの方に視点を変える。
「しかしだな、もし、お互いのリャンティールが折り合わなかったらどうするんだ…」
「それは……ち、ちをちであらうこうそう、って奴じゃないのか。」
 妙な棒読みでそう応えて、ファルケンはくわばらくわばらとばかりに首を振った。
「そういや、お前は縄張りとか言わないよな、あまり…」
「ああ、個人だと特に意識ないし、オレはそもそも一人でやってるからなあ。」
 ファルケンは、顎髭をなでまわしながら、あ、でもと付け足す。
「確かに、誰かがオレがこっそり使ってる穴場の泉に来てるのがわかるとちょっと気分悪いな。何となくオレ専用とか立て札立てたくなるような瞬間というか。何か目印つけたいような…なあ、あれって縄張り意識なのかな?」
「あ、そう。ど、どうだろうな。」
 狼人には狼人の事情があるらしい。そして、所詮こいつも狼だよなあ、とレックハルドは不意にそんなことを思うのだった。

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©akihiko wataragi