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注:第三部第二章周辺のネタバレを含みます!
16.複雑
「心配性の弟子の苦悩」
彼のシーティアンマは心配性である。シーティアンマ、要するに、お師匠様を指す辺境古代語だ。狼人は、普通集団で暮らし、その中のリーダーなどが若い狼人の教育に当たることが多いので、師弟関係を明確に結ぶことは少ない。
だから、その名で呼ばれるものは、事実上限られているのである。
たとえば、辺境でも、かなり特殊な狼人である秩序を守る者シールコルスチェーンと言われる者達がその代表である。彼らの秘儀や秘術は、主に口伝を中心に伝えられる事が多く、実際に師匠に指示することがほとんどである。そういうことも、今の普通の狼人は知らないかもしれない。シールコルスチェーンは、狼人にしても、失われた大昔の伝説の一つなのかもしれない。
今、主にシールコルスチェーンの役割を担っているのは、彼の目の前にいる師匠のハラールだ。狼人としても、結構繊細そうな顔を心配そうに曇らせている。目の見えない彼であるが、狼人であるのと、魔法に精通していることもあり、気配や魔力で世界をとらえることができるらしい。だから、彼はビュルガーの方に歩み寄ってきながら、ぽつりと呟いた。
「あの子はどうしているだろうか?」
ちょうど、乾燥させた葉っぱを砕いて、薬作りなどをしていたビュルガーは、またか、と思いながら、後ろの師匠をみた。そもそもが心配性な彼は、ここのところ、毎日こんなことばかり呟いているのだ。はあ、とため息をつきつつ、ハラールは再び呟いた。
「あの子は元気だろうか?」
「元気じゃないっすか」
いつものことなので適当に答え、ビュルガーは作業に戻る。
「でも、もう二年も経つんじゃないのかい」
「半年も経っていないと思いますが」
離れ島は、時間の流れがおかしい。長くいればいるほど、時間の感覚が狂うのである。従って、長くいる彼らは、すっかり体内時計が狂ってしまうのである。だが、それでも、ハラールはちょっとひどすぎる。
ファルケンが、ここを飛び出ていったのは、ビュルガーの体内時計によるとそう遠いことではない。かれの時間の感覚も多少はおかしくなっているのだが、それにしたって二年はひどすぎである。
ファルケンが、あの時ハラールと何を話していたのか、ビュルガーにはよくわからない。ただ、ファルケンが、ハラールと大げんかして飛び出ていったんだろう、ぐらいに思っていたので、後であれこれ事情をきいて驚いた覚えがある。
あの日蝕のあった日のあたり、サライの所に会いにいった後、結局ファルケン本人には会わずに帰ってきた。あとで、ファルケンを名乗る男には会ったものの、彼らの知るファルケンにはあれから会っていない。ただ、ハラールの様子から、どうも彼が危険を脱したことは脱したらしいと知っただけだ。
「そうだったかな。でも、心配は心配なんだよ」
「そうはいっても、あいつは、シーティアンマより大丈夫だと思いますよ」
少なくとも、ここにいる間のファルケンの態度はよくなかった。無口だし、ぶっきらぼうだし、ハラールに平気で噛みつくし、そもそも笑わない。ビュルガーは、そんな彼がむしろ恐かったぐらいで、兄弟子として一度も振る舞えなかったほどだ。
「きっと、今頃、どこかでごろっと寝てるんじゃないですか」
「ね、寝てる! それは、のたれ死にってことかい!」
「どういう悲観的な連想しているんですか!」
いきなり顔色が真っ青になったハラールに、慌ててビュルガーは言った。だが、時はもう遅い。一度不吉な事を考えたせいか、ハラールはますます心配そうになった。
「どうしよう、やはりあの時迎えにいけばよかったんだろうか」
「あいつ、態度悪いから、そんなことしても無駄です」
ビュルガーは、冷たく言ってやれやれとため息をつくが、ハラールはまだ不安そうだ。
「ご飯はちゃんと食べているんだろうか」
「あいつは、何があっても飯は食ってましたから大丈夫じゃないですか?」
師匠のおろおろした様子に、ビュルガーはため息をついた。師匠はいい人だが、まったくこういうところには困る。
ビュルガーは、とりあえず、師匠を無視して、作業に没頭することにした。こういう作業は割合に好きだ。ビュルガーは、それほど薬草に詳しくないのだが、薬作りは好きである。
薬草自体は、彼よりも薬草に詳しいはずのよく師匠が取ってくるのだが、ここの所、薬草が増えたり減ったりしていた。それが、明らかにその中に微毒のものが入っていたりしたので、気づいたファルケンが大慌てで取り除いていたりしていたことは、二人とも気づいていない。
ここにいた時は態度の悪かったファルケンだが、それでも彼は、彼なりに彼らのフォローはしていた。ただ、誰もそれに感づいていなかっただけだ。
「とにかく、あいつは大丈夫ですよ。そんな心配は杞憂なだけですよ」
「そうかなあ。……私は不安でならないよ」
そういって眉をひそめたハラールは、はっと突然、何か閃いた顔をした。嫌な予感がするビュルガーだが、あえて自分からは話しかけない。どちらかというと線の細い顔に、他の狼人も良くやるようなにんまりした笑みを浮かべ、ハラールは、ビュルガーの方に顔を向けた。何も言わずに、何やら期待に満ちた様子で立っているハラールに、ビュルガーは不穏さを感じた。
「……な、何でしょう?」
どうも、言われるのを待っていたのか、とうとう雰囲気に耐えきれずに口を開いたビュルガーに、ハラールは笑いかける。
「ビュルガー。君もあの子の事が心配だろう?」
「いいえ、私は、寧ろあいつはきらいですけど」
「そういうってことは、心配だって事だね!」
またしても、彼流のとんでもない連想をつなげ、ハラールは満足げに笑った。否定したいビュルガーだが、ハラールは珍しくすかさず切り込んできた。
「ということは、君は、ファルケンを探してきてくれるよね?」
「ええっ、いや、私は……」
(冗談じゃない!)
と、ビュルガーは心の中で思う。危機は脱したとかいっているが、一体ファルケンがどこで何をしているのかは知らないし、下手したら本当に野垂れ死んでいるかもしれないのだ。そうなったら、それを報告するのはビュルガーなのである。
今だってこんなに毎日心配だ心配だとうるさい彼なのに、もし、万一のことがあったら、泣きつかれるのは目に見えている。
「だって、ビュルガーは今は暇だろう? 私は、あれこれ、探ることもあるし、大体、私だと彼を捜すのに時間がかかってしまうんだ。君の方が適任だろうと思って」
「暇じゃないです。作業中です」
ビュルガーは、作りかけの薬を見せるが、ハラールは軽く笑った。
「大丈夫だよ、そんなのは。元々枯れてるから時間経っても大丈夫じゃないのかい?」
「枯れてると乾燥させると一緒にしないで下さい」
首を傾げつつ、ハラールはにっこりと笑った。
「ともあれ、探してくれるだろう?」
「い、嫌です。他の人に頼んでくださいよ。ツァイザーさんとかあの辺に……」
「あの人は、見つけだしたらそれで満足して、報告してくれないような気がするよ」
「それは……」
そういわれると言い返せず、ビュルガーは、ため息をついた。
ここは、どうも逃げ場がないらしい。しばらく探していなかったら、とりあえず戻ってくればいいかもしれない。探すにかこつけて、たまには普通の辺境でぶらつくのもいいかもしれない。それで、ちょっとは楽しめるかもしれないじゃないか、ビュルガー。楽天的に考えるんだ!
そう言い聞かせ、ビュルガーは青ざめた顔をしながら頷いた。
「わ、わかりました」
これで、もし、無事だったらファルケンをただではすまさん。いや、でも、力で殴りかかっても負けそうだから、何か精神的な攻撃をしかけて……。いや、それでも、負けてしまいそうなので、余力があればそうすることにしよう。
ビュルガーは、そう決め、ヤケ気味に叫んだ。
「わかりました! 探しにいきゃあいいんでしょう!」
「そうか! よかった!」
ハラールはホッとした様子で、のんびりと言った。
「やはり、弟子同士は仲がいいんだなあ。よかった。……こういう弟子同士の友情のようなものに、私はあこがれていたんだよ」
(こ、この人は……)
もしかしたら、本当にあの繊細な髪の毛につつまれた頭の中には、花が盛大に咲いているのかもしれない。いつもは可愛そうだと思うが、ちょっとぐらいフォーンアクスに殴られた方がよいのかもしれないと、ビュルガーは思った。
ビュルガーがちょうど艱難辛苦を味わっている頃に、まさか、ヒュルカの街では、元凶のファルケンとレックハルドは、ちょうど博打で五回目の大当たりを当て、狂喜の狭間にいようとは……。おそらく、それをビュルガーが知ることはないのだろう。
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