戻る 次へ 序:夢の中で 目を開くと、一面赤紫に発色する森の中にいた。 それは不思議な光景だった。夜なのか、あたりは暗い。ただ森の木々や草が紫色にうっすら発光しているようで、ぼんやりと明るかった。 奇妙な森といえば、ここにいる者なら、大陸の北に広がる「辺境」と呼ばれる区域を思い出したはずである。そのほとりの村に住む彼女も、当然、この森をみて辺境を連想していた。 人の近づかない場所である辺境は深い森に囲まれ、人を数千年近づけさせなかった場所だ。他の森などと違い、明らかに生態系がおかしく独特な世界が広がる場所である。その奥には、万物を創造した女神がいるといわれているが、それが本当なのかどうかはわからない。 とはいえ、辺境の森とて、こんな奇妙な色をしているはずはなかった。辺境には暗く深い緑の森が広がっているのを知っているが、こんな場所は初めてだ。まるで浄土のような死の香りのする森――。けれど、辺境の奥にはこういう場所もあるのかもしれない。分け入ったことがないので、否定しきれるものではない。だから、彼女は、ここは辺境の中の死んだ森なのだと考えることにした。 彼女は、そこでたっていた。 いや、たっていたというのは、おかしい。彼女には変な浮遊感があった。足元をみると、地面に足をつけずに空中にわずかに浮いているのがわかった。 ふと、彼女は、夢を見ているのだと悟った。 元から、彼女にはこういう力があった。勘がずば抜けて鋭く、先の未来を予言することもできた。彼女は、その力を見込まれて占い師の養女になっていた。 このところ、直感がさえすぎているのか、彼女は不思議な夢を見ることが多かった。経験したことのない場所にいたり、古い昔の神殿で女王として君臨していた夢も見た。それは不思議と生々しい現実感を伴っていることがあった。それを養親の占い師に相談すると、お前の前世の記憶に違いないといわれたし、時には予知夢を見ることもある。 けれど、今日の夢はまた少し不思議な感じだった。 ふと、人の気配を感じて顔をあげた。 森の中に、誰かが立っていた。大柄の男のようだった。この紫の森の中でもはっきりと、男は金髪をしているのだとわかった。 (辺境の狼人だ) 彼女はぼんやりと思ったものだ。辺境には狼人という人ならざるものが住んでいるといわれている。 彼らは人によく似ているが、人より強靭な体を持っており、辺境のおきてに縛られる。そして、彼らは、全体的に長身であり、色素も薄く白い肌に緑がかった金色の髪、そして碧眼であることが多かった。 もちろん、彼女は西方に、そうした人々が住んでいることも知っていたが、辺境で見かけるとしたら、まずもって狼人を疑うべきである。 けれど、彼は狼人にしては不自然な部分もあった。男は詰襟のきっちりとした服を着ていた。どこかで武官として仕えているような感じの服だ。狼人は、毛皮を着ていることが多いし、金属の装飾や武器を極端に嫌う。それは、辺境の女神が炎を嫌い、炎により作られたものを嫌うからであるといわれていた。だが、男は腰に剣らしいものを提げているし、服にも金属の装飾がいくつかあるようだった。 男は、立ち止まって、あたりを見回していた。男はあごひげを生やしていたが、ひげも見事に金色をしていた。顔自体は、割りに整っていて、二枚目といっても差し支えないだろうが、かなりの大男で体格もよく、しかもひげが生えている。少し恐い感じがして、彼女はどうしようかと思ったが、一瞬見えた彼は意外にとぼけた表情をしていた。目が大きいので、幼く見えるのかもしれない。 「あれ? そこに誰かいるの?」 不意に男がこちらを向いてそう聞いた。見つかった、と思って、彼女は身をすくめる。おびえた風を見せた彼女に、男は優しく笑って見せた。 「恐がることないよ。むしろ、いきなり誰かいたもんだから、俺がびっくりしたよ」 彼は、あはは、と無邪気に笑ってこちらに近づいてきた。男は笑うと一気に親しみやすい雰囲気になって、彼女は少し警戒を解いた。 「君はここのひと?」 男は、そう訊いた。なんとなく話し方があどけなく、少年のようですらある。 「いいえ。気がついたらここに来たの」 「そう。俺もそうだよ。寝てたらここにきたのさ」 「寝てたら?」 「そう。寝てたのに、気がついたら砂漠を歩いててさあ、喉がかわいてたいへんだったんだけど、森が見えたからこっちにきたんだ。水があればいいなーって思って」 男は、顔をあげてのんびりと辺りをみまわした。 「でも、変なとこ。こんな森見たことないよ。ここじゃ、こういうのが普通なの?」 「そんなことないわ。ここは、特別な場所みたい」 男は、そうなんだーと頷いた。その親しげな感じに、彼女はいくらか気を許した。少し得体のしれない感じの男だが、悪い人物ではなさそうである。 男が、小脇になにか抱えているのを見て、彼女は首をかしげた。その視線に気づいたのか、男は、「ああ」と声をあげる。 「これ? その辺で拾ったんだ。なんだか、俺、ここに来たのは今日がはじめてじゃあないんだけれど、来るたびに何か拾ってしまうんだよな。で、また次にここに来た時に荷物が増えてるの。いいんだけど、荷物が重くなって面倒なんだよねえ」 男はのんきに言って、それを見せた。辞書のような大きな古い本だが、見たことがない。文字も読めなかった。外国の文字だろうか。 「ところで、俺を呼んでたの? 君?」 いきなりそうきかれて、彼女は首を慌てて横に振った。 「いいえ」 「そうか。それじゃー、俺を呼んでたのは違う誰かだね」 「誰かって、貴方は呼ばれてここに来たの?」 「ん? そういう気がするんだよ。何せ、さっきも言ったとおり、俺はここに来たのがはじめてじゃあないんだ。最近、昼寝や夜寝しているとね、ふと気づいたら砂漠を歩かされてこの森にきちゃうんだよ」 男は、笑いながらあごひげをいじり、目を少し細めた。彼の視線は、彼女の肩の後ろの方に向けられていた。 「でも、今日はちょっと違うみたいだ。なんだかね、誘導されてるみたい」 「誘導?」 彼女は、男の視線の先を追った。木々の間に空間がある。そのには草木が生えておらず、真ん中に砂が溜まっていた。紫の森の光を浴びて、元から石英でも混ざっているのか、砂はキラキラと不思議な色に輝いている。 男は、そちらに足を向けた。彼女も彼の後をついていく。 彼は何か見つけたのか、ふと彼女に目配せして跪いた。 砂の中になにか埋れている。彼は、白い手袋をつけた手でそのなにかを拾い上げた。男の指の間から、森の光を受けて紫色に輝く砂がこぼれ、中なら金属的な輝きが彼女の目を射った。 現れたのは金色の丸い金属製のものだ。表面にはこまやかな細工がなされている。 「なに?」 彼女が覗き込むと、男はにっと笑って上部のつまみを押した。すると、ぱかっと蓋が空いて、丸の中に線がいくつもかかれたものが現れた。真ん中に赤い石をあしらい、それがキラキラとしていた。 「なあんだ、懐中時計だよ」 「トケイ?」 「あは。知らないか。時間を知る為の道具だよ」 「こんな形の時計ははじめてみるわ」 彼女が身を乗り出して覗き込む。 男は眉根をひそめた。 「でも、おかしいなー。これ、俺がこないだ失くした懐中時計だよ。名前が彫ってあるもん。ここで失くしちゃったのかな? 夢の中で物をなくしちゃって、本当になくなるって変だよね?」 そんな話をいきなりされてもよくわからない。シェイザスが返答に困っていると、男はもとから返事を求めてもいなかったのだろう。男は小首をかしげて、時計をいじりだしていた。 「でも、止まってるなあ。ぜんまい回ってないのかな? 壊れた?」 男が時計のつまみを捻る。 と、その時、カチ……と音を立て秒針が動きだした。 その瞬間、目の前の風景が溶け出した。男の姿も紫の森に紛れていってしまう。すべてが混ざってマーブルになった視界の向こうで、自分を呼ぶ声がきこえた。 「シェイザス」 目を覚ますと、養親の占い師が彼女を覗き込んでいた。 すでに日が高くのぼっている。慌ててシェイザスは飛び起きた。 「おやおや、慌てて起きなくてもよいんだよ」 「いえ、すっかりゆっくり眠ってしまってごめんなさい」 彼女が謝ると、優しい占い師は首を振った。 「かまわないよ。今日は急ぎの用事はないから。ああでも」 占い師は、彼女に微笑みかけた。 「昼からでいいから、辺境の近くで薬草を採ってきてくれないかい? どうしても必要になってしまってね」 「はい。わかりました。おばあさま」 彼女はそうこたえると起き上がった。 こんなに寝込んでしまうなんて珍しい。今日の夢のせいに違いない。 それにしても不思議な夢だった。あの狼人のような容貌の男は何者だろう。そして、あの場所はなんだろう。 シェイザスは起き上がると、寝巻きをぬいで服を着替えることにした。 今日の不思議な夢を占い師に相談しようかと一瞬考えたが、とりとめがなく説明しづらいのでやめることにした。 シェイザスは、近くにあった薬草を入れる籠を引き寄せた。ことん、と何か入っているのか音が鳴ったが、大方この間のお使いで取りわすれたものが何かがはいっているのだろう。そう思って特に気にも留めなかった。 忙しく身支度するうちに、あの夢の内容も忘れてしまいつつあった。 戻る 次へ |