絶望要塞(改訂版)・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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1.「死の神が支配した」-4


「にしたってよお……」
かん、かん、とテーブルのすみにチェスの駒をぶつけながら、リティーズは次の手を考え込んでいる。
 ファンドラッドは、戦術の専門家だ。正直、単純この上ないリティーズが、立ち向かって勝てる相手ではないのだが、リティーズは、いつか必ず勝てると信じてやまない。その小さな希望を踏みにじってやるのが、ファンドラッドのここの所の日課である。だが、踏みつぶされても毎度立ち上がってきて、また毎日のように勝負を挑む哀れな青年のしぶとさには、さすがの彼も少々尊敬の念を抱きつつあった。世の中には、懲りない男がいるものである。
「オレに分かるように説明してくれよ。何いってんのか全然わかんねえ」
「仕方がないだろう。私はあの三文詩人の書いた文章をそらんじたまでだ」
 ファンドラッドは、やや憮然とした。
「私が補完してやってもよいのだが、そうすると、本来グレイザーが言いたいことが伝わらないだろうと思ってな。ちょっとした親切心というやつだ」
「ちぇーっ、ほとんどオレに対する嫌がらせじゃねえか! あ! よしっ!」
 リティーズは、ふと目を輝かせて駒を置いた。これでどうだ、と言わんばかりの視線に、ファンドラッドは心の中でため息をつく。本当に懲りない男だ。どうして、おととい負けた手と同じ手を打ってくるのか。
「じゃあ、今度は翻訳したのをきかせてくれよ。つまりどういうことだよ?」
 この青年の頭の中はどうなっているのだろう、とヒゲをいじりながら考えていたファンドラッドは、そう訊かれてため息をついた。
「要するに、私とお前がセスチアンに出てこないと、占領した街の住人を殺す、とそういうことだろう。言いたいのは。さっさと勝負を決めたいということだ」
「ええっ、お前よく翻訳できたな! なんか、死神がどうのこうのしかいってなかったじゃねえか!」
 驚きの表情を浮かべ、リティーズは先程ファンドラッドに暗誦された文章を思い出した。
「主観を抜いてあくまで客観的に推理すればわかる。かなりの労力はいるのだがな」
 まあ、お前には無理だろうがな、とぽつりと呟きつつ、ファンドラッドは駒を進めた。
「全く、あれで本人は一流のつもりだからタチがわるい」
「そうだよなあ〜。ったく、宣戦布告ぐらいまともに書いてこいってんだよ! ……にしても」
 リティーズは、やれやれと言いたげに肩をすくめたが、ふと真剣な顔つきになって声を潜めていった。
「あんた、なんかあの馬鹿に恨まれてるんじゃねえのか? 毎回思うんだが、最近、ちょっと絡まれすぎじゃねえか?」
「恨まれているのは確かだろうがな。覚えが全くないのだが」
 ファンドラッドは迷惑そうに言った。
「覚えが全くないだなんてよくも言えるな。お前はフツーにしてるだけで、恨みを無料でばらまいているタイプなのに」
 リティーズは呆れたようにいって、それからほおづえをついた。
「で、どうすんだよ。行くのか、いかねえのか。オレだったら行っちゃうぜ。だって、あそこの人間には、オレ達の戦いは無関係じゃねえか。巻き込むなんてかわいそうだろ?」
「また貴様はそういう甘いことを」
 ファンドラッドは、肩を軽くすくめて、足を組んだ。
「そんなことを言っているから貴様はいつまで経っても、私にも勝てないんだ」
「そんな事言ったって、お前だってちょっとは思うんだろ。ああ、かわいそうだなあ、とかさ」
 リティーズが、そう訊くと、ファンドラッドは顔を背けて吐き捨てた。
「馬鹿をいえ、私は人間が嫌いなんでね。何人死のうと知ったことじゃないね」
「あーあ、またそういうことを」
 リティーズは、お手上げといわんばかりに肩をすくめた。これ以上言えば、もっと過激な事を言い出すだけなので、リティーズはそれ以上、正面から追求するのをやめた。そのかわり、にやりとして急に身を乗り出して言った。
「その割には出ていくんだな」
「誰も出るとはいっていない」
「はーん、よくも言うぜ。さっきからの会話で大体あんたの考えはわかってるんだ。さっき、ここに来るまでにあわただしく何か極秘に命令してきたのは、物見に行かせたんだろ……。あんたがそういう動きをするってことは、完璧に出ていくつもりじゃねえか」
 ファンドラッドが黙り込んだのを肯定ととって、リティーズはにんまりと笑った。
「罠かもしれねえのは百も承知なんだろう。よくわかっていて出ていくつもりになったなあ? なあ、どういう心境の変化だよ?」
「貴様はそういうところだけ勘がいいんだな」
 やれやれと呟き、ファンドラッドはいらだたしげに前髪をなおしながら、駒を小刻みに振った。
「……あそこは、ナツにとってはいい遊び場所だろう?」
 ぽつりといったファンドラッドの言葉に、リティーズは意外そうな顔をした。
 と、その時、
「チェックメイト!」
 ファンドラッドは素早く駒を置くと、片肘をついてにんまりした。リティーズは、さっと青ざめる。
「何度私に負ければ気が済むんだ、お前は。この前と同じ戦略を使っているのがわからんのか」
「う、うっるせえっ! わかんねえから二の轍ふんでんだ! 文句あんのか、この野郎!」
 リティーズは咄嗟にそう答えて、それから慌てたように言った。一応腹がたつので怒鳴ってはみたものの、本当は憤りより驚きの方が大きかったのだ。
「し、しかし、お前がナツのためだとか言い出すとは思わなかった」
 一体、どういう心境の変化だよ、と言いたげなリティーズを鬱陶しそうにあしらって、ファンドラッドは言った。
「そうではない。バルトにはああいったがどうせ出るつもりだった。私が出なければ、お前がやると言い出すだろう? どうせ堂々巡りをするなら、最初から私が行った方がましだな」
 などと冷たいことを彼はいうが、それは半分照れ隠しに近い。長年この男とつきあっているが、ファンドラッドが自分から罠だと知って出ていくのは、それほど珍しいことである。普段なら、リティーズがどうしようもないピンチになってから、文句を言って助けてくれることがあるぐらいなのだ。しかも、その理由が他人のためだというのは、今回が初めてかもしれない。
「確かにさあ、あそこは、案外買い物にも便利だし、同じ年頃の子供達もいるからさあ、よく連れて行けってせがまれるんだけど……」
「だろうね。……ナツの同年代の友達なんて、この要塞でできるわけがないからな。…そう考えると少し可哀想な気もするんだが……。外で育てるわけにもいかんしな。いつ戦いに巻き込まれるかどうかわからない。……今のところ、この周辺で一番安全なのはココだろう」
 どことなく神妙な口振りでファンドラッドは言って、ふとほおづえをついた。そういう司令官の表情が、リティーズには珍しい。やれやれとため息をつきながら、リティーズ=クレイモアは、ふうむ、と唸った。
「あんたさあ、ナツが来てからちょっと変わったな」
「別に。私は前となんらかわってはいないさ」
 ファンドラッドは腕を組み、ソファに身を沈めた。そうかねえ、と呟きながら、リティーズは駒を一つ手に取る。
「前々から聞きたいと思ってたんだ。…なんでナツを拾ってきたんだ?」
 リティーズは、チェスの駒をおもちゃにしてくるくる回しながら訊いた。
「あんたらしくもないよな。戦場で震える子供を連れてきて育てるなんて……おまけに名づけまでするなんてさあ」
「さあ」
 ファンドラッドは、軽く笑いながら天井の隅の方を見ていた。
「あるいは……気まぐれ……かもしれんな」
 ふと、その時、ドアの向こうでかたり、と音がした。ファンドラッドは静かにそちらにそれとなく視線をやる。それに気づいたのか、何かの気配が去っていくのが分かった。ファンドラッドと同時にそちらを見やったリティーズが、ふわりと腰を浮かせる。
「あれ? 何やら物音が」
 ひょいとリティーズは、廊下のほうをみた。先程までは、確かに誰かがいた気がするのだが。ファンドラッドの方が声をかけるかと思ったが、彼の方はすました顔をして何も言わない。
「なんだ? バルトのやつかなあ。心配になって立ち聞きしにきたのか?」
 首を傾げつつ、リティーズは席を立った。
「みてこようかな?」
「追わない方がいいぞ」
 ほんの少し間があった。ファンドラッドにしては、いやに躊躇ったような間を持たせつつ、彼はふとリティーズに言う。だが、リティーズの方は、ファンドラッドの口調に不信感を持たなかったのか、彼はきょとんとして振り返る。
「え? 何でだよ? いや、ついでにアイツに話あるしさあ」
「それなら構わないが、いや、その……お前が行くほどのこともないだろうと思ってな」
 ファンドラッドは、何となく言葉を濁す。それを怪訝には思うのだが、彼は結局出ていくことにした。どうせ、今のはなんだと聞いたところで、教えるファンドラッドでないのも、リティーズは長いつきあいでよく分かっているのだった。
「それじゃ、次は負けないからな。おぼえてろよ」
「何度やっても同じ事だぞ」
 ファンドラッドはため息をつき、チェスの駒を片づけるのに手に取った。やってみないとわかるもんか! と、捨てぜりふをはいて、リティーズは部屋から去っていく。相変わらずの様子の彼を見やりながら、つくづく懲りない奴だとファンドラッドは思った。
「じゃあな!」
 そういって出ていくリティーズに返事を返さず、ファンドラッドはソファにもたれかかったまま、勝負の決まったチェス盤をみていた。リティーズの足音が遠ざかっていくのをききながら、ファンドラッドはため息をついた。
「馬鹿な奴め。……お前のためを思っていってやってるのに」
 そう文句を言いながら、ファンドラッドは身を起こした。
「ライアン君なんかじゃないさ。それに、お前が追いかけて捕まるほど、向こうも馬鹿じゃない」
 ぽつりと呟くファンドラッドは、ふと駒を一つ手に取ったままソファに再び身を沈める。ちらりと彼が去っていった方を見やりながら、ファンドラッドは薄ら笑いを浮かべた。
「ネズミが一匹、走り去っただけだと教えてやりたかったんだがね。私はそうは親切じゃないのさ」
 ささやくようにそういいながら、彼は何となく虚しいような気分になった。
 本当は、ファンドラッドには、長いつきあいのあるあの青年の気持ちが何となく読めているのだ。親切でないからいわないのではなく、本当は、彼をあまり傷つけたくないから言わないだけである。いつか、事態が発覚したときに言わなければならないことを、現実主義者のファンドラッドは嫌なほどわかっているはずなのだが。
「私は、親切じゃないのさ」
 もう一度、自分をごまかすようにいうファンドラッドの顔は、貼り付けたような薄ら笑いがのっていた。





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背景:NOION様からお借りしました。




©akihiko wataragi